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世の中はグレーで出来ているのに

1年前ぐらいからの私のテーマは
「曖昧・グレー・中間」な気がしている。

世の中で起きていることは基本グレーだ。
真っ黒か真っ白かなどはありえない。
常にグラデーションで揺れている。

例えば自分の持っている正義感や信念なども、
他者からしたらとてもグレーだ。

私の仕事。それまで、どちらかというとイエスかノーかはっきりさせたかったし、曖昧さを受容できなかった。
判断したり決めることがディレクターの仕事であり、
判断が早ければ早いほど良いと思っていた。

今は少し違う。
判断を保留することもあるし、他者の曖昧さも自分の曖昧さも肯定できる。わからない事をわからないまま問うていくと違う視点が見えてきたりする。
なんとなく不確定要素を楽しめている気がする。

二項対立。どちらかが優れていると決めがちだけど、そこに絶対はありえない。
例えば健康と不健康はどちらが正しいのかと聞かれたら多くの人が「健康」を選ぶと思うけど、不健康でも短命でも人生楽しめれば良いと言う人もいるし、そこに是非はない。
健康が正しいと言いながらも、多くの人がお酒やタバコなどをやめられないわけで、そこに人生の楽しみがあることを知ってしまっているから。

毎日タイムラインに流れてくるニュースや情報、
フォローしているあの人が言っている言葉は、
本当かもしれないし嘘かもしれない。
それぐらいで捉えていたほうがいいし、
0か100かで判断する必要など全くない。

ありとあらゆる事を0か100かで考えるのはしんど過ぎやしないか。
曖昧なまま受け止めて、抽象化してしまえば良い。

そして今は時代的に全てが過渡期だと思う。
全てが曖昧な過程の中にあるのだから、
グレーを黒か白かにしようとせずに、
そのまま受け入れられる世の中であって欲しいのだけど、どうも日本はなかなか難しいらしい。

グレーゾーンを楽しむ。
だから何だということでもないけど、
少しだけ生きるのがラクになるし、
少しだけ生きるのをラクにして欲しい、
という祈りなだけなんだけど。


私がこう考えるようになったきっかけになった本です。
コルク佐渡島さんの「観察力の鍛え方」

そして今まさに読んでいる本、千葉雅也さんの「現代思想入門」も楽しんでます。
とても共感した部分を少し引用して終わります。

自分で自分の行動をきっちりコントロールでき、主体的・能動的であるべきだ、受け身になるのはよくない、という考え方が世間には強くあるし、自己啓発でもよく言われます。だけれど、我々は他者とともに生きている。他者に主導権があり、それに振り回されることがしばしばある。そのことがイヤなようでもあり、そこにこそ楽しさがあるようでもある。この両義性が重要です。能動的であればよいというわけではないのです。かといって、受動的になりきってしまい、他人の言いなりになってしまうのはそれはそれで困ったことです。だから、能動性と受動性についても、どちらがプラスでどちらがマイナスかということを単純に決定できないのです。

このように、能動性と受動性が互いを押し合いへし合いしながら、絡み合いながら展開されるグレーゾーンがあって、そこにこそ人生のリアリティがある。

千葉雅也「現代思想入門」より


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