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件の如し(第2話)

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■本編

2、ガーネット
 ホテルの一室で、女は男と向かい合って座っていた。
 男は項垂れたように座り、首から血を流し、ぴくりとも動かない。上等なスーツを着て、高級ホテルのスイートで死ねるなんて、幸せね、と女は微笑みを浮かべた。
 そしてガラステーブルの上の藤籠の中から真っ赤なリンゴを取り出すと、男に向けて放った。当然、死んでいる男はリンゴを受け取ることなどできず、胸に当たってカーペットの上に転がった。それを女は満足そうに眺め、愉悦に身を震わせた。
 女は男がなぜ殺されなければならないのか、知らなければ興味もなかった。女にとって男は殺しの標的であり、それ以上でも以下でもない。余計な情報は頭に入れない。それが女の信条だった。
 情報が多ければ多いほど、人は惑わされやすくなる。必要なのは二つだ。誰を、いつ殺すか。それだけ分かれば、女にとって不都合はないのだった。
 血の付いたナイフをビニールに入れ、ロングヘアのウィッグを外してナイフと一緒に鞄の中に押し込む。
 女はガーネットと呼ばれていた。時には売春婦を装い、時には教会のシスターを装って標的を殺す、殺し屋家業を生業にしている女だった。
 ガーネットは華奢だが引き締まった肉体をもっていた。女性的な丸みのある温かみのあるラインではなく、鋭利な、抜き身の真剣のような緊迫感と直線的な美しさを湛えた肉体だった。まだ二十そこそこに見える童顔なのがそのシャープな印象とはちぐはぐで、人に齟齬を感じさせるからこそ、肉体と顔の美しさが引き立つのだった。
 ガーネットは部屋を出ると、周囲の様子を窺いつつ廊下を歩く。監視カメラの位置は確認済みだ。カメラに映らない位置にある隣室に入ると、そこに用意してあったスーツケースの中から落ち着いた色味の組み合わせのブラウスとスカートを取り出して着替える。代わりにナイフやウィッグをスーツケースに入れて、再び部屋を出る。後は何食わぬ顔をしてホテルから出るだけだ。後始末は運び屋がやってくれる。
 洋服もウィッグも変わっているので、殺された男が連れてきた女だとは、誰も思わないだろうとガーネットは殺しの後と人を欺いていることの高揚感に、性的快楽に近いものを感じていた。
 エレベーターホールで下降のボタンを押し、髪の毛先を指に絡みつけて階数表示板をぼんやりと眺める。殺しの後の高ぶりが、急速に冷えていくのを感じる。また、つまらないことをしたな、とガーネットは自己嫌悪に陥る。
 エレベーターがやって来たので、それに乗り込む。フロントの階を押して、壁にもたれるようにして立つ。
 殺し屋家業から足を洗わなくちゃなあ、と暗殺者から年相応の女に戻ったガーネットは考えた。殺し屋家業は何より実入りがいい。水商売なんかと比べても天と地ほどの差がある。何より、自分の体を損なうことがない。もちろん、しくじって反撃を受ければ傷つくこともある。だが、女としては傷つかない。
 殺し屋も、営業から現場まで、一人で全部を担うフリーランスは辛い。殺した死体の処理とか、依頼の調達だとか、やらなければならないことが多すぎるのだ。それもそれぞれの工程で専門性が高い。だから企業として殺しを請け負う「事務所」に所属するのが一番いい。「事務所」には裏のルートに通じた営業もいれば、死体の処理を専門的に行う処理班もいる。だが一番稼ぎがいいのが、実際に殺しを行う実働班だ。
 ガーネットは十六のときにこの業界に入り、百人以上の男を暗殺してきた。彼女は女の殺しは引き受けない。それぐらいの我儘が許されるくらい、彼女は確かな実績を積み重ねていた。
