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怒ることが嫌いで制御したいなら映画を見よう!?本を読もう!?

「どうしていつも怒らないの? 自分への苦痛に慣れているのね」。映画を見ていたらそんなフレーズが。とても気になった。

犠牲になった仲間の為に不正を許さない真っ直ぐな男。結果、自分が損することが多々起きる。が、受け止め、常に自分は後回し。利他主義が先に行く。そんな彼に好意を寄せる女性の言葉。

怒らないのは、苦痛に慣れているからなのか? 考えてしまった。

ボクも怒るという感情は嫌いです。うっかり怒ることも無くはないのですが、原則しないです。もちろん、指導したり、注意したり、問題提起したり改善は目指したります。「怒らない」と「無関心」は違います。

で、どうして怒らなくて済むのか理由は不明で、そう成長してしまったのだと思っていました。梨は好きだけどさくらんぼには興味が無い、お酒には最初から弱い。そんなのと同じで理由は不明だと。気づいたらそうなってしまったのだと。

でも、これを機に考えてみました。怒らなくてすむ、なぜなら:
1.他人の言動で自分の感情が怒るというマイナス感情に陥るのが嫌い。自分の心は自分で制御したい
2.「怒る」と「慌てふためく」は類似で、余裕が無くて未熟で格好悪いと思う
3.実は自分側に原因があったり、単なる誤解が原因だったりする
4.怒らせる言動の背景には納得できる理由があったりする
5.相手が怒ってきてそれに便乗するのも格好悪いから。相手はもしかして感情を自制できない病気かもしれないし、相手が育った環境が怒りやすいひとをつくったのかもしれない。それに反応してこっちも怒るとこっちも病人

それと、この「苦痛に慣れたこと」も理由なのだろうか。。。

・病院のケアレスミスで親が亡くなっても怒らない
・大切な結婚式を参加者の粗相で台無しになっても怒らない
・高速で割り込まれて事故になっても怒らない
・リストラしたくせに自分の給料は減らさない経営陣に怒らない
・自分は何もしていないのに誤解ですごい勢いで車内で怒鳴られる

これらは苦痛だ。人生の回数から言って慣れることはない。でも一方で、こんなことは世の中に多々あるさ、とも容易に思える。起こりえないことでは無い。それにこの苦痛が起きる前に回避できる何かをしなかった可能性もあり、全く自分に原因が無いとは言えない、とも思える。

でも、どうして、こういう考えができるのだろう?

行き着いたのは、自分の経験としてはかなり稀少だけど、他人の経験を聞いたり、映画や小説やドラマなどで多々経験している、と。映画大好き、ドラマも見るし、読書も大好き。それに、愚者は経験に学び・賢者は歴史に学ぶ、歴史は繰り返す、事実は小説よりも奇なり、1度あることは2度ある、3度ある。そんな格言も知る。格言と映画などでの二次的経験の相乗効果。

だから、結局、慣れているのだ。ボクは慣れているのだ。慣れているから怒らずにコントロールできているんだ。小学生から1人で映画館に行き出したんだもの、沢山見ている。たぶん赤ちゃんの頃は怒っていたんだろう。

慣れは人によって当然に差がある。特定の苦痛に慣れていないひとも当然にいる。ボクと同じ側で誰かに怒っている仲間に対し、その怒りを理解できるし、逆にボクに怒ってくるひとについても理解できる。目の前の問題になっている現象に慣れていないから、って。わかりやすい。

ということで今後更に怒りをコントロールできるような気がしたのでした。映画・ドラマ見る、本を読む価値ありますね。あれ、でも、感動する映画は何度見ても、結末知っていても感動するなぁ。。。

職場を良質にするコンセプトv6_40
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

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