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レズビアン・カップルに育てられた息子の苦悩

僕の父はどこにいるの?父は一体、誰なの?どんな人なの?――自分の父親が誰なのかを知らないまま育てられた子どもたちは、幼い頃から自然とこうした疑問をもち、大人になっても抱き続けるそうです。

子ども時代に家庭内不和を経験した人々の声に耳を傾け、家庭の大切さを啓発するNPO 、「Them Before Us(="大人の私たちよりも子どもたちを優先に")」 のサイトに掲載された、ある男性による手記をご紹介します(関連資料として紹介。以下、和訳。リンクは文末)。

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レズビアン・カップルに育てられるのは苦痛だった

2020年12月29日

最初にはっきりさせておきたいのは、私は「同性愛嫌悪主義者」ではないということです。私自身の妹はレズビアンだし、僕の友人の多くもゲイです。私自身はストレート(異性愛者)ですが、両親が同性愛者なので、どちらかといえば、私はLGBTQ+の人たちとの付き合いのほうが慣れています。

私の家族が他の人たちの家族とは違うという実感は、小学3年生になって、いじめが始まるまで、あまりありませんでした。私には「母親が2人いる」という噂がクラス中に広まり、気がつけば、校庭でそのことを笑われるようになっていたのです。この頃はまだ、両親との関係が良好だったので、そんなことにはあまり気に留めませんでした。

でも思春期になると、私は自分の中の「父親が欲しい」という、心にあいた穴を強く意識するようになりました。この時点では、私と両親との関係はさまざまな要因で悪化していました。私は模範となるような男性、つまり 「男のこと」を相談できる相手を求めていました。両親には男友達がおらず、両親は男性を軽蔑するような話し方しかしませんでした。男性は本質的に「暴力的で利己的で、不健全だ」という両親の話を聞いて、私はそれを信じるようになっていったのです。このような環境で育った私は、女性的な傾向が強まり、伝統的な「男らしさ」に欠けるようになりました。中学校の大半はホームスクールだったため、同年代の男性がどのように振る舞うのか、どのような姿をするものなのかを知らずに育ってしまいました。両親は、自分たちの家族との縁を切っており、私の人生には男性の親戚との接点もありませんでした。高校に上がってから公立校に戻りましたが、私はストレートの男子生徒を怖く感じるようになってしまいました。最終的には彼らのように話したり、振る舞ったりすることはできるようになりましたが、彼らと一緒にいて、居心地がいいと感じることはありませんでした。

客観的に見ても、私の両親は過激な考え方をする人たちでした。両親は、妹の友達の家に父親がいるというだけで、妹がお泊り会に参加することを許しませんでした。それは、その父親が妹を襲ったりレイプしたりするかもしれないという理由からでした。今日に至るまで両親の男性に対する反感がどこから来たのかは定かではありませんが、それが男性である私に悪影響を及ぼす可能性があることを、親たちは認識できないようです。

12歳になった頃、私は自分が受胎したことの意味を理解し始めました。私の母は、匿名の精子ドナーからの精子提供による人工授精によって私を身ごもりました。「父親の名前がない」という事実は、私を永遠のアイデンティティ危機に陥れました。私は愛によって生まれたわけでもないんだ、と感じました――両親が必要な「材料(どっかの男の精液)」を買う経済的余裕があったから、私は誕生したのです。私は自分の生物学的な半分も、自分がどこから来て、なぜ存在しているのかという理由の半分も知ることはできません。世界中のほとんどの人に与えられている経験を奪われた気分です。一番最悪なのは、自分がこのような存在であるということで、圧倒的な孤独を感じていることです。孤児や養子には、実の親を知りたいと思うことは許されていて、そのためのサポートを受けることができます。父親を亡くしたり、父親不在家庭の子どもたちには、少なくとも母親による記憶、写真や思い出があります。父親の名前、さえも。私はこれからも何も得ることはできないし、それを願うことすら許されていません。このような気持ちを両親に話しても、その度に「そんなものは無意味なもの。お前は恩知らずだ」と一蹴されてしまいました。生まれてこれただけで幸運だったと思え、と言われたのです。 

何年もかけて、私はこの事実を受け入れようとしてきました。そして、アメリカ中に散らばる父方の異母兄妹とオンラインでつながることもできました。彼らも、私たちの共通の実の父親が誰なのかは知りませんが、私と違って、彼らは皆、父親がいる家庭で育ちました。実の父親がどこかにいるかもしれないのに、母がその顔すら知らないという事実に、私は心の平穏を保てそうにありません。

私は、この悲しみを孤独のうちに抱えてきました。10代の頃、父親のいる友人をうらやましく思い、自分も彼らの家庭に生まれたかったと思いました。自意識過剰のように聞こえるかもしれませんが、私はストレートの男性として認められていると感じたことはありませんでした。私の両親は息子ではなく、娘が欲しかったので、私が生まれた数年後に妹を手に入れました。家族の中に自分のような人間がいなかったことで、私は自分が男の子であることに罪悪感と違和感を感じていました。「男は悪魔だ」と何度も何度も言われました。このことを意識し始めるようになってからは、「父の日」は一年の中で最悪な日になりました。 

私は、同性愛者たちが親になるべきではないと言いたいわけではありません。ただ、それが子どもに与える影響を認識し、子どもには「同性の模範となる存在」を与えるようにすべきだと言っているのです。私はただ、匿名の精子バンクに反対なのです(※)。匿名の精子ドナーたちは生まれてくる子どもたちに、彼らに一生つきまとう疑問を残すからです。


元記事: I hated growing up with gay parents - Them Before Us

※カトリック教会は、子どもと夫婦に及ぼす影響を考慮し、第三者介入による人工授精・人工受胎を認めていません。また、こうした技術は人間の尊厳に反する手法で「生命」をつくりだすので、夫婦間であっても、倫理に反する行為としています(以下、『カトリック教会のカテキズム』2377番他、参照)。

2376 夫婦以外の介入(精液や卵母細胞の提供、母胎の付与)によって親子関係の遊離を生じさせる技術は、きわめて不道徳です。子供は、自分が知っている、結婚によって結ばれた両親から生まれる権利を持っていますが、以上の技術(非配偶者間の人工授精ないし人工受胎)はこの権利を侵害するものです。またそれは、「結婚相手を通してしか父親や母親にはなれないという権利」を捨て去ることになります。
2377 これらの技術が夫婦間で活用される場合(配偶者間の人工授精や受胎)は有害度は減じるかもしれませんが、倫理的にはやはり容認できるものではありません。性行為と出産行為とを切り離しているからです。子供の誕生の原因となる行為は、もはや二人が相互に与え合う行為ではありません。それは「受精卵の生命とアイデンティティーを医師と生物科学者の手にゆだね、人間の生命の始まりと運命を科学技術の支配下に置くものです。このような支配関係は、両親と子供が共通して持っている尊厳と平等に反します」。「夫婦の営みの結果として求められるのではないような生殖のあり方は、倫理的観点から見れば、本来の完全性を失ったものといわなければなりません。……夫婦の営みの二つの意味の間のつながりと、人間における肉体と精神の一体性の両方を尊重してはじめて、人間の尊厳にかなった生殖が可能となります」。


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