 もう金は有り余るほど稼いだ。それほど物欲がないガーネットは生活費の他は本と、仕事に必要な衣装代くらいにしか使わなかった。衣装もどうせ血に汚れるのだから、と安物ばかり買うので、社長のキミジマからは、もっといい服を買え、と言われるのだが、彼女は構わないのだった。
 本はいい、とガーネットは思った。殺しに似ている、と。殺しは死をもって相手の言葉を現在に留め置き、過去にする行為だ。本もそれと同じだ。自分の命を削って紙の上に筆記することで、言葉を現在に留め、過去のものとする。違うのが、費やす命が自分か他者かという、ささやかなことぐらいだ。
 今はカフカを読んでいる。平凡な男が、ある日甲虫に変わってしまう話だ。男はみんなザムザだ、とガーネットは考える。誰かの厄介者で、殺されなければならない虫。でも、女にザムザはいない。これはなぜなのだろう。いや、そんなこともない。自分と同じガーネットという作家は妻が狐に変貌してしまう話を書いていた。いや、それも違う。女も変身はする。でも、ザムザではないのだ。ザムザは虫になってもザムザであろうとする。だが女は、変身した後の自分の肉体に、精神を順応させるのだ。新たな環境で生き抜くために。その生存本能の差が、男と女の差だ。その差ゆえに、自分は仕事がしやすいのだけれど、と腕を組みながら、ガーネットはため息をつく。
 エレベーターが到着し、扉が開く。ガーネットは降りながら、すれ違ったトレンチコートの男から血の臭いを感じ取り、思わず振り返った。
 男はエレベーターのボタンを押していた。痩せた狼のような男だった。こけた頬にすらりとした長身。目にはサングラスをしているせいで、目つきなどは窺えない。男の方でもガーネットに気づいたのか、扉が閉まる寸前に彼女を一瞥した。
 ガーネットはさり気ない仕草で視線を逸らすと、出口の方へ歩いて行く。エレベーターの扉は閉まり、男の視線は無機質な鉄の扉に閉ざされる。
 男は同業者か、あるいはもっと質の悪い相手だろうとガーネットは踏んでいた。男の体から立ち昇る血の臭いは濃密だった。関わり合いにならない方がいいな、と男の存在は忘れることにして、ガーネットはホテルの前につけていた運び屋の車に乗り込んだ。
「お疲れ様です」
「ああ、うん。いつものところね」
「了解」
 短い会話を交わして、車は走り出す。
 ガーネットはこの運び屋を気に入っていた。必要以上のことは喋らず、訊かない。これがおしゃべりな運び屋だと、殺しのことを詳細に訊いてきたりと鬱陶しいのだが、寡黙な運び屋はただ自分の任務を全うするだけ。そういう姿勢が気に入っていた。
 ぼんやりと流れ過ぎていく街の街灯など、車窓を眺めていると、スマートフォンが鳴動した。多分、「課長」だ。進捗確認だろう。
「はい」
「どうだ、首尾は」、課長はいがらっぽい声で訊ねると、咳き込んだ。
「始末したわ。今は帰宅中」
 ガーネットは何の感慨も込めずにそう言って、怪しい男を見たことを思い出した。
 そういえば、と男とすれ違ったことや外見的な特徴を課長に伝えると、課長は「そいつはカクタスだろうな」
「カクタス?」とガーネットは訊き返す。
「ああ。フリーの殺し屋だ。凄腕で知られてる」
「あのホテルに、もう一人暗殺される人間がいたと」
 ガーネットはなんだか釈然としなかった。そうした偶然、これまで業界に身を置いてきて聞いたことがない。
「いや、なんだか嫌な予感がするな。そっちはおれの方で調べておくから、お前は次の仕事に備えてくれ」
 ガーネットはほんの微かに眉を顰めて、「今仕事終わったばかりよ」と静かに言い放つ。
「悪いな。だが、こいつは急ぎなんだ。随分と上からの依頼らしくてな」
「依頼主に興味はない」とばっさりと両断する。「まあ、そう言うな」と課長が宥めつつ、「ターゲットの写真を送った。確認してくれ」と有無を言わさぬ口調で言う。
 ガーネットは通話を一度切り、送られてきたメールの添付ファイルを開く。ぱっと画像が現れ、そこに写っていたのは、家の庭であろう、花壇の前で、花を傍らに笑顔を振りまく若い女性だった。
