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小説『ウミスズメ』【全17話+あとがき】

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それは、名前の無い青年と少女の出会いから始まった。 存在と不在、日常と違和感の狭間で それぞれ行き場を見失った二人の 奇妙な四日間の物語。 「自分は何者なのか」「存在していると…
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小説『ウミスズメ』:あとがき:薔薇の名前・モスキート・コースト・マタイの召命

 拙作『ウミスズメ』をお読みいただき、ありがとうございました。最後に、この作品について少し書かせて頂こうかと思います。  まぁ、どうでも良い文章かも知れませんが、ここまでたどり着いてくださったわけですから、あと数十行の駄文にお付き合い頂けたら幸いです。 * * * * *  このお話を書こうと思ったきっかけは、ハリソン・フォード主演の『モスキート・コースト』という映画です。  この映画を見たのは随分昔になりますが、忘れられない作品のひとつです。ハリソン・フォードが出演

小説『ウミスズメ』第一話:さやいんげん・名前・アルバイト

それは、名前の無い青年と少女の出会いから始まった。 存在と不在、日常と違和感の狭間で それぞれ行き場を見失った二人の 奇妙な四日間の物語。 「自分は何者なのか」「存在しているとはどういう事なのか」 誰でも一度は考えることを青春ストーリーのタッチでお送りしております。 イラストも描いていますので、挿絵も楽しんでもらえたら嬉しいです。 その時、僕に見えたものは、テーブルに広げられた新聞紙と、その上に勢いよくぶち撒けられたさやいんげんだった。  彼女は真新しい朝刊を読みながら、

小説『ウミスズメ』第二話:異常気象・吉祥寺・青いマンション

【前話までのおはなし】 僕の名前は「海宝悟」。それは本当でもないし、嘘でもない。 僕には戸籍がないからだ。 夏のある暑い朝、僕はバイトに出かけることにした。  スマホのアラームを止めた時、部屋の中はすでに蒸し暑かった。  まだ六月だというのに、ここ数日異常なほどの暑さが続いている。夜は既に熱帯夜レベルらしく、暑さで夜中に何度も目を覚ましたせいか寝不足気味で頭痛がした。  枕元に昨夜の飲みかけの缶ビールがあるのを見つけて口に含んでみたが、金属の味のするただの生ぬるい液体に

小説『ウミスズメ』第三話:青いカフェ・魚・カラバッジョ

【前話までのおはなし】 僕の名前は「海宝悟」。それは本当でもないし、嘘でもない。 夏のある暑い朝、僕はバイトで吉祥寺のカフェを訪れた。 時代がかった建物と怪しげな雰囲気に怯んだものの、いまさら仕事を断る訳にはいかない。僕は観念して店の扉を開いた。  最初はそれが一体何なのか、すぐには分からなかった。  扉を開けると店内は全体的に薄暗く、ほの青い光に満ちていた。戸外から急に室内を見たせいで視覚がおかしくなったのかと思い、思わず目を瞬いてから改めて周囲を見直したが、変わらず薄

小説『ウミスズメ』第四話:少女・深海魚・スニーカー

【前話までのおはなし】 取材先のカフェは青くて魚だらけだった。 そこで僕は髭のオーナーと「ユト」という名の少女に出会う。 僕はふと、いつか見たカラバッジョの絵と、母の言葉を思い出した。 〈この絵はね、マタイがイエスについて行くために椅子から立ち上がる、その直前の情景を描いたって言われてるのよ〉  それはカラバッジョの『マタイの召命』という絵について、母が僕に語った言葉だった。何故、急にそんな事を思い出したのか自分でもよく分からなかった。もしかしたら光の加減があの絵に似てい

小説『ウミスズメ』第五話:嘔吐・危機管理・不思議な絵

【前話までのおはなし】 取材先カフェのオーナーに上手く言いくるめられ、少女ユトと二人で観賞魚店へ向かった僕だったが、そこで少女とはぐれてしまった。 仕方なく、店の倉庫と思しき場所へ足を踏み入れたのだが・・・ 「ちょっと〈雑誌の人〉! 変な所に入っちゃダメだって」  振り返ると、すぐ後ろにあの少女が立っていた。 「ああ、ごめん。君がここにいるのかと思って」 「違う違う。この先に事務所の裏口があるの。こっちは倉庫だから」  ここが倉庫だろうがリビング・ダイニングだろうが

小説『ウミスズメ』第六話:抜け道・ジャングル・高速道路

【前話までのおはなし】 観賞魚店で謎の惨劇(?)を目にした僕が恐れていたのは警察沙汰になることだった。身元不明の僕が一番の不審人物に見える筈だからだ。 僕を怪しむ少女を振り切って、僕は早々に魚カフェから退散した。  少女は僕の連絡先を手に入れて満足したのか、それ以上追って来ることはなかった。しかし、災難続きの魚カフェからやっと解放された僕が、一番先に感じたのは安堵感ではなかった。  それは、世界が全て、以前とは少しだけ違っているような奇妙な感覚だった。朝から何度も見ている

