宮下凡庸

定年退職ちょっと前に会社を卒業する、神奈川住みの初老。自由を持て余して自分を見つめなおしたとき、何が起こるか。

宮下凡庸

定年退職ちょっと前に会社を卒業する、神奈川住みの初老。自由を持て余して自分を見つめなおしたとき、何が起こるか。

最近の記事

ゆっくり牛スジを煮込むことは、他人を受け入れることに近い

仕事を辞めたらなにしようシリーズ。 ひっちゃきに仕事して目を開けたまま寝る日々を過ごしていたころ、なかば口癖になっていたのが「暇か!」だった。 そんなのは時間がある前提の提案だろ。非効率すぎないか、どんだけヒトの時間盗む気か。そんなのんきなこと言ってんじゃねーぞ。もっとまとめて持ってこい。自分で調べろできるだろ。ひっくるめて「暇か!」。尖ってましたね。いやいまでもトゲありなのですが。 そしていま「暇だ!」になりつつあると、逆に、非効率なことをやってみようじゃないかという気に

    • 脱サラリーマンのあかつきには、シェア畑で野菜づくりの夢物語

      縁あって仲良くさせていただいているかたが、たびたび野菜を送ってくださる。大きな梨農園を営んでいて、たぶん他の果物や野菜もつくっていらっしゃるのだと思うし、生産者同士のつながりがあるに違いない。「ここのいちごが美味しい」と他の生産者のモノまで送ってくださる。休みが多くなったので、いつでも受け取れるようになってうれしい。 実は会社の先輩が新潟県の実家に帰って、こちらからも時々お米や野菜が送られてくる。米農家のご実家の一部で先輩が畑をやっているらしく、「趣味の野菜作り」とおっしゃ

      • 時間をかけてじっくりと大きいものをつくり出すのを、せっかちは待てない

        職場に、思ったことを全部しゃべるヒトがいる。本人にしたら全部じゃないのかもしれないが、聞いていると言いたいことを全部言ってるように思える。どうでもいいこと、答えがないこと、知らないヒトのこと、自分が知っていること、一度しゃべりだすと止まらなくなってしまうのだろうか。わからなくもない、慣性の法則もありますしね。でも自分の感情まで全部説明しなくてもいいんじゃないのか、何度も繰り返して。話すことで思考を探っているんだろうか。周辺を巻き込んで? ひとりごとを長いこと言っていると思え

        • されど仲良き、は努力で作れる理想形なのではないのかな

          人間には二種類ある。それはポジティブとネガティブだ。ゲーテの応用。 仕事上、多くのヒトと接してきてお願いや提案をしてきたが、打診時の返答が「いいですね! 検討します」「ちょっと無理かな、検討します」に分けられる。だいたいこれで先行きがわかる。OKをもらっても確認事項が多くて難航しそうだとか。しかしいちばん厄介なのは返事がない場合で、進捗すらわからず刈り取れない状態をキープさせるのは社会人としてどうなんだ、と憤る。一方、自分は打診を無視するのが日常だった。だって莫大な数の打診

        • ゆっくり牛スジを煮込むことは、他人を受け入れることに近い

        • 脱サラリーマンのあかつきには、シェア畑で野菜づくりの夢物語

        • 時間をかけてじっくりと大きいものをつくり出すのを、せっかちは待てない

        • されど仲良き、は努力で作れる理想形なのではないのかな

          退職時のストレスは、子育てのストレスと似ている、のか

          会社を辞める前に有休をとっている、この立ち位置の半端なこと。仕事の連絡を横目で見つつ、なまじ意見を言ったりすると、すごく面倒くさがられる、ように感じる。あ、いけないいけない。とはいえ連絡が来ないで仕事が進んでいるともう自分は必要ないんだとショックを受ける。もう引き継いだんだから当たり前だろうに。 サラリーマンは替えのきく歯車であれ、とことあるごとに自分に言い聞かせてきたのに、いざ外れるとなるとカラカラ空回りしている感じだ。自分の性分から、ひとりで掘り広げてカテゴリを作ってし

          退職時のストレスは、子育てのストレスと似ている、のか

          古い価値観をくつがえせるのも、生活のゆとりのおかげかも知れない。

          平日の自由時間をどう過ごすか。調子にのって美術館や博物館に行きがちではある。憧れの平日の美術展、すいていてじっくり鑑賞できるのではないかとの推測からだ。休みの日だとたいがい混んでいて、せっかちなのでかなり後ろから背伸びしてヒトの頭越しに全体像を観てヨシとしたりする。ゆとりある生活第一歩、平日のゆったり美術展鑑賞。 家族が歴史好きなので、つられて古墳まわりをしていたら歴史に興味がわいてきた。そのつながりで日本の伝統建築を勉強し始めたのだが、それはさておき。ずっと行きたかったト

