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連載小説「超獣ギガ(仮)」#9



第九話「天地」

 冬の朝の東京湾。水平線に目覚めた陽光はその丸みを弛ませることもなく、ひたすらに、恐らくは無目的に白黄熱を放つ。その日も昨日に似た青空が始まっていた。透き通る冬の空。
 上空約一五〇メートル。透き通る冬の青。東の太陽を左下にときおり眺め、花岡しゅりは跳躍を繰り返していた。溶け込もうとせず、その背後の青をゆく。
 階段を駆け上がるかのような動作で、左足を軸足に、右足の爪先が宙をつかむ、そして、蹴り上がる。一歩、二歩、そのたびに弾む息。睨む視界はやがて千切れた雲。繰り返す瞬間移動。しかし、歩を重ねるたびに一歩の移動距離は短くなっていた。吐く息に声が混ざる。やがて、それは悲鳴のように聞こえた。
 しゅりのその右手は波早風の左手首をつかんでいるままだった。彼はしゅりと同じ動作をしてはいない。目を閉じ、小さく丸まるようにして、その身をしゅりに任せて、超超高速で移動しているしゅりに随行していた。
 ふたりの眼下には、なんら昨日と変わらない人々の営みが見てとれた。幹線を駆けるトラック。それからそれを追うパトカーの赤いライトと、喚き散らすサイレン。また別のどこかから、かすかにクラクション。昨日と同じはずの、空の下は平和に見えた。この埠頭で起きた、モンスターによる虐殺と、人類が始めた反抗は、誰にも知らされはしない。この世界は隠し事で成立しているのだ。
 左下の湾には、水平線の近くをゆく船を確認できた。ついさっきのヘリコプターはどこへ去ったのだろう。その姿らしきは眼下には見つからない。真下には、青白い光をたたえた角が見えた。その下にある、一つ目が揺れていた。自分の真上にいる獲物へ視線を放つ。滲んでぼやける青白。そして雷鳴さえ思わせる咆哮。
「花岡、行ってくる」
 波早は体を開いた。
「オーケー。気をつけて」
 しゅりはその手に握っていた手首を解き放った。かすかな温もりだったその手がピースサインをつくって、しゅりに向けられた。波早はわずかに笑顔さえ見せ、自由落下する。いま、彼は、上空で解放され鬼神と化す。
 青い空に解き放たれて、波早はその落下速度をあげた。彼はそのとき、風の音を捉えていた。風切音。間もなく、閃光が飛んでくる。眩い白。それがわかる。陽光を跳ね返す一閃。まぶたにその未来を幻視していた。
「天よ地よ。この光の源なるお天道様よ。我が心体、いまひとたび、この世の理すらも欺くことをお許しください」
 手を合わせた。そして解く。右手を左の胸に合わせる。呼吸をひとつ、もうひとつ。自身の落下軌道と、交差するように横切る鋼鉄の棍棒が十字を描く。
「解放する」
 さあ、やってやるか。視線の先に標的を捉えていた。地上から届きもしない両手を空に向けてやがる。牙を剥いていた。この化け猿。いくらでも吼えろ。その口のなかに一撃叩き込んでやる。

