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小説『ウミスズメ』第十三話:バンジージャンプ・図書室・アトリビュート

【前話までのおはなし】
結局僕は、ユトの家庭教師をすることになってしまった。
とはいえ、特にすることも無いので、僕たちは暇つぶしにユトの学校へ行ってみることにした。



 少しずつ復学への免疫を付けるみたいな理由を付けてユトの父親に許可を得た僕たちは、彼女が通う中学校へ向かった。

 小さい頃、学校と呼ばれる存在をテレビや漫画で知ってはいたが、特別な子供たちが行くところだと思っていた。友達を持ったこともなかったから、一人でいることを特に寂しいとも思わなかったが、興味本位で自分も学校へ行きたいと母にせがんだことがあった。

 母は『あなたはそんなことの為に生まれてきたんじゃないのよ』と言って、取り合ってくれなかった。

 ユトは不思議そうな顔を僕に向けた。

「じゃあ、どんなことをするために生まれてきたの?」

「それは特に言ってなかった」

「聞かなかったの?」

「子供だったからね」

「でもさ、やることが決められちゃうなんて嫌じゃない? これをやるために生まれたんだって言われたら、それをやるの?」

「どうかな。内容によるだろうね。凄く怖いことだったらやりたくない」

「例えば?」

「うーん……。バンジージャンプとか」

「バンジージャンプをするために生まれた人なんているワケないじゃない」

「仮定の話だから」

「じゃあ逆に、どんなことならやる?」

「どんなって……」と言いかけて、遅ればせながら、さっきから僕が一方的に質問責めにあっているのに気がついた。案外、彼女の方がライターに向いているのかも知れない。

* * * * *

 ユトの通う中学校は周囲を住宅に囲まれた比較的こぢんまりとした建物だった。

「今日から期末テストだから、たぶん今頃は図書室なら誰もいないよ」

 ユトがそう言うので、僕たちは一階の一番端に位置する図書室へ向かった。

 彼女の言う通りテスト中だからなのか、校舎全体が圧倒的な静けさに包まれていた。人がびっしりと詰め込まれている筈なのに物音ひとつしないのだと考えると、少し怖かった。

「時々先生が見回りで歩いていることがあるから、見つからないように気を付けてよ」

 ユトにそう言われて緊張しながらリノリウム張りの廊下を歩いていると、どこからか微かにプールの塩素の匂いがした。

 図書室に首尾よく入り込み、本棚に大量の書物が並んでいる馴染み深い光景を見て、僕は気分が解けるのを感じた。ここならある程度は僕のフィールドと言える。

 何しろ子供の頃の僕と言えば、家と図書館がほぼ全世界だったからだ。今でも特に用事も無く近所の図書館へ行き、ぼんやりと寛ぐことがある。僕にとっては第二の家のようなものだ。

 始めて見る学校の図書室に僕は嬉しくなり、並んでいる本の背をなぞりながら書架の端から端まで歩いてみた。

 全集や百科事典、地図……これ等は街の図書館とあまり変わりがないが、小説やノンフィクションは中学生という年齢に合わせた蔵書になっているようだ。

 そして美術の棚の前に立つと、僕は吸い寄せられるようにして一人の画家の画集を手に取った。

【世界の巨匠シリーズ・カラバッジョ】

 僕はまた余計なことを思い出しそうな気がして、少し怖いような気持ちで『マタイの召命』のページを開いてみた。

「ね、どれがマタイだと思う?」ふいに横からユトが覗き込んで言った。

「この、金を数えている男じゃないの?」

「んふふ。実は諸説あって、どの人だかはっきりとしたことは分からないんだよ」

「なんだそれ」

 僕は子供の頃からずっと、俯き加減でスポットライトが当たっているように見える男がマタイだと思っていた。

「あのさ、宗教画ってルールがあって、登場人物にはそれぞれ持ち物が決まってるって知ってる?」

 そういえば、オーナーがユトは美術部に入っていると言っていたから、彼女は絵に詳しいのだろう。ここはひとつ、ユトの好きな話題に乗ることにした。楽しかった部活動を思い出せば、復学へのモチベーションになるかも知れない。

「知らない。教えてよ」

 ユトは身を翻して書棚へ行き、画集を何冊か持って来て机に広げた。

「昔は文字が読めない人も多かったから、聖書のエピソードを絵で知ることが多かったんだけど、その絵の登場人物が誰なのか、見てすぐに分からないと困るでしょ?」

「髭が生えてて、痩せてて、十字架に架かってたらキリストだろ」

「キリストは有名だからいいとして、じゃあ、海宝さんの好きなマタイは?」

「別に、好きとかでは……」

「と・に・か・く! 聖人たちは、絵にするとみんな同じような姿になっちゃうから分かり難いでしょ? だからそれぞれの人に決まったアイテムがあって、絵の中に一緒に描かれるの。そうすると、誰が何をしているところかすぐに分かるワケ」

「ふーん。例えば?」

「色々あるけど、赤とか青のドレスを着てたり、そばに百合の花が描いてあったりすると、その人は聖母マリアだよ」

 そう言ってユトは、めくっていた画集の中からラファエロの『大公の聖母』という絵を探し出した。

「ね? 赤い服に青いマントでしょ? それから、こっちは聖ペテロ。〈アトリビュート〉は〈鍵〉」

「アトリビュート?」

「そう。人物と一緒に描かれるアイテムのこと。美術用語では〈アトリビュート〉って呼ばれてるんだよ」


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