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好きな作家を15人選んでみた(海外文学編)

※2014年くらいに別のブログで書いたものの再掲です。いまとちょっと違うところもあるけれど、だいたいおなじな感じもするのでまぁいいかなと。アップデート版も時間を見つけて書いてみたいと思います。

第15位 ジョージ・オーウェル

オススメ作品:1984年

まず最初のランクインは、イギリス人がみんな読んでないのに読んだフリをするといわれるオーウェル。近年ではトランプ政権発足などに象徴される欧米でのポピュリズムの広がりを受けて、再び世界的なベストセラーとなっている本書は、人生のどこかのタイミングで読んでおきたい一冊。
オーウェルは動物農園や1984年のように20世紀の世界を寓話化した作品でよく知られているが、戦争体験の手記なども非常にすばらしい文章を残している(カタロニア賛歌)。かれの文体は明快かつ簡潔な文章がほとんどなので、そこまで読書慣れしてないっていうひとでもスルッと読めてしまうとおもいます。事実、普段本を読まない友だち何人かに、1984年をかしてみると、みんな1週間以内に読了していました。おもしろいっていってました。

第14位 コーマック・マッカーシー

オススメ作品:すべての美しい馬

アメリカの大御所作家はだいたいそろそろノーベル賞とるんじゃね?みたいなことを誰かにいわれているのだろうけど、マッカーシーもそんな作家のひとりだとおもう。
マッカーシーはアメリカらしいロードムービー的な物語を、独特なもろさを持ちながらひたすら長く続く不安定な文体で語るのが大きな特徴だ。ある意味、上述のオーウェルとは正反対のことばを使い、世界をつくっていく。翻訳された小説の「文体」ってなにかって疑問におもうひとは特に読んでほしい感があります。

第13位 ジョゼ・サラマーゴ

オススメ作品:白の闇

特に20世紀以降の世界文学と呼ばれる小説は一段落・一文の持つ情報量がめちゃくちゃ濃くなったような気がする。それはさておき、サラマーゴはあるシチュエーションをその空間にいる一個人の内省、俯瞰的視点からの分析、など重厚な文章でありながら様々な視点に飛び移る軽やかさを持って多角的に描出するのがとんでもなくうまい作家。文章がかっこいい!

第12位 イタロ・カルヴィーノ

オススメ作品:レ・コスミコミケ 柔らかい月

子どものような無邪気な発想を、文体・作品構造を駆使してひとつの世界に仕上げていくスタイルの天才といえばカルヴィーノだとおもう。紹介した「レ・コスミコミケ」はこの世界の誕生を目撃したというQfwfq老人の楽しげなお話、と読んではいけないとおもう。無邪気な想像力が言語表現として結実している。
続く「柔らかい月」は、この世界の誕生を個人の奇想としてでなく、絶対的な真実として揺るがないリアリズムを与えようとした、カルヴィーノの到達点となった作品だとおもう。

第11位 クロード・シモン

オススメ作品:農耕詩

クロード・シモンを読了できるひとは正直、この地球上でかなり少ないとおもう。いわゆる、ヌーヴォーロマン(またはアンチロマン)という、物語性よりも、言語的冒険・文章技巧により小説世界を構築しようとする志向をもつ作家群に属するとされているけど、ヌーヴォーロマンの評判はあんまりよくなくて、「あーはいはい苦笑」みたいな感じであしらうひともいるし、たしかカポーティが「カメレオンのための音楽」のなかでかれらへの皮肉を込めた一文を書いてたりする。
ただ、シモンに限っていえば、かれの小説を文章実験や冷たい技巧に終始しているだけ、などという読み方をけっしてしてはならないとおもう。紹介した「農耕詩」では三人の時空を異にする主人公たちが「彼」と呼ばれ、その三人のエピソードが、ひとつの段落、ひとつの文のなかに入り乱れ、あらゆる時空にパスが通される。人間の知りえない時空を切り開いた名作だとおもう。 

第10位 ジョルジュ・ペレック

オススメ作品:煙滅

20世紀のフランスはとにかく変な小説を書きたいひとが多かったのか、言語構造・小説構造そのものに向けた小説が多い。先に挙げたヌーヴォーロマンとは別に「ウリポ」という文芸創作集団があり、その創始者は「文体練習」でおなじみのレーモン・クノーだった。ジョルジュ・ペレックはそんなかれの一番弟子。
おすすめの「煙滅」は”e”を一切本文中で使わないで書かかれた驚異の小説(※一か所だけ例外的に使われているとかいう噂を聞いたことがある)。それをいかに日本語へ翻訳するか……翻訳者の仕事とはなにか、その苦労も作品とあとがきを読むことで知ることができる。ちなみに、カルヴィーノもウリポに所属していた、らしい。

