友人になれた人を怒鳴り散らす夢を見た。

出会っている場所や環境が違えば、きっともっと仲良くなれた、友人になれたと思う人がいる。

人の出会いは運命の巡り合わせであり、あらゆる人の一つ一つの細かい決断の結果生まれる。

今まで出会った人、巡り会った人は、そういった意味で非常に深い深い縁があると私は思っている。その出会いによって楽しいことだけでなく、傷つけられることがあっても、それはむしろ縁があった人なんだと感じている。そして、何かをきっかけに縁は切れたり、切ったりする。

私はとある人との縁を切った。仮にその人をAと呼ぶ。Aとは1年以上会っていない。

そして昨日、私はAを怒鳴り散らす夢を見た。


私は基本的に、人を嫌いになることがない。
人間愛好家を名乗っているだけあって、割とどんな相手でも1人の人間としての魅力を感じる。価値観が合わなくても、「嫌い」になることはない。

しかし、本当に「苦手」になってしまう時、好きの反対は無関心と言うように、何の感情も湧かなくなってしまう。怒りや憎しみも無くなる。興味の糸がプツリと切れて、私の人生に関係のない人間になってしまう。ある意味、非常に残酷な無という感情である。


私はAと初めて出会った時、非常に興味深い人だと感じた。私とは歩んできた環境が全く違っていて、性格も価値観も全く合わなかった。それが面白かったのだ。

Aが表現するものも、誰かとAが話している様子も、どれもAの背景を想像して見ていると楽しかった。

私はAと仲良くなれると感じた。
しかし、出会った場所が悪かった。

その場所のコミュニティで、私はスケープゴートになってしまった。
私のマイノリティが受け入れてもらえない環境下であった。もちろん、私は自身のことをセクシャルマイノリティであると自認していたし、それによって社会的に様々なところでマイノリティに属する人間になってしまうことは分かっていた。でも、「私は本当に''マイノリティ''なんだ」と自覚したのはこの環境が初めてだった。

マイノリティであるがために、コミュニティのスケープゴートになってしまう。
それは、人間の本能的な部分で仕方の無いことかもしれない。
コミュニティとして動くにあたって、はみ出たマイノリティは非常に邪魔であるだろう。それに、組織論的にも、スケープゴートとして敵が1人いれば、それ以外の団結力は確固たるものになると考えられる。

私はスケープゴートでい続けることに限界を感じ、そのコミュニティと縁を切ったことで、自然とAと縁を切ることになってしまった。


Aと縁を切ってすぐにAの夢を見た。
私が必死に逃げるAを怒鳴りながら追いかける夢だ。
Aは何かに気づいたように怯えながら私から逃げる。Aは途中で自転車をパクって走るのだが、夢の世界なだけあって、自分の足で走る私は余裕で追いついてしまうのである。

私は普段全くと言って良いほど怒らないので、信じられないような夢だった。
任侠映画さながらの暴言巻舌ブチ切れをしている私がいて、起きてから少し笑ってしまったくらいだ。

それから1年近く経った今、またAを怒鳴り散らす夢を見てしまったのだ。

今度は前みたいなThe夢のような夢ではなかった。当時のあのコミュニティでスケープゴートにされている私が、私をスケープゴートにしたAに向かって正々堂々ブチ切れるリアルな夢だった。Aの胸ぐらを掴んで壁に押し付けて怒鳴り散らす私だけが、全く現実味のないものだった。

目が覚めてから、私はまた有り得ない夢にちょっと笑ってしまった。そして、なんだか少しスッキリしてしまっている自分に恐怖を感じた。

でも、やっぱりAに心残りがあるのだと感じる。
それは、我慢していたコミュニティでの理不尽さをAにぶつけたい怒りでもあるけれど、Aと仲良くなれたはずの後悔でもあるのだ。

縁を切ったことですっかり関心の無くなってしまったコミュニティなのに、縁を切ったAの夢だけは見てしまう。夢によって気付かされるのだ。Aにぶつかっていく熱量がこんなにあったと。

出会う場所が違えばきっと友人になれたのに、と心のどこかで落ち込んでいる自分がいる。

私はやっぱり、Aのことを嫌いになれない。


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