見出し画像

されど仲良き、は努力で作れる理想形なのではないのかな


社会生活の大先生、みつばちちん

人間には二種類ある。それはポジティブとネガティブだ。ゲーテの応用。

仕事上、多くのヒトと接してきてお願いや提案をしてきたが、打診時の返答が「いいですね! 検討します」「ちょっと無理かな、検討します」に分けられる。だいたいこれで先行きがわかる。OKをもらっても確認事項が多くて難航しそうだとか。しかしいちばん厄介なのは返事がない場合で、進捗すらわからず刈り取れない状態をキープさせるのは社会人としてどうなんだ、と憤る。一方、自分は打診を無視するのが日常だった。だって莫大な数の打診に対応するのは物理的に無理で。言い訳、すみません。

ポジにもネガにも、メリデメがある。メリットデメリット。デメリットだと、ポジ、詳細を見落としがち。ネガ、確認しすぎ。
たぶんポジさんネガさんとも、お互いのことがストレスの種になっている。
「結果うまくいけばいいのに、いちいちブレーキ踏んでうるさすぎる」
「どうしてそんなにおおざっぱで間違ったままで平気な顔していられるのかね」
お互いいなくなればいいのにと思っているに違いない。自分にない良いところがあるからこそ、黙っていられるというわけだが。

どうしても仕事で組まなければならない場合や、プライベートの人間関係でぶち当たってしまう場合なんて例は山ほどある。もちろん、ひとりの人間がポジもネガも持ちあわすのが当たりまえなので、場面ごとの相性ということになる。
仕事で同じチームになると、なるべく遠くにいたいがそうもいかない。仕事だからしょうがなく組むことになる。ストレスはどこか別で発散するしかない。

プライベートでは、友人関係なら、すぐ身を引いてトモダチでなくなるほうが楽だ。グループだとしたらそのあたりをゆるゆるっと薄めて、接触頻度を少なくすれば、なんてことはない。
問題なのは家族。夫婦でポジネガのベクトルが逆だったりすると疲労感満載で、単独行動をするようになる。それでも相手を認めて否定しなければなんとかなる。親子もしんどいところだが、親子は子どもが成長すれば離れるので、距離を置くことで関係を良好に保てると思う。どちらにしろ相手を尊重し否定しない、相手ではなく自分が行動することがコツ、というのが長年培った傷だらけの経験則だ。かさぶたにかさぶたが重なって涙も枯れた経験則。そこまでか?

そしてどの場合でも、悪口を共有しない。相手を否定するのは仕事上の議論でも超絶ロジカルにするのが礼儀なのに、そこに感情がからむとどうしようもない。聞くのもつらい。やめて~そういうことアウトプットしないで~! いじめなの? え、それに共感するんだ?! ここどこ? いまいつ? 壺に叫んで蓋をしろ。
君は君 我は我なり されど仲良き。理想論だが。

新しい環境に一歩を踏み出すとき、「されど仲良き」の関係性でいられたらいいが、と願ってしまう。気に入った物件に入ったら隣人と折り合いが悪かったとか。いくら条件のよい、わくわくする仕事が見つかったとしても、人間関係で辞めざるを得ないとか。一筋縄ではいかないことも多い。
初対面でも長年一緒にいたとしても、穏やかにすごすためには、いつでも気を緩ますことなく努力が必要なのだと思う。



いいなと思ったら応援しよう!