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もやがハレルか?

■過去は変わっている

過去の歴史は変わらないと思い込み勝ちである。しかし、歴史の研究はずっと続いていて、今までと違う結論に達したり、中には科学技術や他の学問の進展で検証不可能だったことが検証できるようになってがらりと変わったりもしている。また、現代史では、死ぬ間際になって本当のことを話し出す当事者や関係者がいて書き換えられる。過去の話は、所詮当事者以外により伝えられた話でうつろいやすいものだ。学校で習った教科書にある歴史は、それが過去になればなるほど疑ったほうが良いのかもしれない。ましてや教科書は日本のことを日本人が悪く思うような趣旨が込められていることも、最近は明白で、それに気づいた知識人が、そういう趣旨を入れない中学の歴史教科書をつくっていたりもしているが、このような中立な立場でつくられた歴史教科書で2021年度の検定に受かったのは、今のところ一社だけだそうだ。ほとんどの中学生は日本をよく思わない趣旨で書かれた、書き直されている歴史を教科書で学ぶことになる。

日本人の歴史観と今後について、思ったことをすこしまとめておきたい。これは自分の考えを整理するためでもある。

■日本は奇跡の場所

分子生物学の進展により日本人の由来があきらかになりつつある。縄文や弥生時代に、日本人の成り立ちについて、朝鮮半島や中国大陸から渡ってきた人々がおおもとになったような印象はないだろうか。教科書にはそういうことをイメージさせるような書きぶりになっていると思う。少なくとも朝鮮半島や中国から先進の文明や稲作が伝わったと習っている。日本の古代人は狩猟から農耕で定住型に生活が変わり、これは弥生人からだと。あたかも縄文人にとって変わったような記載ではなかったか。これがどうやら、全く違うようなのだ。日本人は数万年前から日本にもともといた人類が祖先であり、それは純日本人ともいえるもので、過去には大陸からの人間との交配もあったと推測はされるが、古来から今の日本人まで、日本人は日本人なのだ。縄文時代にも農耕はあり、そもそも、大陸や朝鮮半島よりも、食料や水が豊かで、気候もよく。同じ時代の大陸の人間よりかなり豊かな暮らしをしており農耕をしなくても生活はできていたようなのである。そのため、米を作る必要もそれほどなかったということなのだ。日本はどこでも川や海が近くにあり、砂漠などはなく木々のしげる山々が至る所にある(今でも日本国土の7割は森林)。そこには森で暮らす動物たちもたくさんすんでおり、とらえて食べることはそれほど難しくない。海や川も数キロ歩けばあり、魚もとらえることができるし、栄養豊富な貝なら子供でもとれる。しかし、大陸は痩せた土が広がる砂漠地帯や、海まで何千キロとあるところもおおく、乾燥した山には木もわずかで動物もいない。環境の違いは歴然である。食糧が豊かであるから、人から奪うための争いは少なく、助け合う生活の方が普通であったと考えられる。食べるものがなければ。みんなでわける精神である。これは食料に事欠かないからできる行動である。日本は聖徳太子の時代から合議制にきづき、取り入れ、大化の改新等にあるように独裁を排除してきた。合議制がこのように太古から根付き、いまだに続いているのは。このような助け合う協力する文化が、自然に醸成されている地政学的に、有利な立地によるところが大きい。一方で、食料に乏しいところはどうなるか、明日をも知れぬ食料は枯渇が当たり前で、普段から奪うことも考え勝ちになる。ましてや、不足して困っている者に対して分け与えることはなかろう。このような考えで社会が発展していく過程は、集団となることが自身や家族を守るためであるが、集団となることで、より効率よく争うためという目的が定着し、支配者は民を助けるふりをしながら、支配者自身が助かるのモチベーションが高くなり、民に君臨することしか考えられない。現代の中国の上に共産党がある体制そのものである。ちなみに一党独裁の国家の軍隊は民に向けてあり、民のなかに政治がある国の軍は国の外に向けられると言う。香港や昔の北京の事件などからも、これは明白である。常に民の上に王朝をたてるため、常にうまくいっていない。中国大陸にたくさんの人がすむ歴史は四千年とか三千年とか、とても長いが、王朝としてはなん百年も続いたことはなく、常に興っては消えを繰り返しており、今の中国も70年目ぐらいである。いわんやもともと今の中国の中央政府は台湾だったのである。しかし、どさくさで大陸側が共産主義の国として国連に名乗りをあげ、国の体がなかった中国に対して、そこを国と認めただけのことである。
民の上の政府は続かない。中国の長い歴史が証明している。立派な歴史があり、歴史に学べと啓蒙している自分達が歴史に学んでいない。自分達は違うと信じきっている。滑稽である、四千年の数々の王朝もみな、自分達は未来永劫続くと同じように信じていたのだ。そこまで同じななのだ。いずれにしろ長くはない、また、歴史に短い王朝が記録されるだけだ、正確には王朝ではないがにたようなものだ、言い換えただけだ。一方で日本は、天皇の王朝が2600年以上続いている。具体的な記録があるところからだと1500年ぐらいだろうか。ひとつの王朝としてである。これは言うまでもなく世界最長。日本国内で文字が使われるようになる頃には、すでに天皇の体制は存在している。日本人はこれだけでも世界に誇れる国である。なぜなら、これは国が安定していることとと同じこと、この長期間、王朝を断絶させるほど強く支配を受けたことがないこと(地政学的な強さはあるが、はねのけ続けていることも事実である)の二点について千年単位で実現していることである。世界に類を見ない。

