こくもつを動物のように屠殺する文化?ー牧畜の発想がつなぐ西欧とイスラム
まえのテキストでお話しさせていただいたパキスタンの山岳牧畜民なのだが、
かれらによる麦の「種まき」の語彙が、家畜の「種つけ」と同じ語彙だった、とすれば、まあ想像することは………それです。
だから種まきは男性がすることなのか、ということ。
大地を女性にみたてる、ということは、シュメール、メソポタミアでもよくみられることなので(地母神信仰ですな)、よく御存知のかたもおられると思う。
「種をまく人」をモチーフに絵を書いた画家のゆうめいどころにゴッホ(トップ画像)とミレーがいる。
ミレーの生涯を描いたこの本↑の著者、サンスィエ氏は、この「種まき」というモチーフを、次のようにかたっている。
サンスィエ氏は、ここで種まきをするその性別を「彼」としている。
まあ「彼」がモチーフの絵なので彼でいいんですけど、それでそれは「彼」とされているのか?どこでも「彼」であるべきなのか?とかいろいろ突っ込みたい。
地中海地方の種まきって、どっちの性別がするもんなんでしょうねぇ(もっと本読めという話ではあるのですが、まあ課題の本命がこっちではなかったので)。それもまく種の種類(野菜とか豆とか)によっても違ったりするだろうし、だとするとやっぱり知りたいのは麦なんですよねぇ(主食。芋という意見もあるかもしらんが)。
ミレーといえば「落穂ひろい」だけど(麦刈りをしたあとの畑で、束にとりのこした穂を拾う。貧者の取り分を描いたものだという説があるが、ここに子供や男性の姿はない…)、
で、こっちも女性なんだな、という。
いろいろ文献はあるのだけれども、断片的な記述じゃなくて、一年くらい住み込んで書かれた民族誌を読みたいんだが、
「麦農耕なんてそんな一年もかけてマジマジと見る価値あるもんなん?」
という声が聞こえてきそう…。
牧畜研究をした先生にも、
「牧畜なんてそんな(略)」
というヨーロッパ側の資料の欠如にくるしめられた先生がおられる(放牧のさいの誘導の技術とか。むこうは技術とすら認識していない(笑))。
(資料はなくはないんですけどねぇ…↑ いや、もっとこう…もっとこう…!という思いがある…!
異文化に属する人間が現地に住み込んで、いろんな「発見」をしながら1年をとおして書く民族誌というのはとても貴重なわけですよ!でもわたし自身もべつに麦農耕を見にパキスタンに入ったわけではなかったりして)
わたしがこの辺で気になったのは、日本の祭りとのこの対比。
はい。映画で人類学をやるわけではありません。
日本の「祭り」「祈り」でよくみられるのは「これ」だという話。
はい「これ」です(笑)。
「これ」の成就が祭りごとであることが多いのだが、
日本には、映画のようなブツを藁でつくってそなえたり、股のかたちに似た木をさがして組ませるとか、田植えをする早乙女の周囲に若い男が集まるようにしむけたりとか、すんごくなまなましい「これ」の渇望がある。
ひるがえって、パキスタンでは、種まき儀礼をする80代の男性が、煎り麦(そのまま食べられる)を家の中でまいて、それを家族が裾でうけとめて食べたり(餅まき?)、伝統的にあいている天井の穴↓から畑での儀礼のあと煎り麦をなげこみ、家のなかからはスプーンをなげてあげて、両者をあてたあとの天井でのスプーンの落ち方から今年は穀物財が多いか、家畜財(バター)が多いかを占ったりもしていた(煎り麦をなげこんだのは種まきとは別の男性だった。そして屋内からスプーンをなげあげたのは、種まきをした男性だったのでは?といわれたが、あとで確認したら女性だった。スプーンを投げるという行為からは、やはり食べものが増えるようにという願いのほうがあらわれているような)。
たくさん麦の収穫ができますように、という願いぐらいしかわたしは感じなかったのだが…もっと注意してみる必要はあると思う(う~ん)。
でもそうして”生んだ”穀物を、殺した、死んだっていう観念があるのは不穏当じゃない?というのがわたしの思いなのである(日本の民族誌、もとい民俗誌は膨大にあるのでチェックするのは大変なことなのだが、長野氏↑の記述などに基づけば、稲刈り後は、家の男性が、田の神に風呂を沸かし礼を述べご馳走を奨める、その後の神祭りを経ると、田の神はまた山の神として山に戻る、といったことがみられるという)。
ゴッホは種まきをとてもわくわくするものとしてとらえている。
ところでゴッホ、ミレーによる「種を蒔く人」は、ともに聖書がモチーフであることが指摘されている(有川2004:8-9)。『新約聖書』には、そうした種まきについて示した箇所がある。
有川治男 2004「フィンセント・ファン・ゴッホ、「耕す人」」『人文』3、5-44。
