隠れオタクの本音と建前に少しの初恋をブレンドしました(11)【創作大賞応募作】
あらすじ&1話 ↓
第11話
『若槻さん? ど、どうしたんですか?』
高杉の声が聞こえたのと同じタイミングで、父が外から扉を叩き始めた。前に置いたチェストと扉がぶつり、ガンガンと激しい音を立てる。
「助けて」
『え? た、助けてって、な、何があったんですか?』
扉を押す父の力が強くなり、私は後ろを向いて足を踏張り背中でチェストを押さえた。今度は扉を蹴っているのだろうか、大きな音と同時に重い衝撃が伝わってくる。
「お願い、助けて……」
溢れてきた涙で言葉が途切れた。
また強い力で扉を押され、驚いた拍子にスマホが手から滑り落ちる。
「あっ」
一際大きな衝撃と共に、チェストがまたこちら側へとズレてくる。
高杉! たかすぎっ。
手の届かない位置にあるスマホを見つめて、私は心で叫び続ける。
しばらくの間、なんとか踏ん張り抜いてチェストを抑えていると、家の中にチャイムの音が鳴り響いた。ボタンを連打しているのか、甲高い機械音が次第に大きくなる。
父が、扉を蹴るのをやめた。
「すみませんんっ! 高杉と申します! わ、若槻さん……燈子さん、いらっしゃいますかっ!」
そして、大声で私を呼ぶ高杉の声が響く。
「燈子、誰か来ているぞ」
他人の声を聞いて冷静さを取り戻したのか、父の声が普段通りに戻っていた。父は世間様が第一だ。家族以外の前で、絶対に乱暴な態度を見せたりしない。父が扉から遠ざかっていく気配を確認して、私はチェストを引き摺り扉を開けて階段を駆け下りた。
急いで靴を履き、外に飛び出す。夜の冷たい風が一気に吹き込んできて思わず目を伏せた。瞳を開けると、襟がダラッとよれた白いセーター姿の高杉が、肩で息をしながら立っている。
助けて、と言った。
それでも、本当に来てくれるとは思っていなかった。
「どうして?」
「前に……話したじゃないですか。電話で……、僕と若槻さんの家は、近いねって」
高杉は思い切り息切れしていて、鼻も頬も手も真っ赤になっている。後ろには道路に転げたままの自転車があり、その後輪は今も音をたて回転していた。上着も羽織らず、こんなに寒いなかを、全速力で走ってきてくれた事が容易に想像できる。
「だけど……」
「河を挟んで、駅からの距離は一緒だねって、話したじゃないですか」
「話したけど」
「三丁目なら自転車だと……五分だねって、だから全速力だと……一分です!」
まだ息が整わないのか、高杉は肩で大きく深呼吸を繰り返している。
「それでも、本当に来ると思わないじゃん」
「あなたがっ……僕の名前を呼んだから!」
高杉の言葉に私は息を飲む。
いま何か言葉を口にしたら、この場で泣き出してしまいそうで、私は無言のまま高杉の横をすり抜け歩き出した。
「あ。若槻さんん! あの……」
追いかけてきて。
心でそう祈りながら早足で歩いていると、自転車を押して後をついてくる高杉の足音が聞こえた。それに安堵して、私は近所の公園に入る。
ブランコが一つと、鳩の糞で汚れたベンチが一つしかない小さな公園には誰もおらず、怖いくらいの静寂が広がっていた。ブランコの鎖を引くと、耳障りな金属音がやけに大きく反響する。
「若槻さん……」
寂しい空間に、高杉の柔らかな声が通り抜ける。それだけで、不思議と空気が優しくなった。ブランコに腰を下ろし左右の鎖を握りしめる。その手がまだ、小刻みに震えたままだった事に気付いた。
「うちの家族ね……壊れてるの」
何とか言葉を引っ 張りだして高杉を見上げる。
「お父さんも、お母さんも、私も。みんな必死になって隠さなきゃいけない事ばっかりでっ」
そこまでは言えた。
ただそこまで話すと、突然溢れてきた涙で言葉が詰まる。
泣きたくなんかない。
「若槻さん……」
泣きたくなんかないから。
「大丈夫って、言って」
「え?」
「あんたの声で、大丈夫だって言って!」
そうすれば、本当に大丈夫になるから。
涙で滲んだ視界で高杉を見上げる。突然吹いた強い風に目を閉じると、瞳の中いっぱいに溜まっていた涙が溢れ頬を伝い落ちていく。
「言ってよ! 早く! 言いなさいよっ!」
思い切り叫んで八つ当たりする。そんな私の震える手を、高杉がそっと、上から包み込むように握りしめた。
「大丈夫……大丈夫です」
その声が鼓膜を震わせ、胸まで響いて小さく疼く。その途端、色んな感情がいっぱいになり、私は高杉の前で小さな子供みたいにぐしゃぐしゃに泣いた。
