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グリーフ哲学

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大切な方を亡くした方に
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#カント

グリーフ哲学をーそれでも輝く

グリーフ哲学をーそれでも輝く

実家に帰ったら、お勤めも辞めたわけだから、時間は結構空くのかと思いきや、毎日何やかにややることがあり、また、管理するものが多くなり、必然的にルーティンも増えて、あっという間に時間は過ぎてゆく。そういう時間から、やっとゆったりとした流れとして時間を感じるようになりました。

私が実家にいた頃に三味線を習い始めたお隣さんが、10年前から三味線のお師匠さんになっていて、ご近所のお友達に教え始めていました

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グリーフ哲学をー間(あいだ)にあるといふのは

グリーフ哲学をー間(あいだ)にあるといふのは

親と子、妻と夫、あなたとわたし・・・・、この二つのものを結ぶのは、「と」という間(あいだ)です。間があるからこそ、この二つのものが存在するといってもよいでしょう。

「愛は私にあるのではなく、相手にあるのでもなく、いわばその間にある。間にあるといふのは、二人のいづれよりもまたその関係よりも根源的なものであるといふことである。」(三木清著『人生論ノート』、新潮社)

愛は間に在って異なる二つのものを

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グリーフ哲学をー闇があるからこそ

グリーフ哲学をー闇があるからこそ

カントの『実践理性批判』の終わりに、こういう有名な文章があります。

くりかえし、じっと反省すればするほど常に新たにそして高まりくる感嘆と崇敬の念をもって心をみたすものが二つある。わがうえなる星の輝く空とわが内なる道徳律とである。この二つのものをわたくしは暗黒におおわれたものとしてまた超絶的なものとしてわたくしの視界の外に求めたり、憶測したりしてはならない。わたくしはそれを目の当たり見て、直接わた

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グリーフ哲学をー見えないもの

グリーフ哲学をー見えないもの

わたしたちが、自己というとき、その定義は大体において、デカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り(cogito ergo sum コギト エルゴ スム)」を前提としています。

この「思う」とは、フランス人であったデカルトの言葉を借りるならば、penserで、日本語では「考える」という意味になります。

それは、デカルトが感覚も知性も想像力も、夢か幻かもしれないと疑ってみても、疑う「私」が在らねばならな

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