 すぐに課長に電話をかけると、「先に言っておく。まあ怒るな」と課長が機先を制するので、ガーネットはうっと言葉に詰まりつつも、「……約束が違う」と怒りを滲ませた声で言った。
「分かっている。だが、お前に頼むしかなさそうなんだ」
「なぜ?」
「既に殺しに向かわせた実働班三人が消息不明になっている。どれも腕利きの奴らだ。ひょっとすると他社と競合しているかもしれん」
 ガーネットは苛立ったように髪をくしゃくしゃにかき回すと、「ターゲットの情報は」と不満を抑えきれない口調で訊ねた。
「お前が情報をほしがるとは、珍しいな」
「わたしにわたしの信条に背く殺しをやらせようっていうんだから、それなりの見返りがあるんでしょうね」
 課長はくくっと喉を鳴らして笑い、「この仕事を最後の殺しにしてくれていい」と言い放つ。
「足抜けしてもいいと?」
 ああ、と課長ははっきりとした口調で答える。
「分かった。引き受ける」
「よし。それじゃあ情報だ」
 課長は対象の家族構成や住まい、経歴などを淡々と述べ、最後に対象者の名を告げた。
「お前に殺してもらうのは、矢崎。矢崎秋奈という女だ」
 矢崎、秋奈。ガーネットは口の中でその名を転がすと、電話を切った。
 ふっと外を眺める。見慣れない景色だ。街灯が心なしか少ない気がする。闇の水際に揺蕩うような暗闇に、ガーネットは嫌な予感を覚えて、運転手に「ここはどこ?」と訊ねる。
 運転手は答えず、ただ車を運転している。バックミラー越しにガーネットを一瞥したが、そこにはなんの感情も宿ってはいなかった。
「運び屋、ここはどこ。答えなさい」
 運び屋の男は深くため息を吐くと、車を走らせたままシートベルトを外し、振り返る。その手には銃が握られていた。銃口がガーネットの額に狙いを定めている。
 ガーネットは右側に身を逸らせつつ、左足を鞭のようにしならせて振り上げ、男の銃を弾き飛ばす。だが銃弾は放たれていて、後部ガラスに穴を開けた。
 運び屋は舌打ちして左手でナイフを抜くと、お手玉するように反対の手に受け渡し、逆手で持ってガーネットに突き刺そうと振り下ろす。
 ガーネットは態勢を立て直しながら左拳で相手のナイフを持った手首を打ち、勢いを殺すと、両手で運び屋の手首を掴み、骨をへし折る。
 男は痛みに叫んで後方に転がり、クラクションを押してけたたましい音が鳴り響いた。あっとガーネットが気づいたときには、フロントから見える闇の中に雑木林が浮かび上がり、木々が迫っていた。
 ガーネットは後部座席のドアを開けて外に転がり出る。車はそのまま雑木林の中に突っ込んだ。夜を切り裂くようにクラクションが響き、そして男の腕をへし折ったときのような、車がひしゃげる衝突音が鳴る。
 荷物だけでも回収しようと車に近づいて行き、中を覗き込む。荷物は後部座席の床に転がっていた。拾い上げながら前方の座席を見て、ガーネットは凍りついた。前にいたはずの運び屋がいない。まずい、と思ったときには、ガーネットの首には男の腕が絡みつき、締め上げられていた。
 油断した、とガーネットは己の迂闊さを呪いたい思いだった。確実に息の根を止めるまで気を抜かないなんてのは、入社三か月の新人暗殺者だって知っている。
 足をばたつかせて脛を蹴ったりするものの、運び屋は痛みに苦悶の声をもらしつつも、離す気配がなかった。腕を引きはがそうと引っ張ったりするものの、腕は外れない。
 急所を蹴る、と股間に向けて足を振り上げるものの、その動きは読まれていたのか、狭めていた腿に阻まれて有効打とならない。
 意識が薄れていきそうになり、これが最後のチャンスだ、と右足を振り上げる。再び股間狙いか、と判断した運び屋は股間を足でガードする。意識が下半身に向いた瞬間を見計らってガーネットは左足で地面を思い切り蹴り、ブランコのように前方に浮かび上がる。するとその勢いに引きずられて運び屋の腕が伸びる。隙間が空く。そこに振り子のように体が落ちる勢いを利用して前回りの要領で回転し足を振り回し、運び屋の顎を過たず打ち抜く。