「呼んでください」
しゃがみ込んで私と目の高さを合わせた高杉が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あなたがそんな風になる時は……そんな風に泣いてしまう時は、僕を呼んで下さい」
高杉の言葉が、外側の皮膚から順番に身体の中心へと沈み込んでいく。
「僕の声で、大丈夫を届けにきます。何度でも来ます。必ず来ます」
からっぽだった私の心が、一気に満たされていく。私の中の強気や元気。そして、人が笑う為に必要な成分が百パーセントに回復していく。
「高杉のくせに、ちょっと、カッコイイじゃん」
そう言って小さく笑うと、「……お、恐れ入ります」と、 高杉が照れ臭そうに頭をかいた。
「ありがとう」
来てくれて。
「ありがと、高杉!」
そう言ってもう一度笑いかけると、今度は恥ずかしそうに頬を染めた高杉が視線をそらした。
神の声は、私だけに向けられた言葉ではない。どんなに想い焦がれても、声優である遠い存在の神は、文字通り神様と同じ。手の届かない場所にいる。
『僕の声で、大丈夫を届けに来ます』
神様は呼んでも来ない。
『何度でも来ます』
神様は救わない。
『必ず来ます』
神様は……、もういらない。
神にそむいた夜。
私は、自分だけのヒーローを見つけた。
*
公園が闇に包まれる。
街頭が、まるで見計らったように橙色の光を放ち、私と高杉がいるブランコの周りを明るく照らしてくれた。
高杉のおかげで元気を取り戻した私は、買い物から家に戻っているはずの母が心配になり電話をかける。
「もしもし、お母さん! 大丈夫?」
突然の私の問いに、母が戸惑った声で言葉を返した。
「大丈夫って何が? 燈子ちゃん、今どこにいるの」
母の返答に胸を撫で下ろす。
どうやら父は、どこかへ出て行ったようだ。
「ならいいの。私は公園で友達と話し込んじゃって、今から帰るね」
そう言って電話を切り、心配そうな顔でこちらを見ている高杉に頷いた。
高杉と二人で夜の道を歩く。
先程までの出来事を思い返すと、途端に恥ずかしくなり口数が減った。
誰かに、家の事情を打ち明けたのは初めてだった。誰かの前で、小さな子供みたいに泣いたのも初めてだったと思う。
ずっと、誰にも見せてはいないのだと思っていた。自分には味方なんていない。弱さなんか見せてはいけない。助けてなんて、言ってはいけない。ずっと、そう思って生きてきた。
でも……。
ほんの少しだけ自分より高い位置にある高杉の横顔を見つめる。すると視線に気づいた高杉が、こちらを向いた。
「な、なんですか?」
「なんでもないよ」
「でも、こっち、見てましたよね?」
「見てないし」
「え? み、見てましたよ!」
「見てないって!」
私達は馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返す。ただそれだけのやり取りが、何故だかとても楽しかった。鼓動が、いつもより大きく飛び跳ねている。これって、もしかしてそう言う事なのかな。私は自分に問いかける。
これって、そう言う事だよね?
神への想いとはまた少し軸のズレた、そんな初めての感情に、笑いが込み上げてくる。
「ふふっ」
「え? な、何で笑うんですか」
「笑ってないし」
「現在進行形で笑ってますし」
「ふはっ。笑ってないから」
「どの口で言ってます?」
意外にしっかりと突っ込みを返してきた高杉から、私は逃げるように走り出した。
「あ! 逃げた。若槻さん、まっ、待って」
自転車を押して走りにくそうに追いかけてくる高杉を振り返り、私はまた一人で笑う。
「自転車、乗ればいいのに! なんで歩きにくそうにずっと押してんのよ」
バカだな高杉。でもめちゃくちゃ良い奴。
そしてごくごくまれに、ちょっとだけ格好いい。
「ふふっ」
そんな事を考えて、私は浮かれてスキップをする。
この感情は、人をこんなに幸せにして。この感情は、人をこんなに嬉しくさせて……。
人はそれを、恋と、呼ぶんだね。
ふと見上げた夜空の月が、静かに頷いてくれた。
そんな気がした。
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★第1話に各話のリンク有ります
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