見出し画像

3分小説『僕の記憶、彼女の記憶』

今日も日付をまわり、千鳥足で帰路につく。

「ああ、また飲みすぎた。」

何回目だろう。いつもの帰り道、いつもの反省会。ただ、明日の朝にもなれば開催された反省会の存在さえ記憶にない。回数を覚えていないのも当たり前である。

「今日は軽く飲んで、早めに帰るから」

飲み会開始直後に発するお決まりのセリフは、もはや宣戦布告と化した。本来の意味は、どこへ行ってしまったのだろうか。

お酒は常に強引である。こちらの都合も考えず、いつも飲ませてくる。

僕は飲みたくもないのに。

そう、僕は飲みたくないのに、お酒が飲ませてくるのである。そんな言い訳を思いつきながら、僕はいつお酒を飲めるようになるのだろうと考えていた。

自分の正当化を必死にしているうちに家の前に着いた。

家には、2年同棲している彼女がいる。彼女は結婚を考えている大切なパートナーだ。

1ヶ月後に盛大なサプライズプロポーズを考えている。その日のために、普段行けない高くておしゃれなレストランを予約し、婚約指輪も買った。

大好きなお酒を減らし、プロポーズのためにたくさんお金を貯めたのだ。
こんなに頑張れた自分への驚きとともに、彼女の存在の大きさを痛感していた。

残すところは、察しが良い彼女にバレないように当日を迎えることができれば、サプライズは大成功である。


また怒られるのかと思いながら、家の鍵を開ける。
飛んで火に入る夏の虫はこんな気分なのか、とこれからの僕の人生で知っていても知らなくても関係ないであろう学びを得た。

家に入ると、彼女は洗い物をしていた。

「ただいま」

素面の振る舞いで、自分の存在を示す。

「おかえり。また結構飲んでるじゃない。」

扉を開ける前にシミュレーションしたいつも通りの表情、声のトーン、仕草は彼女には通用しなかった。

「ほんと気をつけてよね。お店の人とかに迷惑かけてない?あなた酔っ払うと変なこと言ったりするんだから。」

僕は酔うと変なことを言うらしい。
酔ったとき大抵の記憶の無い僕は今後の改善のため、そして、急に高まった自分への興味を抑えられなくなった。

「変なことって?結婚しようとか?」

ちょうど考えていたこともあり、冗談ぽく聞いてみた。サプライズの成功を考えると匂わせることもしないほうがいいのだが、
おもわず言ってしまった。お酒は心底怖いものである。

「それは、何度も言われてる」

僕は目を大きく見開いたまま、一瞬固まった。僕は酔う度に結婚しようと伝えていたのだ。

それは、大切な話は酔った時にしないと決めていた自分のポリシーまでも覆していた。

これまでのサプライズプロポーズの準備は何だったのか。なんという失策。

僕のサプライズ計画は、すでに過去の自分によって潰されていたのである。

とはいえ、サプライズの失敗確定よりも大切なことを聞かなければならない。
物事の切り替えが早くなる店は、お酒のメリットだなとふと思う。

僕は見開いていた目を通常サイズに戻し、丸まった背筋を伸ばしながら、恐る恐る言った。

「返事聞いてないけど?」

彼女は何も言わず、洗い物へ視線を戻すとコップに水を注ぎ、僕に差し出した。

「はい、これ飲んで早く寝なさい」

僕は差し出された水を一気に飲み干し、ベッドに潜った。

今日の出来事も起きたらまた忘れていそうだなと思う。

ただ、コップに水を注ぐ時に見せた彼女の恥ずかしそうで嬉しそうな微笑みを浮かべた表情だけは、朝になっても覚えていそうだ。

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,460件

#ほろ酔い文学

6,044件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?