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マイフェイバリット探偵小説 昭和初期篇【5】

<昭和初期篇>と日本の元号でタイトル書いてますが、今回はちょっとアメリカに飛びます。
(最早、昭和初期からもずれている)

ウィリアム・アイリッシュ(1903ー1968)
又の名を、コーネル・ウールリッチとも。

しかしてその正体は?みたいな感じですが、ペンネームがいくつかあって、作品ごとに違っているということみたいです。

日本で特に有名な作品「幻の女」ウィリアム・アイリッシュ名義で書かれていたため、国内ではこちらの名前で主に出版されています。
でも、実はコーネル・ウールリッチの方が本名だったしします。

乱歩も大好きだったという「幻の女」
翻訳を待ちきれずに、個人で原書を取寄せて読んだそう。

冒頭のポエティックな名文は有名です。
「幻の女」といえばこれなので、新訳版でも変更なし。

夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。

早川書房刊「幻の女」稲葉明雄 訳

身に覚えのない罪で死刑宣告を受けた男を救うため、その友人が無実を証言できるただ一人の人物(幻の女)を探すという物語。
各章のタイトルが「死刑執行前○○日」と日数がどんどん少なくなっていくので、最後までハラハラドキドキしっぱなしです。

アイリッシュの面白さは、追われる者の心理が追体験できる所。
スリルとサスペンスがこれでもか!と追いかけてくる。
そして、物語全体を包むように切ないメランコリックな雰囲気が漂っているのです。

アイリッシュのサスペンスには、トリックそのものの面白さとは別に、感情を揺さぶる何かが含まれています。
主人公の心理描写から滲む哀しみのようなものが、読んでいるこちらまで伝わってくる感じがするのです。
それは決してべたべたしたお涙頂戴の作り物ではなく、自然と溢れ出た作者の内面的なもの。

作者が秘密にしている人生の影のようなものは、エッセイでは隠せるけれど、小説では隠せないと聞いたことがあります。
アイリッシュの本を読んでいると、物語の中の登場人物に作者本人の人生がオーバーラップしてきて、とても切ない気分になります。
でもそれは、決して嫌な切なさではなく、とても美しい、心地のよい切なさです。

評伝を読む限り、アイリッシュは孤独を愛する人でした。
小説家としては大成功を収めて十分な名声と富を得た人でしたが、年老いた母と二人のホテル暮らし。一人になってからも自分の家を持たず、亡くなるまでホテルに住み続けました。
その影響からか、ホテルを題材とした作品もいくつか残しています。

その一つが、ホテル専属の探偵ストライカーが登場する「アンセルム913号室」

この作品が収録された「ホテル探偵ストライカー」は、<集英社文庫><世界の名探偵コレクション>の一つなのですが、2024年現在、古本のみです。

当時(1930~40年代)のアメリカのホテルの雰囲気が伝わってくるので、読んでいると、タイムトラベルと海外旅行を同時にしているような気分になります。
トリックはそこまで精巧ではないかもしれませんが、古き良き時代のミステリーという感じで楽しめます。
(その他、ヒッチコックの映画で有名な「裏窓」なども収録されています)

シリーズ物という訳ではないので、ストライカーは、いわゆる明智小五郎のような名探偵のカテゴリーに入れられるものではないように思います。
(アイリッシュのドライさからは、名探偵は生まれないような)

ただ、同じホテルを舞台にした「聖アンセルム923号室」という連作もあり、探偵シリーズというよりも、ホテルシリーズと言った方がいいのかもしれません。

私はまだこれ手に入れていなくて、いつか読みたいと思っているのですが…。913号室と923号室を一緒にして再販してもらえたら有難いなあ…。<ハヤカワ・ミステリ>さんとかで…。お願いします…。

とにかく、まあ、アイリッシュの作品は、古いからということもあるのですが、有名な長篇以外は絶版のままで、読みたいものがなかなか手に入らないという難点があります。

<白亜書房>「コーネル・ウールリッチ傑作短篇集」全6巻には、ぐっとくるいい短篇がこれでもか、と収録されています。
(はい、これも絶版です…)

日本で出版されているのはほとんど、<ウィリアム・アイリッシュ>名義なのに、この短篇集は<コーネル・ウールリッチ>で通している所もぐっときます。
<白亜書房>さんのそういうところ好きです。

私が読んだことがあるのは、その4巻目の「マネキンさん今晩は」という本なのですが、その中で特に好きなのが「毒食わば皿まで」「睡眠口座」です。
どちらもハラハラドキドキ逃げろ逃げろ!みたいなお話ですが、結末は対照的。(前者はかなり切ないです)
何回も読みたくなる、余韻の美しい短篇たちです。

なんとなくですが、アイリッシュを読んでいると、エドワード・ホッパーの絵が頭に浮かんできます。

静かで淡々としている中に、切なさ(あるいは不気味さ)が漂っている。
同じ時代の同じ国にいた人たちだから、なんらかの共通感覚があるのかなと思ったりします。

日本でいったら、大正末から昭和の初めにかけての時代。
いわゆる探偵小説黎明期ですね。
乱歩が蔵に籠っていた頃、アメリカはこんな感じだったのだなあと。
あれこれ思いを馳せてしまいます。

とにもかくにも、絶版のままになっている作品が新訳で甦ることを祈るばかりです。

(続く)


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