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近代と現代の差:疫病と美術と技術革新

今回のお話はNHKの日曜美術館にインスパイアされて書かせてもらう。

日本は近代の到来は遅かった。というのも、政治は政(まつりごと)であり、王権神授に基づく信仰の元で治世は治められていた。だからこそ平和な村社会と鎌倉幕府から続く封建制度は19C後半に至るまで長らく続いてしまった。一方で、その環境がアメリカやイギリス、フランスといった当時の産業革命先進国の研究の的となり、文化人類学の学者が幕末から明治の動乱にかけてこぞって日本にきたわけである。(一方で土木工学などの実学の学者は日本では割と当時では良い報酬体系と一旗上げようとしたという背景もあるが・・・)

その日本で少し巷で人気になりつつあるのが妖怪アマビエだ。アマビエは疫病から身を護ってくれる妖怪である。しかし、このアマビエに頼るという構造が3.11以降諸外国から奇妙に思われた他力本願思想を物語っていて、これぞ近代に移行する時に継承された日本の豊かな文化である。

祈るというのは、難しいテーマだ。

祈りによって、文化は栄るが、一方で問題解決のための思考を停止させる。

また人々の祈りは風刺に現れ、後世に当時の人々の心境や生への尊さを伝え、あらゆる世代の人々にその人生観を回顧させるきっかけを与える。

そういった意味で芸術は必要である。しかし、芸術の一方で技術も進歩されねばならない。かつてペスト(黒死病)によって後退した西欧キリスト教文化は壊滅的な打撃を受けたが、一方で収束後はレコンギスタや大航海時代、ルネサンスというイノベーションの時代へと移って行った。

何かがある度に人間は己の力でそれを乗り越えてきた。

どう乗り越えてきたかと言えば、これこそギリシア時代はテクネー、現代ではテクノロジーと呼ばれる業だ。『はじめに業ありき』と書いて消すという描写は、ゲーテの『ファウスト』に出てくる。この業とはまさに、ゲーテの時代、つまり18C後半のフランス革命前夜から19Cのウィーン体制、諸国民の春という独立運動に至る近代への変遷期であった。この近代では何が変わったかと言えば、人々は技術(数学)と再現性によって時代を乗り越える術を会得した。

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つまり、近代との差は、祈るではなく、その問題をテクノロジーで人間の手で解決したということである。

まずこの二つの絵を見て欲しい。

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上は中世キリスト社会の宗教画で下はルネサンス期のミケランジェロの絵だ。

上の絵に比べて、下の絵はキリストがより人間らしくなっていく。つまり、ルネサンス=ヒューマニズムとはまさにこのことで、人類が難題解決のための技術を手にした(あるいは古代ギリシア・ローマの技術を再発見した)ことを意味する。

今回のコロナ騒動もおそらく、人類の社会環境を一変させてしまうだろう。しかし、少なくともその革命は、もうすでに問題としているタブーに対するアンチテーゼが解決策になるはずだ。

これは、新自由主義なのか、都市集中なのか、それとも既得権益といったどの問題が対象になるかはわからない。

しかし、それを風刺する絵が出てきた時、我々は何かのヒントをそこに見出さなければならないだろう。

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