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茶道を嗜む”快感”から学ぶ組織の束縛と自由(素敵なリーダーになりたい編_v4-56)

今日は、着物や茶道、俳句?に興味ある方と、同じく着物や華道や茶道に興味ある方と、3人でお昼を食べた。ただ、先生と呼ばれるような方々ではなくて、これらの分野をお仕事にされている方々。

ボクには全く疎遠な分野。着物も浴衣も着た記憶なく、茶道、華道、俳句などの経験も1度もない。「道」がつくことは、中学生のときに柔道を学校の体育でやったぐらいか。あと、書道か。他はない。

で、茶道に関する話のときにおもしろく深い話をしていた。

まず、茶道といっても、ぺちゃくちゃおしゃべりの会、そこらのランチの女子会みたいなもの、とのこと。え、そうなんだ。寡黙なのかと思っていた。びっくり。

で、本題。茶道には当然一定の作法・形がある。で、先生から、その〇〇の位置、おかしいわね。もっと右で、こっち向きですよね。じゃないとおかしいでしょ。凛としないわよね、みたいな指摘があるとのこと。で、盲従。それが心地良いのよ、って。

え、そんなのの一体、何が良いの?

こんな答えです。
自分がもちろん未熟だから「間違い」を指摘される。でも、指摘された理由がわかるようでわからない。次は間違わずに再現できるような分りやすい説明はない。でも、これはもっとこうでしょ!と指示されて、はい、わかりました、とそれに従う。理解も納得も無い。ただ従う。そして、先生は質問できる相手ではない。もう言われた通りにするしかない。

それがなんとも非現実的で、はい、わかりました!って、それが心地良い、とのこと。なぜなら、自分で何も決める必要が無く、判断する、決断する、思考する、その結果を気にする、なんて日々会社や家庭で「苦労」していることを何もしなくていい。「いいなりなのよ。でも、それがなんだか気持ち良いの」(ま、個人的意見ですが)とのこと。

茶道という「伝統」と位置づけられる見えない圧倒的なチカラの傘の下で、「先生」という権威からの指摘、もはや、言いなりしかない。自由に疑問をぶつけることも、納得性を高めるために質問を投げることもできない、そんな雰囲気・オーラが漂う。こんな環境で、ただ従うのみ、受入れるのみ。それがある意味、無心で心地良い。瞑想なのか。お陰で「伝統」を肌で感じ、感覚的に学んでいるよう。

なるほど、と思った。ま、当然、一定の時間だけだから、許容できるのだろうけど。。。

伝統を学ぶという文脈で無いならば、奴隷関係的であり、全体主義的であり、まさに「自由からの逃走」。そんな環境に身を置くことには危険・恐怖を感じる。もちろんだいたいの人はお断り、のはず。でも、「伝統」を学ぶ・嗜む、という行為は奴隷関係とは違う。

茶道も華道も、そして、柔道も剣道も弓道も相撲も、そして、欧米から始まったゴルフや野球、サッカーなどのあらゆるスポーツもよく考えると同じだ。当然ながら一定のルール・作法がある。それを守り、後は自由。

ボクはスポーツでは今はゴルフを相対的には頻度高くしている。ゴルフも他のスポーツ同じくルール・マナー・エチケットがうるさいスポーツ。でも、それを守っている心地良さが確かにある。今まで考えたことがなかったけど、今日の「茶道」の話を聞いて、ボクがゴルフを好きな理由がわかった。

ルールを守るのみならず、スコアに対する罰は無いけれどマナーやエチケットと言われる暗黙で要求される規範を自発的に率先して実施することで、「正しい」ことをしている、「良い」ことをしている、そんな自分を確認できる。

まるで、町中に捨てられているゴミを自発的に全て拾っている感じ。誰のためでもなく、それが良い・正しいことだから。

そして、それ以外は「自由」。自分で考えて、判断して、意志決定して、プレーする、挑戦する。悪ガキになれる冒険の面も多々あるのだ。茶道では、ぺちゃくちゃ・ぺちゃくちゃしゃべれるのが自由なのでしょう。