■不断の民中心の統治と独裁政治への戒め

千年単位で続く安定は、天皇制であることに加えて、聖徳太子が唱えた合議制にある。すでにこの頃、日本では政治は一人で決めるのではなく、合議によって決めなくてはならない、という現代の自由主義社会の根幹を方針として持っていたことが非常に大きい。民の上に統治が君臨しない基本である。日本の長い歴史の中で、一般の民衆に対して当時の統治者が武力を駆使した記録は一切ない(織田信長の高野山や比叡山の焼き討ちなどは特殊な集団と化した集団への行為である)。さらに日本の天皇制の、優れたところは、その統治のスタイルである。民と国は天皇の宝物であり、政治は天皇が任命したものが、民と国を天皇より借り受けて執り行う、という点である。これは、民や国を自身の好きなようにするということへの見事な牽制システムなのである。民は天皇のものだが、自分は関わらない。政治は民に指示をするが自分のものではなく、任されているだけである。雇われ店長は、店の売り上げに手をつけてはいけないのと同じである。ほとんどの日本人は、戦後アメリカがくるまで、天皇が独裁政治をしていたと思っている。私自身もそうだった。しかし、はるかな昔より天皇は独裁的な政治をすることはなく、太政大臣がしきり、天皇はその権力の範囲で認可をしていただけなのである。明治では明治政府が明治天皇にかわり政治を行い、御前会議で天皇の承認をへてから実施している。開戦判断も政府が行い、その判断を天皇に求めていたのである。なぜそこで開戦の反対をなかったのかとなるが、天皇は決まったことについて認可をするが、いにしえの過去より政治への口出しはできなかったのである。しかし、マッカーサーが天皇と面談した時、天皇は全責任は自身にあり、自身一人処刑し、他のものは責任を問わないでほしいと懇願するのである。マッカーサーはずいぶん驚いたそうである。今の天皇もそうであるが、民は天皇の宝物であり、天皇としてついたものは、この宝物を大切にするように、ということが代々引き継がれているのである。そこで常に国民を気遣い、寄り添うといったことが、自然にできるのである。明治天皇は遠い戦地で戦っている兵士をおもい、昼飯は梅干しだけだったそうだ。おかずなど贅沢で食べていられない、ということだそうだ。それは、誰にも知られることなく、しかし、日常の普通のこととして行っていて、伊藤博文が偶然目にしてしまったらしいのである。天皇は民の上にあぐらをかくのではなく、民をとても大切にしなさいというのが根幹なのである。民を大切にする、という強い軸が実行力を持たないが最高権力はおかれ、その権力の認可のもとに合議制に基づいた施政を行うという長年の体制が優れていたからこそ、日本は千年単位の安定を手にいれているのである。

■日本人は日本を誇りに思うべきである

アメリカの大統領フーパーが第二次世界大戦のアメリカの内情を暴露している。注目すべき要旨は次の通り

1.開戦は米国の罠
ルーズベルトはヨーロッパで始まった世界大戦に参加したくいが、理由がないため、ドイツと枢軸国の関係を結んだ日本を利用して参戦を図った。そのため日本に言いがかりをつけ始め、国際社会で孤立化させ、到底できない条件(ハルノート)を突きつけ、日本が米国に軍事行動を起こすように仕向けた。その間、日本は米国に和平交渉を求めるも、尽く無視され続けた(戦争がしたいのだから当たり前である)。 

