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小説『ウミスズメ』第九話:ユト・コーヒー・魚の絵

【前話までのおはなし】
カメラを受け取りに魚カフェへ戻る羽目になった僕。
〈アクアロード事件〉は一応の解決をみたようだった。
だが、少女ユトが僕に向けた疑惑は、依然として払拭された訳ではなかったようだ。

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突然「隠し事があるだろう」と言われて、一瞬でもギクリとしない人間はいない。

 しかし、妙に芝居掛かった彼女の言い回しは、逆に嘘くさかった。自分にも少なからず覚えがあるが、子供は得てしてこんなことを言い勝ちだ。何かを極端に誇張して劇的な効果に酔っているのかも知れない。

「僕はね、忘れたカメラを受け取りに来たんだ。済まないけれど、僕のカメラを持って来てくれるかな?」

「下らない妄想だと思っているんでしょう? でも、ちゃんと説明できるわよ。あなたには色々と変な所がある」

「まず、救急車や警察を明らかに避けている。でも犯罪に関係があるならリアルな連絡先を教えるのはおかしい。しかも、今日はカメラを取りにここまでノコノコとやって来た。アクアロードに泥棒が入ったことを聞いても特に驚いた風でもないのは、関係のない人間としてはむしろ自然な反応だからウミスズメ泥棒の件に関わりは無いかも知れない。でも警察の動向は気になっている。そしてあなたは昨日マッキーに、私が夏休みかと聞いたけど、今が夏休みじゃないことくらい、赤ん坊だって知ってるわよ」

 やれやれだ。僕は思わず深い溜息をついた。

 いつまでも突っ立っている僕に他の客が胡乱うろんな目を向け始めたので、仕方なく席に着くことにした。

「ここに座ってもいいかな?」

 僕はユトの向かいの席に腰を掛けると、彼女のノート・パソコン越しにこう言った。

「まず最初に言いたいのは、僕は君たちのフグにもフグ泥棒にも全く関係が無いし、興味も無い」

「次に言いたいのは、君はテレビの見過ぎだ。連絡先を教えたのは君がしつこく要求したからだけど、そのメールアドレスは使い捨てできるフリーメールだ。今日ここに来たのだって、単に油断しただけという可能性だってある。世の中の犯罪者が大抵それほど頭が良くないのはニュースを見れば分かるだろう。そんなものは、どれもこれも推論の根拠としては弱過ぎる。で、夏休みじゃないなら何で学校に行かないの?」

 ユトは少しだけびっくりしたような顔で僕を見てから「なるほどねぇ」と言ってけらけらと笑い出した。何だか一から十まで芝居がかった娘だが、笑い声は本物のように聞こえた。

「あれあれ、随分と楽しそうじゃない」

 そう言いながら、オーナーが僕の前にコーヒーを置いた。

「そうそう、取材のことでちょっと話したいから、帰りに声を掛けてくれる?」

 彼はそれだけ言うとレジ待ちの客の方へ行ってしまったので、手持ち無沙汰になった僕は出されたコーヒーを一口飲んだ。昨日と同じ魚模様のカップに入っているが、不思議なことに今日はとても美味かった。

 質の良さそうなコーヒーの香りは、母がいなくなったあの日に家に漂っていたものに何となく似ているような気がしたが、僕はコーヒー通でも何でもないので香りの違いなんて本当のところよく分からない。単なる気のせいなのだろう。それよりも、このカフェを訪れて以来、矢鱈と何でも母との思い出に結び付けている自分に気が付いて、なんだか妙な気分になった。

「君のお父さんのコーヒーは美味いね」そう言って、レジのところにいるオーナーの方へ目をやると、壁に掛かったあの絵が目に飛び込んで来た。昨日の帰りがけに見かけた不思議な魚の絵だ。

