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連載小説「超獣ギガ(仮)」#8



第八話「跳躍」

 その日の朝の光について、彼女はよく記憶している。とりたて特徴のない、冬の朝の柔らかな陽光だった。言うならば、昨日によく似た光にしか見えなかった。昨日の朝。一昨日の朝。その前の日の朝の光。いくつ数えただろう。まだ静かに暗がる官邸の執務室にコーヒーを持ち込み、前夜の続きの議題に目を通し、次の会見に備えて原稿を用意し、あるいはもはや無目的にテレビとパソコンとスマートフォンから国内外のニュースを漁り読んだ。残念ながら私の施策を容認するニュースはなかった。いつもと同じように、政府の無策を糾弾することだけが報道されている、そんな気がした。本当はそうじゃないのかもしれない。しかし、自分の無策や非ばかりが追求されているように思えて、そんなとりとめのなさを目眩と共に過ぎ去るのを待つのがハルコにとっての朝だった。いつかの安眠の夜は消え失せ、かすかなまどろみを経て早朝には目覚めて、かすかな食欲をコーヒーでサラダとチーズトーストを胃の中に流し込む。味なんてなんでもいい。ついてればいいと思うようになっていた。それから、いつか掲げた理想まで咀嚼して胃に捩じ伏せた。
 私、もう五十だよ。こんな生活、いつまで続けられるだろう。体が悲鳴をあげるのが先か、あがり続ける国民の悲鳴が先か。天井はどこにあるのだろう。どうにも不毛なレースに参加しているような気がした。
 時の首相、第百一代内閣総理大臣、蓬莱ハルコは、窓辺に立って早朝の空を見上げることが習慣になっていた。ただ、その日は久しぶりに外でそれを見ておこうと思った。
 行き先は東京湾。晴海埠頭。