2.米国は民間人100万人を殺戮しており国際法違反
昭和二十年に入り、日本は戦争を終わらせる道を模索し、米国に終戦の交渉を持ちかけるが、またもや無視。当時大統領はルーズベルトが死亡し、副大統領であったトルーマンが就いている。折しも新型爆弾すなわち原子爆弾であるが、テスト前までこぎつけており、トルーマンは俄然原子爆弾に興味を示し、今度は使いたくて仕方がなくなる。要は、日本に落としたいがために、和平交渉に応じないのである。かくて広島と長崎に落とすことができ、日本各地でのそれまでの空襲と合わせて100万人の民間人を殺戮する(阪神淡路で6千人、東北大震災で2万5千人である、いかに途方もない規模で罪のない人間を殺していることか)。 

3.事後裁判
戦犯として東京裁判で東條英機はじめ戦犯が裁かれるが、全て日本が敗戦後につくられた国際法によるものだった。極端に言えば、戦争中はそのような法はないため犯罪ではなく、後から、貴殿の行いは犯罪であると言われているようなものである。

4.アメリカによる戦後の言論統制
最も知るべきである。戦後、マッカーサーにより統治されたのは周知であるが、この時の米国の方針として日本国の戦意喪失があり、そのために日本人が日本を卑下する言論統制を引いたのである。原爆などアメリカの悪口は書いてはいけない、敗戦したがよくがんばったと日本を称えてもいけない、開戦は日本の責任であり、原爆が落とされても止むを得ない行為をしたのだ、日本は罪深い国であり国民である、という趣旨を書け、と各種メディアや教科書に圧力をかけ続けたのである。そうしないとメディア各社は営業停止になるのである。メディアは屈して書き続けた。教科書も変わった。こういう状態が6年8ヶ月続いたのである。もはや、アメリカの悪口や非道ぶりを書くものはなくなった。ペンは剣よりもつよし、などと息巻くメディアでさへ日本を卑下することが当たり前になった。戦争がおきた本当の理由は封じ込められ、大量に民間人が殺戮された原爆の利用について批判するものは国内にいなくなってしまった。一見原爆に許容し、日本という国はなんて寛大なのか、考えてしまうが、それは真っ赤な嘘で、いうことを許されないまま、飼い慣らされてしまったのである。

古代史が変わるかもしれない最近の研究成果

1.古墳時代、朝鮮半島には日本があった。朝鮮半島では広く日本語が話されていた。朝鮮半島にある前方後円墳は日本の統治領域があった証拠であり、伝来したものではない。

2.稲作は水田が効率が良く、日本の稲作は古来より水田だが、当時の大陸は畑で作っており、本当に大陸から伝わっていたのだろうか、伝わったとしてももっと南の方ではないか。

3.磨製石器の利用は世界で最も古い
古代より進んだ生活をしていたのではないか、そのため縄文や弥生時代に文化を発進していたのではないか。

■もやがハレル?
日本は世界に稀に見る国であり民族である。戦争好きでもなく、国の利益のために侵略や植民地政策もとって来なかった。主従関係はあるが、奴隷制度はない。平和に共存する術を持っている。千年単位で実現しているため、日本人のほとんどは意識することはない。日本を愛する、天皇制は素晴らしいというと、右翼だと決めつけて考えることをやめてしまうのはよくない。現在天皇制の元で内閣が組閣され、平和に暮らしているのである。平和の源がどこにああるのか、なぜ、内戦が続くような国になっていないのか、世界では大変な思いをしながら生活さへままならない国があるのに、日本はそう言ったことが少ないのか。事実に向き合う必要がある。そのために真の歴史を右翼左翼の政治思想もどきに惑わされることなく確認する必要がある。日本は偶然にこの平和になったのではなく、その時々の天皇や政治家が民のことを思い必死に守ってきたことの結果なのである。日本を卑下してはならない、日本を悪く言ってはならない、それは他人が都合よくコントロールするために意図的に日本人を誘導した結果である。現政権保守勢力へのやたらめったらの批判は、マンマとこの思想操作に載せられた浅はかな考えなのである。ましてや、この保守への批判することは頭の良い意識の高い人がするものだということまで刷り込まれており、学者の中の多くが、政府批判を行っている。中国はこの流れを、渡りに船とばかり利用し、反保守勢力に資金援助を行っている(沖縄基地反対運動への資金援助など)と言われている。単純に日本を愛するものまでネトウヨとよび嘲笑する発言をネット上で繰り返す、彼らも感化された者たちだろう。新しい歴史的事実が、こう言った米国の洗脳と中国の野望に操られた日本卑下論をいつか消滅させてくれることを願うばかりである。また、少しでも多くの人々が日本を誇りに思うようになってもらうような世の中になってほしいと切に願っている。

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