力を、抜きましょうか。
いつだったか、整体の先生に言われた。
「身体の力の抜き方がわからなくなってますね。」
いや、これを言われたのはそんなに前のことでもない。
自分では食いしばったり力んだりしているつもりはないのだけれど、
力が入った状態がデフォルトモードになってしまったようだ。
*
いつでも周りの目を気にして生きてきた。
学校では、素行や成績を。先生からどう評価されているか。
そしてその評価を見て親はどう思っているのか、ということを。
社会に出れば、上司から仕事を覚えるのが遅いと思われていないか、同僚から面倒な奴と思われていないか、不安でいっぱいだった。
「今の言動は、自分の意図に反して、こんなふうにとられてしまっていないだろうか?」
少しでもそう感じたら、あとからへりくだった上でフォローの言葉(言い訳?)を入れる。
常に、自分が誰からも嫌われないように、ぐるぐると見回し、聞き耳をそばだてて、神経を使っていた。
他人から少し何かを咎められたり注意を受けただけで、そこから最悪のパターンを勝手に想像し始める。
そんな人生だから、いつでも身構える格好になるに決まっている。
だからこそ、冒頭のあの整体師さんの言葉のようにガチガチになってしまうのだ。
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しかし、最近気づいたら少しずつ、私の身体や頭をガチガチに縛り付けている思い込みの鎖と、敏感すぎるマイナスセンサーが緩んできたようなのだ。どうやら。
急に、ではなくて、徐々に。
周りの温かい人たちのおかげで、そんなに最悪を想定しなくても、現実はそこまで悪くはならないということを身を以て経験したからだろうか。
どうせどんなにフォローして回ったって、どんなに良しとされる行動をとったって、どれだけ優秀な評価をもらえたって、
私のことをどうしても嫌だという人はゼロにはならないのだし、もうそれは自分のコントロール外のことで、頑張るべきことではない。
徐々にだけれど、はっきりとわかった。
ふと思い出すことがある。
学生時代に、どうしても意地悪なことをしてくる同級生がいた。
その同級生は、自分だけは仲間からハブにされないようにと、“今のところ”仲良しの周りの友達を巻き込んで、周りとの結束の強さ(今思えば、偽物の結束だったかもしれないが。)を見せびらかし、そこから外された私のような人にしつこいくらいに大きな声で何度も「私たち仲良しよねー♪この前も◯◯にこの仲間で行ったしねー♫いつまでも仲良しだよねー♩」と言い続けていた。
精神的に私はかなりまいっていた。
毎日毎日顔を合わせる同級生たちが彼女の作る渦の中にどんどん巻き込まれていく。
私はそこからどんどんはじき出されていく。
毎日辛くて仕方なかったけれど、思いつめて思いつめて、ある日、ふと頭に、
こんなふうにしか、彼女は友達をつなぎとめて置けないんだ。
仕方ないわ。だって、彼女はそういう人なんだもん。
という言葉が降りてきた。
半ば彼女に対する「諦め」。
それからは段々と心が軽くなったのだ。
事態は変わっていないのに。
その時と似た感覚だ。
簡単には外れない、硬くきつく縛っていたものが、なんかのきっかけでゆっくりと、しゅるしゅるしゅるとリボンが滑らかにほどけてゆくような。
*
「人生の後半は、自分の人生の前半と和解するためにある」
どこかの本で読んで書き留めていたものの出典を失念したのだが。
今まで大事に握りしめていたもの。
どうしても手放せないもの。
外したいのに、外れてくれないもの。
小さい頃から若い頃にかけて持ってしまった偏見や固まった価値観が、何かのきっかけで緩んでくる。
視界が狭すぎて見えていなかったものが、一歩引けるようになって見えるようになる。
私の年齢は人生の後半、にしたらまだ早いのかもしれないが、壁にぶつかったり、身体の痛みや心の辛さから、ふと人生前半に得たものと和解し、ちょうど良い塩梅になりつつある。
力、あと一歩でフゥーっと抜ける感覚があるのだけれどな。
ひとまず頭の中で勝手に作り上げたみんなから愛される理想の自分なんてものを追い続けてないで、
そこに過度に足したり引いたりしない私そのものを生きていったらいいんじゃないのか。
まだ時々現れる敏感なマイナスセンサー。そのうちもっともっと鈍くなっていくかな。
力、抜けますよ。
柔らかい表情で答える自分の姿を想像しながら。
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