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自分がどこにいるかわからなくなったとき

ここはどこだ?

目指す場所はあって
やりたいことは山ほどあるのに、

あれ、何をすればいいんだ?
今歩いているこの道はどこだ?

と、自分が迷子になることがあります。

やりたいことがわからない、とか
今が不幸だ、とか
そんな感情ではなくて

やりたいことがあるのに無い

みたいなジレンマを感じるのです。

『座右のゲーテ~壁に突き当たったとき開く本~』(光文社新書)は、親しくゲーテと対話することで、身動きがとれない状態を打破するヒントが見つかると教えてくれます。

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豆腐屋だから豆腐しかつくれない

XやYouTubeなど眺めていると、バズっている人を見かけます。
そんなとき、「それぐらい私にもできるし」と不覚にも思ってしまうことがあります。(特に自分の得意分野だと)

「才能のある人間は、他人がやっているのを見ると、自分にもできると思いこむものだが、じつはそうではない」
とゲーテが言うように、才能のある人ほど、表現手段においてもあれこれできると思ってしまう。(中略)あれこれ手を出さないほうがいい。「表現手段はミニマムに、吸収の器はマキシムに」でいくことだ。

齋藤孝『座右のゲーテ~壁に突き当たったとき開く本~』(2004)光文社新書

自分の得意分野に才能があると仮定すると、ゲーテのいう「自分にもできると思いこむ」のはすごく理解できます。

そして、XやYouTubeに手を出し、馴染めずに離れかけている私の今の状況を振り返ると、著者のいう「あれこれ手を出すな」という言葉がグサリと胸に刺さります。

何かを始めたときは、
ずっと続く気しかしない!
一つのことに集中して取り組むなんてあったりまえよ!

と意気込むのですが、今となっては、特大ブーメランになってこの言葉が返ってきます。

まずは一つのことに集中して取り組む

この言葉、次はブーメランになりませんように。

愛するものからだけ学ぶ

ゲーテに、「人は愛する対象からしか学べないのだ」と断言されると、気が楽になるところがある。(中略)本当に大事なものを学ぶのであれば、情熱が湧くような相手でなければむずかしいとゲーテは言う。自分が惚れ込める人をつくることだ。

齋藤孝『座右のゲーテ~壁に突き当たったとき開く本~』(2004)光文社新書

同じことを言われるにしても、自分が愛している人から言われるのか、愛していない人から言われるのかでは、心に入ってくる感じがなんだか違う気がします。

私が愛している人「こうするといいよ」
私「そうなのか!やってみる!」

私が愛していない人「こうするといいよ」
私「アドバイス別に求めてないんだけど…」

と、内容が全く同じでも受け入れられるかどうかに差が出てしまいます。

全員を愛せればものすごく吸収できるのでしょうが、相性もあるのでそう簡単にはいきません。

だからこそ、いろんな人と出会って、愛せる人をたくさん見つけられるといいな。もちろん見返りを求めない無償の愛で。

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同時代、同業者に影響されない

異なる時代、異業種こそが刺激の宝庫である。

齋藤孝『座右のゲーテ~壁に突き当たったとき開く本~』(2004)光文社新書

ゲーテとの会話は刺激の宝庫
世代が違う人との交流も刺激の宝庫

自分がどこにいるのかわからなくなったら
異世代、異業種の人たちの近くにいたい

きっと今の自分を見つけられる

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ぶらっくこーひー * 読書
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