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こくもつを動物のように屠殺する文化?ー牧畜の発想がつなぐ西欧とイスラム

まえのテキストでお話しさせていただいたパキスタンの山岳牧畜民なのだが、
かれらによる麦の「種まき」の語彙が、家畜の「種つけ」と同じ語彙だった、とすれば、まあ想像することは………それです。
だから種まきは男性がすることなのか、ということ。

パキスタンの山岳牧畜民の種まき(小麦)

大地を女性にみたてる、ということは、シュメール、メソポタミアでもよくみられることなので(地母神信仰ですな)、よく御存知のかたもおられると思う。

ミレー「種をまく人」

「種をまく人」をモチーフに絵を書いた画家のゆうめいどころにゴッホ(トップ画像)とミレーがいる。

ミレーの生涯を描いたこの本↑の著者、サンスィエ氏は、この「種まき」というモチーフを、次のようにかたっている。

「農民たちが、畑を耕したり、肥料をやったり、耙で土をならしたりする作業は、それほど気をつかわなくてもできる。(略)白い種袋を托され、種まきを引き受けた時には、種を一杯に入れた袋のはしを左腕に巻きつけ、新しい年の期待に胸をふくらませ、いわば一種の聖職にたずさわるのである。彼はもはや一言も発せず、しっかりと前を見て畝と畝の距離を測りながら、儀典歌のリズムにあわせるように規則的な動作で種をまく。」

サンスィエ,アルフレッド 1998[ 初出は1881] 『ミレーの生涯』講談社,p108

サンスィエ氏は、ここで種まきをするその性別を「彼」としている。

まあ「彼」がモチーフの絵なので彼でいいんですけど、それでそれは「彼」とされているのか?どこでも「彼」であるべきなのか?とかいろいろ突っ込みたい。

地中海地方の種まきって、どっちの性別がするもんなんでしょうねぇ(もっと本読めという話ではあるのですが、まあ課題の本命がこっちではなかったので)。それもまく種の種類(野菜とか豆とか)によっても違ったりするだろうし、だとするとやっぱり知りたいのは麦なんですよねぇ(主食。芋という意見もあるかもしらんが)。

ミレーといえば「落穂ひろい」だけど(麦刈りをしたあとの畑で、束にとりのこした穂を拾う。貧者の取り分を描いたものだという説があるが、ここに子供や男性の姿はない…)、

ミレー「落穂ひろい」
パキスタンの「落穂ひろい」

で、こっちも女性なんだな、という。

いろいろ文献はあるのだけれども、断片的な記述じゃなくて、一年くらい住み込んで書かれた民族誌を読みたいんだが、

「麦農耕なんてそんな一年もかけてマジマジと見る価値あるもんなん?」

という声が聞こえてきそう…。


牧畜研究をした先生にも、

「牧畜なんてそんな(略)」

というヨーロッパ側の資料の欠如にくるしめられた先生がおられる(放牧のさいの誘導の技術とか。むこうは技術とすら認識していない(笑))。

(資料はなくはないんですけどねぇ…↑ いや、もっとこう…もっとこう…!という思いがある…!
異文化に属する人間が現地に住み込んで、いろんな「発見」をしながら1年をとおして書く民族誌というのはとても貴重なわけですよ!でもわたし自身もべつに麦農耕を見にパキスタンに入ったわけではなかったりして)

わたしがこの辺で気になったのは、日本の祭りとのこの対比。

映画「Wood job」の祭りシーン

はい。映画で人類学をやるわけではありません。
日本の「祭り」「祈り」でよくみられるのは「これ」だという話。
はい「これ」です(笑)。
「これ」の成就が祭りごとであることが多いのだが、

日本には、映画のようなブツを藁でつくってそなえたり、股のかたちに似た木をさがして組ませるとか、田植えをする早乙女の周囲に若い男が集まるようにしむけたりとか、すんごくなまなましい「これ」の渇望がある。

ひるがえって、パキスタンでは、種まき儀礼をする80代の男性が、煎り麦(そのまま食べられる)を家の中でまいて、それを家族が裾でうけとめて食べたり(餅まき?)、伝統的にあいている天井の穴↓から畑での儀礼のあと煎り麦をなげこみ、家のなかからはスプーンをなげてあげて、両者をあてたあとの天井でのスプーンの落ち方から今年は穀物財が多いか、家畜財(バター)が多いかを占ったりもしていた(煎り麦をなげこんだのは種まきとは別の男性だった。そして屋内からスプーンをなげあげたのは、種まきをした男性だったのでは?といわれたが、あとで確認したら女性だった。スプーンを投げるという行為からは、やはり食べものが増えるようにという願いのほうがあらわれているような)。