          古い価値観をくつがえせるのも、生活のゆとりのおかげかも知れない。

          全方位選択におたつく老親は子に従え。

          あまりに自由であると、なにをしていいかわからない。選ぶのに苦労する。マーケティングの法則で、選択肢が多すぎると選べずに購入率が下がるという「ジャムの法則」というのがあるけど、その通りだと感じている。 子どもの主体性を重んじる教育方針で有名な学校に、小学校から子どもを通わせていた。いまでも保護者の会でずっとつながっている。 この学校では、自分の意見をどういうかたちであれアウトプットすることがかなり重視されていたように思う。小学校1年生からずっと、教科やライフスタイル、学則に至

          全方位選択におたつく老親は子に従え。

          性格による、退職前の態度について

          会社を辞める前の姿勢、というものにもいろいろあるらしい。あるひとは、ぎりぎりまで会議にも出席しあーしたほうがいいと意見を言って「明日から来ないから」って言ったんだ、と笑った。もちろん会社や部署にはずいぶん前から伝えていたのだが。ちなみにそのかたは役職がかなり上。 私はとにかくせっかちで、これはいかんともしがたい性分なのだ。小学生のころ母が知り合いに相談して、そのかたとふたりして「夏休みの宿題はゆっくりやれ」と諭された。にっこり笑ってうなづくも、なに言ってんだこいつら、と一歩

          性格による、退職前の態度について

          たくさんの「好き」の圧力に負けがち

          次になんの仕事をしよう、という贅沢な懸案事項を抱えている。ブラックかグレーかというと答えを突き詰めたくないような仕事をしていたのに、退職前の休みでいきなりホワイトアウト。このまま多摩川に流されて海まで行ってしまいたい欲望を抑えつつ、次の仕事を考えている。だからまとまりやしない。っていうか仕事する気あるのか正味なところ。と思いつつ、有休時期に出社しているんだが。 好きなことを仕事にしてちょっとだけがんばる、それが理想だよなと、先日鶴見のペルー料理屋で考えた。しかしそもそも好き

          たくさんの「好き」の圧力に負けがち

          考える前に飛んだあと、どうなるか考える。

          退職を前に休みをとって、平日に鶴見に行った。鶴見線が好きでたまに乗りに行くのだが、久しぶりの再訪。懐かしの沖縄料理屋ではなく、初めてのペルー料理屋に入ってみた。 平日昼間、ランチ時間もギリギリということもあり、客はわれわれのみ。豆の煮込みや牛肉とポテトフライの炒めものの定食を美味しくいただいた。いやびっくりするほど美味しい。ペルーと中華の店とのこと、まったく飽きない味だった。 中年の男性が調理をして、若い娘が配膳と会計。親子かな、と思う程度に似ている。ペルーの文化を紹介す

          考える前に飛んだあと、どうなるか考える。

          足るを知る、でも強めて行えなかったなあ

          老子ですね「足るを知るものは富み、強(つと)めて行う者は志有り」。欲をかくな、努力を続けると強くなるぞ(自分訳)。 ときどき思い出しては、だよね~! とかみしめています。置かれたところで咲けという渡辺和子さんのお言葉も、似たジャンルで受け止めていました。キリスト者の教えも同様なのだと。みんなそう言うんだからそうなんだね。 いまの状況をとらえて、不満だけではなく足りている部分を認める。そうすると、えてして自分や環境を否定ばかりしてしまうところに、ちょっとブレーキがかけられる。

          足るを知る、でも強めて行えなかったなあ

          街路樹の剪定だってマクロとミクロ

          どういう理由にせよ、樹が切られるということはなんだか切ない。 道路が大樹をよけて曲がっていたり、振り分けられていたりすると「樹を守った」という多くのヒトの感情を感じられてじんわりする。曲がった道路を利用する方は不便でもあるのだろうし、効率的ではないのだが。 散歩していてときどき出会う、大きく育った立派な街路樹は、その街の歴史や住民の生活を想像させるフックになる。先日そのような街路樹に「この樹は伐採します」という紙が貼られているのを見た。うわあ。こんな立派な樹、どこかの神社仏

          街路樹の剪定だってマクロとミクロ

          やりたいことってなんだ。なんだったっけ。

          35年ほどの会社通いは、刺激的な毎日であったに違いない。一見華やかに見える仕事ではあるものの、仕事というのはご存じの通り地べたを這いつくばって泥水をすすることも多い。まあそれなりのストレスは溜まった。だからかカラダも壊した。 定年退職を目視できる段階に入ったところで、仕事の区切りが来た。ちょうどいいタイミング、と、自己都合退職を決めてみた。それなりの波風は立ったが、意志を貫いてみた。思いのほか自分はガンコだった。 ただ、辞めたらなにをしたい、という希望が見つからない。やり

          やりたいことってなんだ。なんだったっけ。