こういう読みかたもどうかと思うところもあるのだが、ゴッホにしても聖書にしても、ずいぶん成就しないものと諦観しておこなう「行為」なんだなぁ(そっちから読む)。そうなると「Wood job」じゃないわなぁ。そんなことをしてもたいして成就しないわけだし。じゃあどこで成就するんだ。それは行為者の手をはなれたところにあるんじゃないのか(きわどい話ばっか(汗))。実際そうだし(ああきわどい(大汗))。そうなると、そこに、あちらの「神」の輪郭がみえたりして(個人は「蒔く」までの存在でしかない。成就させるのは神なのでは…という。となると処女懐胎もむべなるかな…という)。そして日本の場合の「神」の輪郭も、こちらにみえたりして(社会的な達成と個々人とが同化しておりそのうえというかそのとなりに神をみるというか)。
で、『新約聖書』での麦刈りは、次の箇所にみることができるかと思う。
麦刈りってやっぱり「世の終わり」なんかいと思わされる。ゴッホもまた、麦刈りには死をみている。
そして、この絵をかいた7月に、ゴッホは自殺している。
ギリシア神話のデメテルは「母なる大地」を意味するローマ神話の豊作の女神でもあるのだが、そのデメテルの娘とされる「種子」の化身プロセルピナは、死の国の王プルトンに配偶者とされるべく連れ去られ、それにともなうデメテルの失意によって、地上の植物は枯れ落ちたという。
ゼウスによって連れ戻されたプロセルピナは、死の国と地上を1年をかけて往還することになり、死の国からの帰還によって植物は「再生」し、戻りによってまた「死」を迎えることになったという。
このプロセルピナのありかたにも、「実り」が「死」との結びつきにあることをよみとれる。
プロセルピナの姿は後代になるにしたがって
「死の国の女王との観念ばかりが強調され」(呉1969:385)
「手には炬火を持ちその髪には蛇をまつわらせ、暗い不機嫌な相貌をもって表される」(呉1969:385)
という。プロセルピナという名はまた「死をもたらす者」(松村2013:482)の意味ともされているという。
フレイザー(『金枝編』著者)も、長野氏(『女の祀り、男の祀り』著者)も、西洋も東洋も、原始社会には同じような穀物に精霊をみるもののみかたがあった、といったことをおっしゃるのだが、わたしからみると、そこにはちょっと違いがあったのではないかな、と思う。
それは、西洋とイスラムのあいだの、牧畜と麦農耕の組み合わせと、日本という牧畜を知らない東アジアの米農耕とのあいだにおける、穀物の経(へ)る死の観念の有無という違いである。
わたしは、イスラム圏で屠畜は男性がやるといったことは何度も読んだことがあったのだが、麦もまた死ぬし、その死んだ家畜および麦の再生に、女性性がかかわる(それも年配の女性が)という考えかたは初めて目にしたことだった。
で思いだすのはイタリアでみたこれの構図。
イタリアの地方の小さな教会を見学させてもらっていたとき、壁沿いを歩いていて、突如この構図にドーンと出会うことがあった。
死んだ息子を母親に抱かせるとかって、ヨーロッパ人ってひどくないか…マリアさんかわいそうじゃないのか…なんでこれをわざわざ見たいのか…?とか思っていたのだが、
よく考えるとこの御仁って、このあと復活なされているのですよね(牧畜ではオスの子は当歳で屠殺されるのが普通なので[妊娠する個体じゃないから草の浪費になるから。種オスは1頭で充分]生き続ける母畜と、性的な関係をもつまで生きることなく屠殺される子畜のオスというのは、ある意味普通の関係。[→だから(そのシンボルであるために)キリストの「妻」は隠されたというのが(谷泰氏[文化人類学]↓の分析もまじえてます☆)、某映画「ダヴィry」])。
『新約聖書』は、そのだいたいのストーリーは男性の弟子たちとのあいだですすむのに、磔でお亡くなりになった後は、意味不明にそこにあらわれる、女性、もとい、たくさんの「母」たちがいる。
墓の前にも
ヨハネの福音書では、実母マリアさんとその姉妹までそこにこられている。
死に際して、そこには女性はいなくてはならなかったのか。やはり母である女性たちの手は、死を力強く再生させる手であったりするのか。そこには牧畜と麦農耕を主体とした文化の、麦に動物的な死をみるという共通性があったのではないのか…(フレイザー[2003『金枝篇』筑摩学芸文庫,p349]も若干この点にふれているが、牧畜・狩猟時代の「風習」としか言及していない。だからその「風習」ってナニ)。
もしそうだとしたら、こういうことを肌感覚でヨーロッパの人は知っていたのかもしらん、だからヨーロッパの人たちは、いわれなくても『新訳聖書』を読んでいて肌でわかることも多かったかも、
などと、パキスタンの調査を経たわたしなどは思ったりする。
そういうことをつらつら考えていて思うのは、人は自然界から得ている食べ物に、もとい、その食べ物が示すいきざまに、多くの影響をうけている可能性があるのではないかということ、人はその食べ物の生きざまから、自身の死について、生についての思想をはぐくんできたのではないか、ということなのである。
雑考。