 運び屋は白目を向いて後ろに倒れ、ガーネットは蹴り上げた勢いのまま前方に転がったが、着地して振り返り、運び屋に駆け寄る。そして意識を失っていることを確かめると、男の着ていたジャケットを脱がせ、ナイフで切り裂いてひも状にし、男を縛り上げる。
 男の頬をひたひたと叩き、意識を取り戻させると、ガーネットはナイフを片手に男の前にしゃがむ。
「誰の依頼?」
 運び屋は徐々に意識がはっきりしてきたのか、頭を振って視界を定めると、ガーネットを見た。「それを明かす殺し屋がいるか」
 いないわね、とにっこり笑うと、ガーネットはナイフを爪の間にすっと差し込み、回転させながら奥に突っ込む。爪は剥がれて弾け飛び、ナイフは指の肉を第一関節まで切り裂いた。
 さすがに訓練されていると見えて、男は唇を噛み締めて悲鳴をあげないよう堪えている。だが額には脂汗が滲み、浅く荒く呼吸していた。
「じゃあ質問を変えようかしら」
 ガーネットはゆっくりとナイフを引き抜く。
「あなた、他社の回し者じゃない?」
「ち、違う」
 ふうん、と疑わしそうな目で眺めると、「嘘つきには罰を与えなくちゃ」と先ほどと同じ苦痛を与える。男は堪えきれず、絶叫を上げる。
「さて、正直に答えないと、もう少しだけ痛い目にあってもらうけど」
「話す。話すからやめてくれ」
 ガーネットはにっこり笑うと、「いい子」と耳元で囁いて立ち上がり、空を見上げて「あっけないなあ」とつまらなさそうに唇を尖らせて呟いた。
「じゃあ、あなたは誰の依頼で動いているの」
「あ、あんたらがカクタスと呼んでいるフリーの殺し屋だ。奴は今腕利きを集めてチームを作り、ある目的のために動いている」
 カクタス。あのすれ違った男。灰のような血の臭いがした男だ。山ほど屍を築いてきた男。彼からは血の他に臭い、虫の臭いがした。常にいらいらぶんぶんと不満を抱えた、虫の臭いだ。
「あなたはいつから会社を裏切ってたの」
 運び屋はぐっと言葉に詰まったが、ガーネットがナイフの刃を閃かせると、「三か月前からだ」と吐露した。
「金で買収されたんだ。今の会社の三倍出すと言われてな。カクタスが作る凄腕のチームというのにも興味はあった。俺は一生運び屋で終わる器じゃない」
 ガーネットはくすくすと笑って、「そう? 運び屋が分相応だったから、あなたはそこでそうしているんじゃないの」と嘲った。
 運び屋の面に怒りの色が一瞬花火のように浮かんだが、すぐに萎んで消えた。
「カクタスの狙いはなに。会社を潰すこと」
 いいや、と運び屋は首を振った。「カクタスは会社なぞ眼中にない」
「じゃあなに」
「あんたが受けた依頼だ。女を殺す依頼」
 ああ、とガーネットはスマートフォンを取り出して矢崎秋奈の写真を表示し、「この人ね」と運び屋の眼前に突きつける。
「そうだ。カクタスもその女を狙っている」
「競合ってこと」
 運び屋は頷く。「だが、その女を殺す仕事がどこから下りてきた仕事なのか、カクタス以外は知らない」
「時々依頼人が複数に仕事を依頼して、バッティングすることがあるけど」
「俺には、カクタス自身がその女を殺したがっているように見えた。なにせ、他社が殺さないように、俺たちを使って殺し屋を始末させていたぐらいだからな」
 なるほど、少しずつ見えてきた、とガーネットは頷く。
「わたしのところに依頼が下りてきたから、殺そうとした」
 そういうことだ、と運び屋は頷く。
「矢崎秋奈とは何者なの」
 運び屋は肩を竦める。「さあな。だが、一か月前に交通事故で死んだはずなんだ」
 ガーネットは怪訝そうに首を傾げる。「死んだ? でも依頼が」
「俺たちも分からないのはそこなんだ。どこの会社がやったか知らんが、矢崎秋奈は死んだ。なのにカクタスは生きていると信じて疑わない。その根拠も、俺たちに教えてはくれない」