たくさん麦の収穫ができますように、という願いぐらいしかわたしは感じなかったのだが…もっと注意してみる必要はあると思う(う~ん)。

敦煌莫高窟の壁画にもみられるラテルネンデッケ様式の天井(パキスタン)。
アルメニア、カラコルム、ヒンドゥークシュ、バダフシャーン(パキスタンにいたひとたちの故郷)では民家でもみられるという。


でもそうして”生んだ”穀物を、殺した、死んだっていう観念があるのは不穏当じゃない?というのがわたしの思いなのである(日本の民族誌、もとい民俗誌は膨大にあるのでチェックするのは大変なことなのだが、長野氏↑の記述などに基づけば、稲刈り後は、家の男性が、田の神に風呂を沸かし礼を述べご馳走を奨める、その後の神祭りを経ると、田の神はまた山の神として山に戻る、といったことがみられるという)。


ゴッホは種まきをとてもわくわくするものとしてとらえている。

「刷る(版画印刷)という仕事はぼくにはいつも一種の奇跡のように思えてきた。ちょうど小っぽけな種が小麦の穂に成長する、そのような奇跡にね。毎日毎日の奇跡、日々起こるがゆえにいっそう大きな奇跡だ―― 石版画やエッチング・プレートの上に一粒の種から小麦が小麦の穂が育つような、そういう奇跡のようだと。」

ゴッホ,V,V 1970『ファン・ゴッホ書簡全集』第三巻、小林秀雄他訳,みすず書房p746

ところでゴッホ、ミレーによる「種を蒔く人」は、ともに聖書がモチーフであることが指摘されている(有川2004:8-9)。『新約聖書』には、そうした種まきについて示した箇所がある。

有川治男 2004「フィンセント・ファン・ゴッホ、「耕す人」」『人文』3、5-44。

イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道端に落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍にもなった。耳のある者は聞くがよい。」

『新約聖書』「マタイによる福音書」第13章3~9

こういう読みかたもどうかと思うところもあるのだが、ゴッホにしても聖書にしても、ずいぶん成就しないものと諦観しておこなう「行為」なんだなぁ(そっちから読む)。そうなると「Wood job」じゃないわなぁ。そんなことをしてもたいして成就しないわけだし。じゃあどこで成就するんだ。それは行為者の手をはなれたところにあるんじゃないのか(きわどい話ばっか(汗))。実際そうだし(ああきわどい(大汗))。そうなると、そこに、あちらの「神」の輪郭がみえたりして(個人は「蒔く」までの存在でしかない。成就させるのは神なのでは…という。となると処女懐胎もむべなるかな…という)。そして日本の場合の「神」の輪郭も、こちらにみえたりして(社会的な達成と個々人とが同化しておりそのうえというかそのとなりに神をみるというか)。

で、『新約聖書』での麦刈りは、次の箇所にみることができるかと思う。

イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終わりのことで、刈る者は御使たちである。」

『新約聖書』「マタイによる福音書」第13章37~38

麦刈りってやっぱり「世の終わり」なんかいと思わされる。ゴッホもまた、麦刈りには死をみている。

ゴッホ”麦刈り”

「僕は、この草を刈り取る人にーー灼熱のもと仕事をやり遂げようと悪鬼のように戦っている朦朧とした人物のなかにーー人間は彼が刈る麦みたいなものだという意味で、また死の影をみたのだ。」

ゴッホ,V,V 1970『ファン・ゴッホ書簡全集』第五巻、小林秀雄他訳,みすず書房, p1660.

「麦の一生はぼくら自身の生涯のようなものだ。なぜならぼくらは麦を食って生きているのだから、体の相当部分は麦であり、たとえ想像ではどうなりたかろうとどのみち、ぼくらは植物のように動けず生長し、麦のように成熟すれば刈りとられる運命に従うほかはないではないか。」

ゴッホ,V,V 1990『ファン・ゴッホ書簡全集』第六巻、小林秀雄他訳、みすず書房,p1943.