〝鬼腕力王(きわんりきおう)〟

 骨の浮き立つ手の甲に、白色の五芒星の光が宿る。犬歯が尖って、獣へと還る。上腕の筋肉が盛り上がる。宙を四足歩行するように這い下りて、視線の先の遥か下、自らを睨む超獣ギガの、角へと利き手を伸ばした。
 その時だった。高速で飛来してきたのは、自らの武器、ブブ・ラゼルこと、金剛力ノ粉砕棒。波早はそのグリップを掴み、雄叫びを一閃。
 重さに加算された速度で、引き千切れそうな肩に、肘に、手首に血液が集まる。体を左右に旋回させて、プロペラのように回転させた。その負荷を、エネルギーを逃す。もう一度、落下軌道へ、そして、その回転を前方へ変えた。重さ約四百キロ、全長約二百センチの棍棒を縦に振り回して、波早はいま、自分を兵器へと変えていた。落下と回転速度、遠心力も加算させる。彼の超法術「鬼腕力王」は、瞬間的に、脳や肉体から制限を受けている身体能力を極限にまで引き出す力だ。
「りなっ!」
 インカムからしゅりの叫ぶ声。その声にりなは見上げた。アサルトスーツの背から広がる白いパラシュート。ゆっくりと降下してくる細いシルエットは、花岡しゅりだった。地上と空。二人は互いにピースサインを交わす。
「あとはお願い」
「任せとかんかい」
 吸い込んだ息をすべて吐き出すと、鼻が、ぴい、と、鳴った。握りしめた拳はかすかに震えている。無茶震い? 武者震い? どっちでもかまへん。
「あんたはしばらく休んどきー」
 しゅりを待たず、りなは岸壁へと走り出した。上空を旋回しながら下降してくる、白い閃光を見つけた。聞こえてくる風切音。その下には、波早を待ち構える巨体がいる。
「聞こえるか鳥谷」
 文月の声に気づき、りなは立ち止まった。目を閉じた。左耳を手で覆う。
「解放だ、奴を叩き落としてやれ」
「了解や」
 りなは射程圏に対象が入ったことをわかっていた。ここからなら、届く。そして見据える。胸の前で手を合わせた。詠唱を始める。
「天よ地よ。この光の源なるお天道様よ。我が心体、いまひとたび、この世の理すらも欺くことをお許しください」
 頬をふくらませ、ふう、と、息を吐く。目を閉じて、再び開く。音を立てて、メガネが割れる。光の円に包まれて、ゴムが切れて結んでいた髪が解けた。真下から風が吹く。乱れる長い髪。
「解放するでー」
 にやりと笑っていた。その口から上下二本ずつの犬歯が光っていた。左胸に添えていた右手の甲から発現する、五芒星。いよいよ、りなもその力を解放する。獣に還るときだった。招き猫のように、軽く握った両手の拳を胸の前にかまえた。
「くそ猿。あの世まで散歩してこい」
 風が巻き上がったような気がした。砂が、小石が震えながら持ち上がる。それが砂塵をつくり、対象者、対象物である、超獣ギガの巨体に添い、螺旋を描いて舞い始めた。りなは見上げたその視界に、滑空してきた波早の姿を睨んでいた。
「来い!」
 叫ぶ波早の声に、りなは睨み返す。眉根を寄せて「にゃあ」と叫んで、かまえていた手首を上下させた。そして、ついに、その解放が始まった。

〝雪猫憑依(ゆきねこひょうい)〟

 その直後だった。五百キロをゆうに超えるだろう、体長六メートルのモンスターの巨体までもが、なにもない宙へと、浮き始めた。りなに気づいたモンスターはその一つ眼にりなを捉えはしたが、手足や尾は届かない。炸裂音のような咆哮をりなに浴びせはしたが、いまや、その巨体はりなの操る能力の術野内。砂塵に巻き上げられ、徐々に上昇してゆく。神さん、勘弁やで、この世界の理に触らせてもらうさかいな。
「おら、行け!」
 もう一度、招き猫のポーズ。重力という制約から解き放たれた巨大な超獣は、その重量を失ってしまったかのように、真っ逆さまに空へと落ちた。そして、上空には、波早が待っていた。金剛力ノ粉砕棒を担ぐようにかまえている。彼の目には、狙うべき箇所が映っていた。自らを制御できずに空へと飛ばされた超獣ギガは、その唯一の弱点である前頭部の角が狙われていることに気づいていない、打撃の範囲に入ったとき、りなはその術を解いた。重量は再び反転し、神がつくりたもう本来の天地、上下に変換された。空にいる、波早にピースサイン。
 波早はそれを見ていた。棍棒を握り直す。上半身をひねって、打撃姿勢を整えた。そして、飲み込んでいた大気を乗せるように、迫りくる巨体の、一点に向けて、渾身を振り抜いた。

 その頃。超獣ギガを捕縛するための監獄である、冥匣(めいごう)を積載した特殊運搬車オーガスが文月のいる指揮司令車を離れて、交戦中のエリアへ走り始めていた。運転席に小日向。助手席に雪平。車輌の背には、巨大な構造体が十字に展開して、わずかに揺れていた。
 文月と高崎のいる指揮司令車ミカヅキと、その付近。戦地に赴いたオーガスと入れ替わるように、漆黒のセンチュリーが停車した。無音に近い静音ながら、文月はその気配に振り返る。戦闘の続く晴海埠頭に降り立ったのは、時の首相、第百一代内閣総理大臣、蓬莱ハルコであった。

つづく
artwork and words by billy.

p.s.
 次回で#10になりますので、予定を早めて初戦を終え、物語パートに移りたいと思ってはいるんですが、そううまく行くでしょうか。
 説明が必要な初戦とは言え、バトルシーンがこれほど字数を必要にするとは考えていませんでした。
 それでは、また、ビリーでした。

#創作大賞2023

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