病み垢について、精神科医の視点から

患者間オンラインコミュニティを運営しているMilk cafeスタッフのみなさんとお話しする機会を頂きました。

https://www.milkcafe-welcom.com

そこで話題にあがったのは、「病み垢」なる存在です。

twitterでの「精神的に不安定な内容のツイートをする人のアカウント」というのがよくある定義なようです。

病み垢なるものの存在はほとんど知らなかったので#病み垢で調べてみました。

そこには10代を中心とした、誰かとつながっていたい、でもつながるのもこわいという相反する複雑な気持ちが見て取れました。

リストカットなどの写真も多く載せられていました。きっと苦しさに気づいてほしい、そういう気持ちが背景にあるのでしょう。

そういう場所が僕はあっていいと思います。日本の自殺率はここ最近は低下傾向で、このようなSNSのセーフティネットとしての役割も大きいと思います。

しかし現代は以前とは違った生きづらさがあるように思うのです。

弱い部分を見せるというのは私のような昭和生まれの人間には少し苦手なことです。そのような場所もありませんでした。そうなるとその感情を抑圧して行きていかなくては行けない。一世代前では、弱っている人に寛容な社会ではあまりなかったと思います。それは自殺率の高さに現れていたと思います。

今の社会も私たちに寛容ではないです。

そう思われる10代の方は多いでしょう。

それはあなたのヒーローとの距離が近いことに由来する者だと思います。

今も昔も、だれもにヒーローがいました。かつては日本には将軍、天皇陛下がいました。ヨーロッパではキリストがいました。直接はなせないけど常に心の中にいて、「●○様、力をお貸しください」など心の中で叫んだりしていました。

内なるヒーローとでもいいましょうか。

でも今はSNSでだれか、あなたのヒーローに直接声をかけることができます。そうなれば当然返事を聞きたくなるものです。

昔は返事など期待しません。ただ一方的に祈り、お願いをしていました。

今は返事を聞くことができるし、フォローバックなんてされようものならずっと近くにいてほしい、あなたは私のヒーロー、と期待してしまいますよね。

しかしtwitterというところは、#病み垢で検索した人が沢山でてきて、そのだれかと継続的に連絡をとるという構造にはなりにくいのではないかと思います(フォロー、フォローバックの関係になると少し違うのかもしれませんが)。

そうなると、継続的にだれかとつながることが難しいので、それは寂しい気持ちを一時は満たしてくれてもまたすぐに寂しさがより強く襲ってくると思うのです。小さな分かれと出会いを何度も繰り返すことで、その度に神経は徐々にすり減っていってしまうと思います。

でもいまはそういう場所しかないし、そういう場所があるからこそ多くの人が救われているのだと思います。

今、昔のように、自分の気持ちに蓋を閉めて強く生きましょう、なんて考えは古い考えだと思います。そんな時代には戻らないと思います。上手にSNSとつきあう必要があると思います。

居場所はいくつもあっていいと思います。

僕は僕の活動としてまた別に、10代の子が継続的にだれかと、ヒーローとつながっていける場所、というのを作っていこうと思っています。

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