ゴッホ”カラスのいる麦畑”

そして、この絵をかいた7月に、ゴッホは自殺している。

ギリシア神話のデメテルは「母なる大地」を意味するローマ神話の豊作の女神でもあるのだが、そのデメテルの娘とされる「種子」の化身プロセルピナは、死の国の王プルトンに配偶者とされるべく連れ去られ、それにともなうデメテルの失意によって、地上の植物は枯れ落ちたという。

ゼウスによって連れ戻されたプロセルピナは、死の国と地上を1年をかけて往還することになり、死の国からの帰還によって植物は「再生」し、戻りによってまた「死」を迎えることになったという。

このプロセルピナのありかたにも、「実り」が「死」との結びつきにあることをよみとれる。

プロセルピナの姿は後代になるにしたがって
「死の国の女王との観念ばかりが強調され」(呉1969:385)
「手には炬火を持ちその髪には蛇をまつわらせ、暗い不機嫌な相貌をもって表される」(呉1969:385)
という。プロセルピナという名はまた「死をもたらす者」(松村2013:482)の意味ともされているという。

フレイザー(『金枝編』著者)も、長野氏(『女の祀り、男の祀り』著者)も、西洋も東洋も、原始社会には同じような穀物に精霊をみるもののみかたがあった、といったことをおっしゃるのだが、わたしからみると、そこにはちょっと違いがあったのではないかな、と思う。

それは、西洋とイスラムのあいだの、牧畜と麦農耕の組み合わせと、日本という牧畜を知らない東アジアの米農耕とのあいだにおける、穀物の経(へ)る死の観念の有無という違いである。

わたしは、イスラム圏で屠畜は男性がやるといったことは何度も読んだことがあったのだが、麦もまた死ぬし、その死んだ家畜および麦の再生に、女性性がかかわる(それも年配の女性が)という考えかたは初めて目にしたことだった。

で思いだすのはイタリアでみたこれの構図。

聖ヒエロニムスと聖マグダラのマリアをともなうピエタ(1473年、ウンブリア国立絵画館収蔵)
ペルジーノ

イタリアの地方の小さな教会を見学させてもらっていたとき、壁沿いを歩いていて、突如この構図にドーンと出会うことがあった。

死んだ息子を母親に抱かせるとかって、ヨーロッパ人ってひどくないか…マリアさんかわいそうじゃないのか…なんでこれをわざわざ見たいのか…?とか思っていたのだが、

よく考えるとこの御仁って、このあと復活なされているのですよね(牧畜ではオスの子は当歳で屠殺されるのが普通なので[妊娠する個体じゃないから草の浪費になるから。種オスは1頭で充分]生き続ける母畜と、性的な関係をもつまで生きることなく屠殺される子畜のオスというのは、ある意味普通の関係。[→だから(そのシンボルであるために)キリストの「妻」は隠されたというのが(谷泰氏[文化人類学]↓の分析もまじえてます☆)、某映画「ダヴィry」])。


『新約聖書』は、そのだいたいのストーリーは男性の弟子たちとのあいだですすむのに、磔でお亡くなりになった後は、意味不明にそこにあらわれる、女性、もとい、たくさんの「母」たちがいる。

「またそこには、遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガラリヤから従ってきた人たちであった。その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。」

『新約聖書』「マタイによる福音書」27章55~56)

墓の前にも

「マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってそこにすわっていた。」

『新約聖書』「マタイによる福音書」27章61

ヨハネの福音書では、実母マリアさんとその姉妹までそこにこられている。

「さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとがたたずんでいた。」

『新約聖書』「ヨハネによる福音書」19章25

死に際して、そこには女性はいなくてはならなかったのか。やはり母である女性たちの手は、死を力強く再生させる手であったりするのか。そこには牧畜と麦農耕を主体とした文化の、麦に動物的な死をみるという共通性があったのではないのか…(フレイザー[2003『金枝篇』筑摩学芸文庫,p349]も若干この点にふれているが、牧畜・狩猟時代の「風習」としか言及していない。だからその「風習」ってナニ)。

もしそうだとしたら、こういうことを肌感覚でヨーロッパの人は知っていたのかもしらん、だからヨーロッパの人たちは、いわれなくても『新訳聖書』を読んでいて肌でわかることも多かったかも、

などと、パキスタンの調査を経たわたしなどは思ったりする。

そういうことをつらつら考えていて思うのは、人は自然界から得ている食べ物に、もとい、その食べ物が示すいきざまに、多くの影響をうけている可能性があるのではないかということ、人はその食べ物の生きざまから、自身の死について、生についての思想をはぐくんできたのではないか、ということなのである。





雑考。



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