ここでふと思う。皆で共有しているルールなどに従うという「正しい」ことをしつつも、なぜか心地良さが、「仕事」という対象には無い。

「仕事」も本来はそうあるべきでないだろうか? しかし、趣味のゴルフ、茶道とは違って、「仕事」という稼ぐという圧倒的なプレッシャーの下ではそうならないのか。。。

仕事には、法律、ルール、規則、規定などが多々ある。それに黙って従っても、正しいことをやっていても、茶道と違って「心地良さ」は感じない。9時に出社しても、営業日報を出しても、社内システムに入力すべきを入力しても、上司を役職名で呼んでも、上司の指示通りに動いても、「正しい」ことをしているのに、「心地良さ」なんてない。ま、時に誉められて、嬉しい、仕事が上手くいって達成感はあるが、ルール通りに日々動いても心地良く無い。なぜだろう。

もしかしたら、このルール・規則は正しいのか、やり方を変えた方がよいのでは、と常に考えるし、従うというより疑問に思うことが多いからか。スポーツや茶道のルール・形は疑問に思わないで素直に受入れる。が、会社のルールや規則、規定と呼ばれるものにはそれを感じない。なんで9時なんだ。10時でも、8時でも、フレックスでも良くないだろうか、など。疑問に思うことが価値で、変えるべきは変えた方が良い、と思っているからか。

それに、仕事では、ルール・規則などに縛られない部分の方が圧倒的に多い。現場は流動的でお客様も色々で、臨機応変が必要となる。即座に、現場で、自分で、意志決定する、判断する、思考する。当然多々ある。だから、そもそもルール・規則に沿っている意識が実は少ないのかもしれない。会社なんてルールばかりかと思っていたら、実はそう思っていないのか?自分で決めることが多くてストレスを感じるのか。。。

言われたことだけやります派・それ以外はやりません派の、割り切った社員は、正に彼女達が茶道で発見した「心地良さ」を感じているのかもしれない。上司に言われたことをやった。期日通りに正しくやった。なぜやっているのか、理由もいらない。それが心地良い。自分で意志決定なんてしない。意志決定できないわけではない。職場では、しない、だけ。それが心地良い。

ここまで割り切らないと職場では、仕事では「心地良さ」は感じないのかもしれない。100%言いなりで、ルールに盲目になれる。ただ、職場・仕事は、趣味と違って縛られる時間が長時間だし、縛られているルールに疑問を呈することができるし、縛りごと以外に自由も当然、存在する。だから、100%言いなりで、ルールに盲目が実は存在しえなくて、心地良くはならないのですね。

100% 言いなり(ルールに盲目) +    0% 自由(自ら意志決定・行動)
  75% 言いなり(ルールに盲目) +  25% 自由(自ら意志決定・行動)
  50% 言いなり(ルールに盲目)+   50% 自由(自ら意志決定・行動)
  25% 言いなり(ルールに盲目)+   75% 自由(自ら意志決定・行動)
    0% 言いなり(ルールに盲目)+ 100% 自由(自ら意志決定・行動)
            ・・・

概念的だけど上の式のどれが自分にとって職場では「心地良い」のか。個人差があり、日々変わりますねが、だいたい、うちの会社はこんなだよ、が示せると良いですね。。。感覚的で意味がないか。。。

リーダーであれば、職場を「心地良く」しなければならない。一定の緊張感・適度なストレスは当然必要。カオスの無法地帯ではない。でも、「心地良く」しないと。

リーダーとしてはこの会社は「25% 言いなり (ルール)+   75% 自由(自ら意志決定・行動)」だよ、概念的だけど、つまり自由の方が多くしたい、という意味なんだ。だから、言われたことしかやらない、自発的に提案し、トライすることが好きじゃない、そんなひとは合わないかも。ルールも絶対ではないし、必要に応じてより良く柔軟に変化させたいんだ、でも、失敗を批判したりはしないよ。みなで楽しみながら挑戦する文化にしたいから。なんて伝えられるといいですね。

「素敵なリーダー」: 自由と束縛のバランス、重要です。どっちかだけではダメ。リーダーは自分の職場はこんなバランスよ!って表明し、それに合う人材を集めたい。だから「心地良い」と思ってもらえる。リーダーの役割・責任ですね。

法治国家なのですから、商法・会社法から始まって、自社の業界が該当する法律も多々有り。会社のルール・規則・規定も無いとダメなのは当たり前ですが、それが問題ではないですね。必要なのですから。それを前提での自由をどの程度、提供するか。その結果の責任をリーダーが受け止められるか、部下に負わせるなんて馬鹿なことはしない強い心があるか。自由を志向するならば、こんなリーダーのやさしさと強さは必須です。ルール一辺倒ではなく、自由が活きる、ためには、リーダーが強くやさしくあるのが前提。

こんな素敵なリーダーになりたいですね。

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