見出し画像

僕にとっての「白球」


「ユウキ」という幼馴染がいる。

まだ1歳にも満たない頃、新宿の大きな公園の水遊び場で「ウチの子と同じくらいですよね?」と彼の母親が声をかけてきたことから付き合いは始まったそうだ。
お互い近くに住んでいたことから公園で遊ぶにも病院に行くにもいつも一緒で、僕が隣町に越してからも付き合いは続いた。彼は少しやんちゃで、運動神経が良くて、大体のことは彼が先にやっていて、僕は後追いで彼の真似をすることがほとんどだった。
例えば、ブリーフのパンツを「だっさ(笑)」と言われて彼を真似してトランクスのパンツに変えたり。

別々の小学校に入ってから、ユウキは「やきゅう」なるものを始めたらしい。
僕にとっては「やきゅう... パパがよくテレビで見てるジャイアンツのやつね」という程度のものであったが、当時の身の回りで一番見聞きするスポーツは野球だったものだから、次第に僕も父親の見るテレビの中の野球のことを知るようになった。上原がかっこよかった。

父親も息子のそんな姿を面白がってニンテンドー64の野球ゲーム「実況パワフルプロ野球」を買い与えてくれたりした。すごくハマった。
そうすると、ジャイアンツ以外のチームも知るようになった。とりわけ、パ・リーグのチームや選手なんて、ジャイアンツの試合以外見たことがないから、ゲームの中で初めて出会った。
そんなある日、近鉄バファローズなるチームの中のピッチャーに「ユウキ」というカタカナの選手を見つけてしまったわけだ。

「ユウキ...????」

笑っちゃうようなことなのだが、「やきゅう」のことはなんとなく分かっていても、プロ野球と少年野球との違いなんてよく分かっていなくて「あいつ!ゲームの中に入ってる!すげー!」って感じで、幼馴染と同じ名前の野球選手を同一人物だと盛大に勘違いした。
それでも事実、僕と野球との距離はグッと近くなり、野球がユウキとやりたくなった。

それからちょっと経って、小学3年生から数キロ離れた隣町の少年野球チームに入ることとなった。
もちろん、幼馴染はすごいスライダー(近鉄のユウキのスライダーはめっちゃ縦に変化する)なんて投げられやしなかったのだが。いつしかそんなことは関係なくなって、当時120センチくらいしかなかったケイ少年は本当にヘタクソながらも毎週片道1時間くらいかけて生まれ育った町まで大好きな野球を元気いっぱいプレーしに通ったのであった。

夏が来ると思い出すのは陽炎で、でもそれは土のグラウンドのではなくて、通ってた道のアスファルトに見えるやつだったりする。

というわけで、僕にとっての「白球」は、ゴム製の真っ白な軟式の「C球」という野球ボール。



何回か「野球」のテーマは不定期連載っぽく続くと思います。

#日記 #エッセイ #野球 #baseball #思い出 #少年 #幼馴染 #少年野球

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?