 課長に頼んで裏を取る必要はあるだろうが、運び屋たちが死んだと考えるくらいならば、死んだと判断できる状況なのだろう。だが、その状況下にあってもカクタスは信用しない。死を偽装して生きているとでも考えているのだろうか。一般人にしか見えない朗らかそうな女性が、そんな工作など必要な理由も分からないし、できるとも思わなかった。
 いや、こうして考えるのは課長の仕事だ。自分はただ下された命を執行する、刃でさえあればいい。だが、殺す標的が死んでいるのでは殺しようがない。嫌が応にも考えさせられる状態を、ガーネットは身震いしたいほど嫌悪した。
「じゃああとは、あんたたちカクタスの手下の構成を聞かせてもらおうかな」
 いや、と明らかに狼狽した。「喋ったら殺されちまう」
「今殺されるのがいい?」
 運び屋は獣のように唸って、汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔で懇願するようにガーネットを見た。そして、彼が口を開こうとした瞬間、運び屋の額に穴が空き、彼はぐるりと白目を向いてうつ伏せに倒れた。
 ガーネットは飛び退いて木立に隠れると、身を低くして様子を窺った。牽制のつもりか、三度発砲してガーネットがいた辺りに着弾すると、銃撃は止んだ。
 舌打ちして、課長に電話をかける。
「どうした」
「会社に裏切者が入り込んでいる。カクタスの手先よ。一人押さえたけど、仲間に始末された」
 課長は深いため息を吐き、「無事か」と訊く。
「ええ。それからさっきの任務だけれど、標的の矢崎秋奈は既に死亡しているらしいわ。だけど、カクタスだけがその死を疑っている。そしてカクタスも彼女を追っている。他社の殺し屋を始末してまでも、彼女を殺すことにこだわっている。今回の依頼、依頼元とかよく確認した方がいいかも」
「……分かった。そうなると矢崎秋奈の死を調査部が見抜けなかったとは考えにくい。カクタスは他社が動かない方が都合がいいのだから、カクタスとは別の動きで、今回の件暗躍している人間がいそうだな」
 そうね、とガーネットは頷きながら言って、「わたしはわたしで矢崎秋奈を追ってみるけど、考えるのはよろしくね」と伝えて電話を切る。
 ガーネットは闇に紛れ、その場を離れる。スマホの地図で確認すると、町が数キロ先にある。歩いて行けない距離ではない。車は雑木林に突っ込んで煙を上げているからもう頼りにはならない。
 歩いていると、暗闇に包まれた道の先に、何かがうろうろしているのが見えた。暗くてシルエットが判然としないが、さほど大きくはなさそうだ。狐か、猪か、と警戒しながら近づいていくと、闇の中に白銀に反射する目がぼうっと浮かび上がり、やがて黄金の毛並みが美しい犬が現れた。
 犬。とガーネットはその姿を認めると、覗き込んで首輪をしているか確かめる。どうやら首輪をしているので、飼い犬のようだ。どこからか逃げ出してきたのだろう。だが犬には疲れた様子もやつれたところも見当たらないので、逃げ出してすぐかもしれない。
 ごめんね、構ってあげられないの、と犬の頭を撫でて先を急ごうとすると、犬は尻尾を激しく振りながらガーネットの後をついて歩いてくる。賢いのか、一定距離を空けて、ガーネットの歩く速度に合わせてついてくる。
 困ったな、と頬を掻きながらしばらく歩いて、立ち止まる。
「町まで、一緒に行く?」
 ガーネットがそう訊くと、犬は嬉しそうにわん、と吠えた。
 うーんと腕を組んで考え込み、「名前がないと不便よね」と犬の前でしゃがみ込み、頭を撫でて考えた。
「カフカ。あなたはカフカ」
 ガーネットがそう名付けて、カフカ、と呼ぶ度カフカは返事をするように吠えた。
「気に入ったのかしら」
 ガーネットは微笑み、カフカの頭を撫でると立ち上がって歩き出す。その後ろを忠実な護衛よろしく一定の距離を保って、カフカがついて行く。
 月が煌々と、夜空に浮かんでいる。目指す街は、月明かりに微睡むように眠っていた。

〈続く〉


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