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親の形見や遺言。物や文字で遺るから意味がある? 心で感じていればいい?

若くして亡くなった父親の形見の年代物のポルシェを大事にしている友達がいる。今はほとんど見ないクラッチを踏んでギアを変えるマニュアル車。燃焼不良もあるのか、マフラーから火を噴く。。。たまに。。。

しかし、何十年を経て、エンジンは変わり、マフラーは変わり、シートも変わり、ステアリングも変わり、バンパーも変わり、ドアと窓も変わり、各種パーツが変わる。ダイヤやホイールはもちろん違う。もし、外から見えるメインのボディも変わったとしたら。あ、色は変わっている。。。

父親にもらった時と同じ部分はどこに残っているのか。でも、そんなことはどうでもいい。思い出をこのクルマに投影しているのだから。シンボルだもの。気づいたら見た目がポルシェでなくなっても、オートマになっていても、それでもいい。父親の形見。

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別の友人のお話。母親が好きで大切にしていた本を実家から持ちかえり、自分の本棚で大切に保管。母親の形見。ある時、両親亡き後に姉夫婦が住んでいる実家に行った。もう10年以上行っていなかった。あれ、本棚にその本がある。あれ? なんであるの? 姉も特に気にしていないけど、ずっとあるような気がする、とのこと。

パラパラすると古さがあり、発行日を見るとこれが本当の母親の本のように思える。あれれ、自分が持っているのは自分で買っただけ?

でも、もはやいいのだ、交換するのも変な話だし、今、家にある本が母親の形見なのだ。

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ボクのお話。同じく母親が亡くなる近くに、「女性と後輩にはやさしくしなさいよ。ちゃんと奢りなさいよ。そのためにも稼ぐのよ」的なことを言われた。男女差別とかではなくて、単にひとに優しくしなさいよ、という主旨だと思う。

「わかったよー」と答えたので、今でも職場などで後輩とご飯に行く時は奢っている。志賀直哉の「小僧の神様」的な気持ちもあるけど、ま、だいたいみんな喜んでくれるからいいんじゃないかなと。

兄にこんな話をしたら、「あっそう? そんなこと言ってたんだ? 自分は言われてないなぁ。いつ言われたの?」と暗に疑問を呈す。。。

もはや本当か嘘かは不明。が、これもまた事実かどうかはどうでもいい。気持ち。母親はそんなことを言いそうなキャラだし、自分は聞いて返事した記憶があって、その発想が素敵で好きだから、いいのだ。遺言なのだ。

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職場にいると「客観的か?」とか「ファクトか?」とか「定量的に示せ!」とか、うるさいなぁー、もう、って感じもします。当然に数字は大切です。事実がわからないと企画も営業も何もできません。計算書つくって、税金収めないとですし。一応、ボクも経営コンサルやら起業・経営したからわかります。

でも、でも、「ひと」が「ひと」と一緒にがんばるのが会社・仕事。「ひと」は主観で感情的。それが事実。だから、これこそを大切にしたい。定量的なファクトを知りえても、「ひと」のやる気が起きないと、何も起きないもの。。。


読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_23)


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