「あのさ、ちょっと聞くけどあれは何の絵なの? あのレジの横の文字みたいなやつ」

「あの絵がよっぽど気になるみたいね」

 ユトは傍に置いてあったどこかの学校のロゴが入ったスクールバッグを開き、暫くゴソゴソと中身を掻き回して何かを取り出した。それは僕のデジカメだった。

「私、これの中を見たの。悪く思わないでよ、人物が写っていれば持ち主が分かるかなって思ったから」

 このカフェの店内しか撮影していない筈だから、別に気にはならなかった。

「そしたら全部ウチの店の写真じゃない。それであなたのだって思ったの。で、見れば分かると思うけど、あの絵の写真をやたらに撮ってるわよ」
 そう言ってユトはデジカメをテーブルの上に置いた。

 それはそうだろう。僕の仕事は取材の為の下調べだ。私見を交えず本職のライターにありのままを伝えるために、そこら辺にあるものを手当たり次第に撮影したのだ。

「そうかもね。とにかく、カメラを預かってくれてありがとう。それじゃ、僕はそろそろ帰るよ」

 すると、ユトは、意外にもあっさり〈さよなら〉と言ってまたパソコンをいじり始めたので、僕もこれ以上長居をする理由はなかった。この店には二度と来ることはないだろう。

 僕がカメラを手に取って席を立つと、タオルで手を拭きながらオーナーがカウンターから出てきた。

「あ、どうもどうも。もう帰るの? あのさ、取材はまた日を改めるって編集さんから連絡があったよ」

 不自然なくらいの大声でそう言ってから、オーナーは僕を出口の方へ押しやりながら自分の身体で壁を作るように立ち、ユトに聞こえないよう声を落として言った。

「あのさ、ユトと話をしていたみたいだけど」

 つられて僕も何となく声を潜めた。

「いえ……別に。コーヒーを飲んで、カメラを受け取っただけですけど」

「何にせよ、あの子があんなに打ち解けるなんて、近頃珍しいんだ」

 彼は言葉を探すように手をひらひらさせながら言った。

「つまりあれだよ。君も中学生がこんな時間に学校にいないなんて変だと思ったんじゃない?」

「えぇ、まぁ……。夏休みじゃないんですか?」

「まさか。まだテスト前だよ」

 苦々しそうに顔を歪めるオーナーを見て、初めて自分が少々迂闊だったことに気付いた。

「あ、では、学校へは……」と言った僕にオーナーは渋い顔で頷いた。

「いじめか何かあったんですか?」と言ってしまってから、少々立ち入り過ぎたかなと思った。しかしオーナーは特に気にする風でもなく、むしろ誰かに聞いてほしい様子だった。

「それが言わないんだよ。何も」

 何だか面倒くさい話になりそうなので早々に切り上げようと、僕は出口へ身体を向けた。

「なるほど、それはすみませんでした。なんか、気付かなくて……」

 オーナーは、気にするな、とでも言うように首を振って視線を床に落とし、まだ何かを言いたげだった。

「うちの娘、ちょっと変わってるみたいなんだよね。それで友達と上手くいかないんじゃないかと思うんだ。でも、わかんないんだよ。何を聞いても、もう学校には行きたくないの一点張りで」

 確かに、彼女が他人を苛つかせる要素をいろいろと備えていることは否定できないが、それを面と向かって父親に告げたところで、状況が好転するとも思えない。そうなると気安めにもならない言葉しか思いつかなかった。

「僕は子供のことはあまり詳しくないですが、ユトさんはとても……何と言うか、利発なお子さんに見えますけどね」

「そう? 俺とは殆ど口をきかないから、何を考えてるんだか。取り敢えず、一人で家に置いておけないから店で勉強させているんだけどね」

 話をしながら彼は、短い髭の生えている顎を始終ポリポリと掻いていた。髭を生やした男というのは、何故それを常に触りたがるのだろう。女性がやたらと自分の髪に手をやるのと同じ様なものなのだろうか。そんなことを考えていると、ちょうどそこへ新しい客が入って来て、オーナーは悩める父親の憂い顔から商売人の表情へと素早く切り替えた。

「まあまあ、それはそれとして、また気が向いたら気軽に店に寄ってよ。それじゃあ今日はご苦労様」

 そう言って彼がカウンターの後ろへ戻って行ったので、僕は入ってきた客と入れ替わるようにして扉をすり抜け、カフェを出た。

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前話【第八話:忘れ物・ウミスズメ・アクアロード事件】

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