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漢詩がつまらないのは、日本語で読んでいたから?【唐诗三百首:感遇 张九龄】を解説します!*第一集*

漢詩は、中国では「唐詩」と呼ばれています。
特に「唐詩三百首」は小学校の教材として、
必ず暗記しなければならないものです。
日本でいうと「あいうえお」や「かけ算九九」
のような感覚でしょうか。


漢詩は子供向けの教材?

しかしその内容は、
決して子供向けではありません。

皆さまもよく知る、
「春眠暁を覚えず」
「国破れて山河あり」

で始まる詩も唐詩三百首に含まれます。

私が学校で漢詩を学んだのは、
中学校に入学してからだと思います。
その年齢ですら、意味をくみ取ることが困難でした。

私は中国語を学ぶ中で抑揚の美しさに気づきます。
ある日ふと思ったのは
レ点や一、二点にとらわれず、中国語発音のまま
読み上げたらどうなるだろうか。という好奇心。

そして、中学時代に私を苦しめた漢詩と
向き合うことを決めました。

今回は「感遇(四首)」作者「张九龄」
を解説していきます。
中国語で読み上げた音声も載せているので
合わせて聴いてください。


其一【孤鸿海上来】


孤鴻ここう海上より来たる
池潢ちこう敢えて顧みず
側に見る双翠鳥の
巣くうて三珠樹に在るを
矯矯たる珍木の巓
金丸の懼無きを得むや
美服は人の指さむことを患え
高明は神の悪みに逼る
今我れ冥冥に遊ばば
弋者よくしゃ何の慕う所ぞ

张九龄は玄宗皇帝の時、尚書右丞相でした。
しかし李林甫と牛仙客にその座を追われます。

第一首は张九龄を孤鴻にたとえ
李林甫と牛仙客を二羽のかわせみにたとえました。
鴻は空を高く飛ぶ大きな鳥、
かわせみは池のほとりに巣を構える
美しい羽根を持つ小さな鳥です。

池や水たまりなど眼中になく、
悠々と空を遊ぶ鴻に自分をたとえ
高く大きな精神を示しています。

感遇 其一(中国語音声)


其二【兰叶春葳蕤】


蘭葉春葳蕤いすいたり
桂花秋皎潔こうけつたり
欣欣きんきんとして此に生意あり
自ずから佳節を為す
誰か知らむ林棲の者
風を聞きてそぞろに相悦ぶを
草木本心有り
何ぞ美人の折るを求めむ

第二首は草木に自分をたとえました。
春の蘭、秋の桂華が自然に任せて栄え、
人の手によって折られることを望まないように
世に用いられることを求めない
自分の心を詠っています。

感遇 其ニ(中国語音声)


其三【幽人归独卧】


幽人帰って独り臥す
滞慮たいりょ孤清に洗う
此れを持して高鳥に謝し
之に因って遠情を伝う
日夕にちせき空意を懐く
人誰か至精に感ぜむ
飛沈ひちん理自ずから隔つ
何の吾が誠を慰むる所ぞ

第三首は林下に隠れ住む自分の真心を、
主君に伝えるすべがなく嘆いています。
滞慮(つもる憂い)
遠情(遠い場所から主君を思う気持ち)
という表現からも気持ちが読み取れます。

主君への真心を空高く飛ぶ鳥に託して、
せめてわが思いを伝えたいという詠です。


感遇 其三(中国語音声)


其四【江南有丹橘】


江南に丹橘有り
冬を経て猶緑林
豈伊れ地気の暖なるならむや
自ずから歳寒の心有り
以って嘉客に薦む可し
奈何いかんぞ重深に阻まるる
運命は唯遇う所のまま
循環は尋ぬ可からず
いたずらに言う桃李をうと
此の木豈陰無からむや

第四首は、年老いても堅固な心をもっているが
様々な障害があると歌っています。
橘は江南に生じ、根は堅く移しにくい。
その実はまろやかで色美しく香り高い。

この橘に自分をたとえ、
世のために提言をしようにも妨げの多い様子を
表しています。


感遇 其四(中国語音声)

江南有丹橘


漢詩は人生を凝縮したもの


日本の短歌や俳句と同様、
漢詩は限られた字数の中に
作者の思いが込められています。

私は「感遇」から
自然のままでいようと根を張ったため、
簡単には動くことができなくなった张九龄の
もどかしい気持ちが読み取れました。

読み手によっては
「動けなくなったことは、かえって都合が良い」
と张九龄は思っているのではないか、
と感じる人もいるでしょう。

最終的な感情の落としどころは、
読み手に委ねている部分があると感じました。

ひとりひとりの感性は、漢詩の味わい深さです。
中学校の授業以来、触れていなかった方は
今改めて漢詩を読むと新たな気づきがあるかもしれません。

参考書籍…
唐诗三百首诵读本(插图版) (Chinese Edition)
中华书局经典教育研究中心

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