 午前六時十五分。進化外生命体・超獣ギガと、その侵略者を迎え撃つ内閣府直属の国家治安維持機関、冥府の遊撃部隊、隠密機動部隊ケルベロスの交戦が続いている晴海埠頭。

 雪はやがて雨になり、その雨も予報を外れて早々とやみ、凍りついた港湾地区のアスファルトを溶かそうと、朝の光が睨んでいた。
「聞こえるか、波早」
 聞こえるか、花岡。鳥谷。文月は東の空、太陽がふくらみ始めた湾を睨んでいた。双眼鏡に見る影。双眼鏡を下ろして肉眼で確認した。そこにうごめく、巨影。その巨体にまとわりついて、跳び、駆けて、背から、足元から、その遥か高みの空から。頭部を狙う二丁の短機関銃。縦横を無尽に放たれる銃声。連続する銃声。こぼれ落ちる薬莢。そのすべてを苛立たしげに、忌々しげに、払おうと両手と尾を振るう巨大なモンスター。
 その姿はまるで。僕たち人は、夏の蚊のようじゃないか。蝿のようじゃないか。
「軌道計算は終わった。射出角二十八。発射後、三秒で君たち二人の上空を通過して、東へ五十八キロ地点、東京湾に着水する」
 やや見下ろしになる高みから、波早の専用の打撃武器、金剛力ノ粉砕棒(ブブ・ラゼル)を発射する。受け取る波早は空でそれを受け取ると言った。地上にいる超獣ギガを上から叩くつもりだと言う。落下速度や遠心力を加算するのだろう。頭部、もしくは前頭部にある角。それを破砕して動きを止める以外に、奴を止める手はない。
「そのタイミングでつかんでくれ。ブブは上空約二千八百メートルあたりを飛んでゆく」
 文月は見上げた。その視界には昼の空が始まりつつある。あの青み。僕たちが暮らす世界。これからも、人が生きる場所。人が見上げる青。
 なあ、花岡しゅり。きっと僕たちしか、次の時代を切り開くことはできないだろう。見上げる視界に、また、あの怪物が現れない世界にするしかないんだよな。
「いけるか。間もなく、射出できる」
 特殊運搬車両、通称オーガスは、その白い背骨を持ち上げていた。射出カタパルトには、全長二百センチ、重量四百キロになる波早専用の特殊装備、金剛力ノ粉砕棒が発射を待っていた。その姿はバットによく似ている。野球において、打者がボールを打つための、棍棒のようなものだ。しかし、波早が叩くのは、ボールではなく、巨大な猿型モンスターだ。狙うは頭部。そこにある角。
「うん」
 聞こえてるよ。インカムから波早。落ち着いているわけではない。興奮している様子もない。疲れがあるのか、呼吸は少し荒いが、しかし、装いがなく、冷静なままの、いつもの声だった。
「隊長。小日向さん。高崎。雪平。それから、花岡。鳥谷」
 大きな深呼吸を二度、三度。波早は続けた。
「俺たちの敵が、この、目の前の、超獣ギガという猿が、こんなに強い、タフなやつだと思わなかった。でも、負けられない」
 そうだ。どうしようもなくタフなうえ、治癒、再生能力まで保有している。そのうえ、こいつはまだ、「ギガ」なんだ。これから先、おそらく、進化した、ギガント、ギガンテスすら、僕たちの前に現れるだろう。あの青い空を封じようと僕たちを見下ろすだろう。初戦にこれほど手こずるとは思わなかった。これから、複数のギガや、進化したギガが現れたときも、僕たちがこの国を、星を、人を守らなきゃならない。どんな方法を使っても、だ。
「俺たちとはサイズが違いすぎる。下からだと跳ね除けられる。上から、あの角を狙う。花岡、射出されたバットの軌道に俺を連れてゆけ。鳥谷。俺がバットを手にしたら、おまえの出番だ」
 各自はそれぞれに波早の指示を聞く。何度も繰り返せない、今回、最後の作戦になる。
「小日向さん。雪平。俺がバットを取ったら、オーガスでこっちに。捕縛の準備をしていてくれ」
 絶対に俺たちがやつにダメージを与えておく。
「うん。やったるわ」
 鳥谷は肩で呼吸していた。
「了解」
 インカムから、高崎と雪平。
「任せておけ」
 間違いなく、お前の真上に飛ばしてやる。しゃがれた小日向の声にそれぞれがうなづいた。その声に、七名は真上に広がる、いつの間にか、ひたすらに青く染まった視界に目を細めた。それぞれの吐息がインカムから届く。私たちは生きている。いま、この世界で、呼吸をしている。
「ええやん。思い切り、ぶっ叩いてやればええんや」
 あのくそ猿を。いよいよ解放したる。この、うちの超法術を。神さんにもろた、特別な力を。すぐにひっくり返したるからな。鳥谷りなは歩幅を広げた。爪先に地を捻る。手を合わせた。前方を睨む。
 天よ地よ。この光の源なるお天道様よ……。
「聞こえるかみんな」
 文月の声。
「射出するぞ。用意はいいか。すぐに雪平がカウントする」
 頼む雪平。了解、カウント開始します。即座の返事。
「行動を開始します。ブブ・ラゼル、射出まであと二十八秒。進路オールグリーン。花岡、鳥谷、波早の術野までの所要時間は約三秒」
「未来は、自分たちで決めるんだ。取り返そう、僕たちの未来を」
 文月がそれを告げた。それを受けた花岡しゅりは続いた。じゃあ、みんな、行こう。荒いままの呼吸を抑える。目を閉じた。風が聞こえる。吹き抜けてゆくそれは西から東へ。
「じゃあ、みんな。位置について」
 しゅりはその手を広げた。姿勢を落として、両手と左の膝を冷たいアスファルトへ。睨む前方。もうすぐまた風が吹く。いまだ白い息。
 しゅりは目を閉じた。そして開く。真っ直ぐ前を見て、胸の前で手を合わせた。神様、私たちに力を。
……我が心体、いまひとたび、この世の理すらも欺くことをお許しください。
 そしてそれを聞いていた六名は、それぞれ、一瞬だけ空を見上げた。その深呼吸は重なった。大きく吐き出したとき、雪平のカウントが始まった。
 三。
 オーガスの背が滑走路になる。朝日を浴びて光を跳ね返す、その白い鋼鉄。どこかゲレンデを連想させた。射出を待つブブ・ラゼルの直前に信号機。いまはまだ赤。黄色になり、青が灯ればゲレンデを逆に滑って空へ放たれる。
 二。
「よーい」
 オーガスの助手席から全景を見渡していた雪平は薬指を折り入れて、立てたままの中指と人差し指で直射の日光から目をふさぐ。そのモニターには親指を立てている高崎を確認していた。ミラーには白髪の小日向が映っている。
 一。
「どん」
 解放します。
 解放する。
 解放するでー。
 重なる三人の声。それぞれの甲に浮かび上がる五芒星。
「点火。ブブ・ラゼル発射します」
 雪平のかけ声を合図に、オーガスからサイレンが鳴り響いた。赤と白が明滅する。
 その軌道を目視した、花岡、波早、鳥谷の三人は再び駆け始めた。
「受け取れ波早!」
 小日向が叫び、真冬の朝の光を溜め込んだその重金属が発射された。尾から伸びる煙。みるみる小さくなる。それが届くのはわずか未来。ほんの少しだけの未来。見上げる青。見慣れたはずのその色。機影のようにきらめく一閃。
「花岡! 頼む!」
 インカムから波早。すぐに行く。しゅりは走りながら、その姿を消した。空中を翔けてゆく。誰もが経験のある水切りの小さな石のように、駆け上がって、そして消え、飛翔してきた金属棒をとらえようと大飛躍していた、波早の手をつかまえた。
「行くよ、波早さん」
〝鈴音一歩(すずのねいっぽ)〟
 二人はその次の瞬間、上空を飛んでいた。青みに溶け込もうとしても、決して溶け込みはしない。
 鬼退治はまだ始まったばかりだった。

つづく。
artwork and words by billy.

☆作内各専門用語と、ここまでの「超獣ギガ(仮)」

☆著者指定テーマ曲は
幾田りらさんの「JUMP」です。

#創作大賞2023

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