小説『ウミスズメ』第七話:イカ釣り漁船・牛丼・先入れ先出し

【前話までのおはなし】 なんとか魚カフェを出て、僕は家へ戻ることができた。 そして眠気の中をフワフワと漂いながら、魚カフェで去り際に見た絵のことを思い出した。 僕はあの絵が妙に気になっていた。 〈なんだかおかしな絵だったな〉  そういえば、母は絵が好きだったのかも知れない。僕がまだ小さい子供だったある日の午後のことを、ふと、思い出した。    * * * * *  その時、僕と母は十二枚の絵を縁側に並べて眺めていた。  絵とはいっても本物ではなく、新聞屋が宣伝用にく

小説『ウミスズメ』第八話:忘れ物・ウミスズメ・アクアロード事件

【前話までのおはなし】 疲れて眠ってしまった僕は、久しぶりに母の夢を見て目を覚ました。 ある日突然、僕を含めて全てを後にしていなくなった母……。 そして僕に一通のメールが届いた。あの魚カフェからだ。 「カメラを忘れています。取りに来てください」  翌日、昼過ぎに布団から起き上がり、のろのろと出掛ける準備をした。  昨日あれほど酷い目にあったばかりで気は進まなかったが、僕は魚カフェに行くことにしたのだ。警察沙汰の危険はまだ去った訳ではないのに、何故あのカフェへ戻るのか自分で

小説『ウミスズメ』第九話:ユト・コーヒー・魚の絵

【前話までのおはなし】 カメラを受け取りに魚カフェへ戻る羽目になった僕。 〈アクアロード事件〉は一応の解決をみたようだった。 だが、少女ユトが僕に向けた疑惑は、依然として払拭された訳ではなかったようだ。 突然「隠し事があるだろう」と言われて、一瞬でもギクリとしない人間はいない。  しかし、妙に芝居掛かった彼女の言い回しは、逆に嘘くさかった。自分にも少なからず覚えがあるが、子供は得てしてこんなことを言い勝ちだ。何かを極端に誇張して劇的な効果に酔っているのかも知れない。 「

小説『ウミスズメ』第十話:ハンバーガー・生存戦略・多様性の世界

【前話までのおはなし】 少女ユトの不登校に、カフェのオーナーである彼女の父親は困惑するだけだった。 彼女が他人を苛つかせる要素をいろいろと備えていることは否定できないが、僕には関係ないことだ。 これで二度と彼ら親子に会うことも無い。僕はそう思っていた。  店の前の通りでひと息つき、手の中のデジカメの電源を入れた。  撮影した画像を見てみると確かにあの魚の絵が何枚も写っていた。正確には、絵と言うよりもロゴマークかモノグラムに近い。デザイン化されたアルファベットが五つ並んでい

小説『ウミスズメ』第十一話:テレビ・空港・秘密

【前話までのおはなし】 僕を追ってハンバーガー店にやって来たユトは、彼女が知るはずもない男の名前を口にして僕を軽いパニックに陥れた。 そして僕は、偶然にも中学生のいじめと思しき場面に遭遇する。 助け舟のつもりで言った一言が仇となって、ユトは僕に家庭教師になってくれと言い出した。  あまりにも話が飛躍し過ぎて、彼女が何を言っているのか、一瞬理解ができなかった。 「ね、いいでしょう? 私、毎日お店で一人で勉強するのはもう、うんざりなのよね」 「そんなの……無理に決まってるだ

小説『ウミスズメ』第十二話:飛行機・実存・魚のタトゥー

【前話までのおはなし】 僕は名前が無いことをユトに話し、それを秘密にするように頼んだ。 すると彼女はこう言った。 「じゃあ、秘密にしておいてあげる代わりに、私の家庭教師になってくれる?」  僕がこの子の家庭教師? そんなの絶対無理に決まっている。  あれこれ抵抗してもよかったのだが、結局僕が言ったのは「最初に言っておくけど、僕は学校に行ったことはないよ」だった。  そして「いいよ。面白いじゃん」というユトの一言で、密約成立となってしまった。  しかし僕は、ユトが何を言

小説『ウミスズメ』第十三話:バンジージャンプ・図書室・アトリビュート

【前話までのおはなし】 結局僕は、ユトの家庭教師をすることになってしまった。 とはいえ、特にすることも無いので、僕たちは暇つぶしにユトの学校へ行ってみることにした。  少しずつ復学への免疫を付けるみたいな理由を付けてユトの父親に許可を得た僕たちは、彼女が通う中学校へ向かった。  小さい頃、学校と呼ばれる存在をテレビや漫画で知ってはいたが、特別な子供たちが行くところだと思っていた。友達を持ったこともなかったから、一人でいることを特に寂しいとも思わなかったが、興味本位で自分も