これが躁。

自己受容が過剰で、自己肯定が薄い。
地盤がグラグラなタワマンみたいな私のメンタルの根源。
そんな私が「楽しい」「面白い」「話したい」と思った人に、失礼極まりないことは重々承知の上で伺いを立てるお決まりのこの三つの文言がこちら。

「どうやって今のマインドになったんですか?!」
「人生のどん底っていつですか?」
「その底からどうやって立ち上がったんですか?!」

最低であろう、私もそう思う。
先に言っておくが、私は、他人が大好きだ。
それでも他人にはなかなか自分を受け入れては貰えない事の方が多い人生だった。当たり前かもしれない。
主原因として空気の読めなさは置いておき、
今では、他人の不幸を己への教材という名のエンタメとして消化していたのは否めない、他人の不幸を蜜に己を奮い立てて突き動かす雰囲気がが明け透けだった所も起因している気もしている。

いや、もっと根本的なところか。
シンプルに私がつまらない人間だったからであろう。

そんなつまらない私も、今やここ十年規模において客観的にも主観的に見ても「キツい」という言葉を認めて貰いたくなるような環境に急変する機会を迎えて早数ヶ月ほどが経つ。

自業自得も踏まえて暴かれ、裏切られ、見捨てられ、呆れられ……
ここからやり直そう。
今から変わろう。
他人は変えられなくても、自分は変われるから。
何度も何度も決意と自戒を繰り返す日々の中で、私は人からの信頼と仕事を失った。

だがしかし、
こんな今でも一緒に暮らしてくれる夫と言う家族は健康、
住む家と食い物がある、
しばらく路頭には迷わない蓄えが家庭にはある……
(私自身には借金があるのだが……)

今の自分にまだ【ある】物を数えればまだまだこれも大袈裟な表現になってしまうのかもしれない。
よく言われる言葉のとおり下を見たらキリがないので、今を人生の深淵だと私が泣き叫んだならそれを見て「甘ったれ!」「被害者面!!」などの感情がもしかすると読み手には現れるかもしれない。
けども。逆に言いたい。
だからなんだ。

そんな事が怖くて、今の今まで私には自分の中で消化もろくにしきれないままに考えないように、文字にも言葉にしないようにしてきた己の想いや感情、気持ちが沢山ある。
それを決めたのだ。言葉にすること。文字にすること。
誰か分からない誰かに気づいてもらおうと、決めた。被害者面したっていい。何故なら、気づいたのだ。
私は私の人生の加害者で、被害者だ。
そして、私は今躁状態である事にこうして気づくのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?