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周りが結婚して焦っている人へ【哲学】

友人が話していたことだが、結婚した知人のSNSの投稿をみて「みんな人生が進んでいるのに自分だけ進んでいない」とボヤいていた。

「今は結婚の報告のピークだが、次はなんだろうな。車かな。家かな。」とも言っていた。


半分自虐だろうが、半分本心だろう。



読んで頂いているみなさんはどうだろう?

「結婚したから安心だわ」

「まだパートナーもいないから正直焦っている」

色々な反応があると思う。



一方、わたしの反応はこうだった。




「何言ってるのかさっぱりわからん。」

全く共感できませんでした。


あれ?

もしかしてわたしって変?






とは思いませんでした。
自己肯定感高いので。



わたしがおかしい可能性もありますが、まだわたし以外全員おかしい可能性も残ってますからね。
ね、自己肯定感高いでしょ。

さて、今回は、わたしがおかしい人間ではないとわかってもらいながら、人生について考えてみるノートです。

よろしくお願いします。


結婚したことで人生は進んでいるのか?

人生のゴールとはなんでしょうか。

「死」という人もいれば、「夢の成就」という人もいるでしょう。

「結婚は人生の墓場」という言葉もありますが、「結婚」がゴールだと考える方もいらっしゃるかもしれません。

こういったゴールやイベントを早く迎えた人が偉いのでしょうか?

人生の勝ち組、というやつですか?



常々わたしは、結婚が人生のゴールだと考える方は童話的な考え方をしていると感じます。



結婚した二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。

めでたしめでたし。



という思考です。

つまり、結婚した後、その先のイメージがないのです。

家のローン、車のローン、子どもの養育費、親の介護…。

現実の結婚は、結婚した後も嫌になるくらい現実の連続です。

すごろくや人生ゲームのように、あがりがあるわけではありません。

永遠につづく法的な契約です。



パートナーのちょっと嫌なところ、気になるところ、それをこの先、一生受け入れることができますか?という問いかけです。

そういうものだとしっかり認識していますでしょうか。

「周りがしているから」

「親がうるさいから」

「世間体があるから」

「ドレス着てみたいから」

これでは大人として恥ずかしいです。

もちろん、これらが第一だと言う人は止めませんし、否定もしません。


もし結婚がゴールだと思っている方がいるなら、その考え方はやめることをおすすめします。

自分の人生はなんだったのか、と死ぬ間際に思っても遅いです。



人生がすすんでるとは?

山に高い、低いがあるように、人生にも、はやいと遅いがあるのでしょうか?いいと悪いがあるのでしょうか?



先ほど申し上げた通り、人生のゴールは人によって違うものです。比べられません。相対的ではなく、絶対的なものです。

どうやらみんな、われわれは人生という同じマラソンをしているという認識でいるようです。

これは早い、遅いという発想になってしまうな、と思いました。



そもそもゴールが43.195kmの人もいれば、800mの人もいるのではないですか?

この2つの種目の選手とでは体つきが全く違います。スピードも違います。

いえ、同じ距離だったとしてもコースは違うかもしれません。

よって、どちらが優れているか、比べる意味はないのです。

つまり、わたしが申し上げたいのは、われわれは違う人生という種目を極めているということです。


登山と棒高跳びとトライアスロンのアスリートたちがケンカしているのを想像してください。

高く跳べるのはわたしだ!

競技が長いのはぼくだ!

道が悪いけどみんな走ってるから山を走ったほうがいいのかな…。

違うゴール、違うルール、違う種目をそれぞれ頑張っているわたしたちなのですから、先か、後か、なんてものはありません。

比べる意味もありませんし、そもそも比べられません。
あなたは比べるために人生を生きているのですか?
そうではないならやめたほうがいいでしょう。



他と比べる意味とは?

社会的な生き物であるわたしたち人間は周りに合わせて共存してきました。

あの林はクマがいる、などなど他の人間たちと情報を集めて暮らしてきたわけです。

しかしそれは生存レベルでの話。

そのような生命の危機がなくなった現代で、周りに聞き耳をたてることは自己実現や幸せといった高次な人生設計を邪魔することもあります。

あなたの幸せ、あなたの夢を目指せばそれでいいのです。





離婚したら後退しているのか?

さらに具体的に考えてみよう。

結婚したが、上手くいかず(日本では2/3の結婚生活が上手くいかないわけだが)離婚したとする。

もし結婚して人生が進んでいるとするなら、離婚した二人の人生は後戻りしたのか?

否、結果としてうまくいかなかったが、二人で尊重しあって、挑戦した日々の生活は彼らのこれからの人生をより豊かにしてくれるはずである。

元婚約者のせいで人生を無駄にした、と考えないことである。

その離婚も込みであなたの人生なのだから、無駄という言葉が出てくる時点で、おそらく人生を相対的なものとして考えているのだろう。

そのままでは、他の人が羨む人生でも、ずっと上や遠くの方を見て、「あれもできない、これもできない」と比較してしまう。それはきっと不幸への道である。

その人は上から下へ進んでいるのかもしれないし、ここから遠くのところでずっと止まっているだけなのかもしれない。

野心家なのはよいことだが、そんなことを考えてもあなたの人生はよくならない。

そもそも、人に見えるようなSNSの投稿のようなものにおいては「人生が進んでいる」ように見せがちである、という点も注意したい。

終わりに

結婚したから人生がすすんだ、結婚できないからわたしは遅れてる、という発想がいかに的外れか、わかって頂けただろうと思う。

人生のイベントも人によって時期はことなる。

そんなことに一喜一憂することなく、これと決めたことを一つ一つ完遂していくのだ。

そうやって行くうちに自分の行きたい方向がわかってきて、他のことが気にならなくなる。

その過程こそが幸せであるとわたしは思う。


おまけ


それでも結婚が…マイホームが…と思う方にはドラマ「大豆田とわ子と3人の元夫」を見てほしい。
結婚はただのイベントで良いことだけなわけじゃないんだと客観的に思えるようになるはずだ。


こんな感じで物事をいろいろな角度から見ることが好きな変人です。

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