第9位 フランツ・カフカ

オススメ作品:流刑地にて

説明の余地がないひと。現代の作家で影響を受けていないひとはいないといわれるくらいのひと。しかし生前は銀行員としてストレスフルな日常を生きて、夜な夜な小説を一気に書き上げる、みたいな生活をしていたが、死ぬまで作家として良い評価はもらえなかったとのこと。
いい作品はたくさんあるけれども、ぼくは「流刑地にて」という短編が好き。ひとが抗いがたい根源的な悪を、最も非道で「正当な理不尽さ」をもって裁く怪作。

第8位 ジョン・マクスウェル・クッツェー

オススメ作品:恥辱

南アフリカ出身の作家であり、たしかサミュエル・ベケットの研究とかもしてるひと。個人的に、クッツェーはオススメに挙げた恥辱以前と以後で、作風が違う気がする。恥辱以前はけっこう文体をあれこれ試している気がしたけれども、恥辱以降はずっと一人称寄りの三人称で書いている気がする。
ぼくはノーベル賞受賞以降の方が好き。「恥辱→エリザベス・コステロ→遅い男」の順番でぜひ読んで欲しい。

第7位 ウィリアム・フォークナー

オススメ作品:響きと怒り

カフカと同じくらい、現代の作家に影響を与えている作家はジョイス、プルースト、そしてこのフォークナーだろう。まぁフォークナーはジョイスやプルーストの影響下にあった作家のような気がするけれどもそれは置いといて、20世紀初頭に実験的になされ始めた想起による物語の跳躍(いわゆる「意識の流れ」)を駆使して、極めて巨大で奥深い物語世界を構築することに成功した稀有な作家だとおもう。
そしてこの「響きと怒り」は前半の二章の語りの狂気がとにかくすさまじい。フォークナーの作品は、どんな形であれ、ことばを持つということが「世界を持つ」ということと同義であるのだという深く強い確信を与えてくれる。

第6位 シギズムント・クルジジャノフスキイ

オススメ作品:神童のための童話集

ことばを持つ=世界を持つ、ということをフォークナーとは同じ意味でありながら違う形で教えてくれるのが、クルジジャノフスキイだ。20世紀初頭にロシアにいた、無名であることで有名な作家らしく、その生涯はなかなか地味なものだったらしい。最近になって、かれの再評価がどうのこうのだとか。

第5位 ケリー・リンク

オススメ作品:マジック・フォー・ビギナーズ

ほんとうにいいものを読んだとき、ものすごくたくさん語りたくなることもあれば、なにもその作品に関していいたくなくなることもある。ケリー・リンクの作品は後者のような気分になる作品だ。そのせいで、最近出版になった「プリティ・モンスターズ」の書評をいまだかけずにいる。というわけで、引用だけして紹介を終わりにしたい。

人間と同じで、物にも生まれてから死ぬまでのサイクルがある、とあたしたちは信じていた。ウェディングドレスやフェザーボアやTシャツや靴やハンドバッグのライフサイクルには、〈衣料品街〉が組み込まれている。よい衣服なら、あるいはたとえ悪い衣服でも面白い感じの悪さなら、死ぬと〈衣料品街〉へ行く。死んでいることは匂いでわかる。それを買って、洗って、もう一度着るようになれば、買った人間の匂いがするようになって、服は生まれ変わってもう一度生きる。でも肝心なのは、何かを探してるならとにかく探し続けるしかないってことだ。気合いを入れて探すしかない。
──ケリー・リンク,「妖精のハンドバッグ」  

第4位 リチャード・パワーズ

オススメ作品:われらが歌う時

パワーズについてはいろんなところで書いているので割愛。

第3位 ヴァージニア・ウルフ

オススメ作品:灯台へ

そして彼女は、子ども部屋のドアに手をかけながら、感情が引き起こす他の人たちとの気持ちの交流をひしひしと感じていた。まるで意識の仕切り壁がとても薄くなり、事実上(それはほっとするような幸福感となったが)すべてが一つの大きな流れに溶け込んでいき、たとえば椅子もテーブルも、夫人のものでありつつ彼らのものでもあり、あるいはもはや誰のものでもないような気がした。ポールとミンタは、わたしが死んだ後も、きっとこの流れを引き継いでくれることだろう。
──ヴァージニア・ウルフ,「灯台へ」

ウルフの「時間」というものへの執念は、ただものではないものを感じる。この一日が、向こう十年と同じ重みをもつ世界。ウルフの小説には未来も過去もない。目の前の「この一文」しかないのだとおもった。そして「この一文」を読むことに、彼女の小説を読む喜びがある。

第2位 トマス・ピンチョン

オススメ作品:競売ナンバー49の叫び

 In Golden Gate Park she came on a circle of children in their nightclothes, who told her they were dreaming the gathering. But that the dream was really no different from being awake, because in the morning when they got up they felt tired, as if they’d been up most of the night. When their mothers thought they were out playing they were really curled in cupboards of neighbor’s houses, in platforms up in trees, in secretly-hollowed nests inside hedges, sleeping, making up for these hours. The night was empty of all terror for them, they had inside their circle an imaginary fire, and needed nothing but their own unpenetrated sense of community. 
──Thomas Pynchon, “The Crying of Lot 49”


低俗でばかばかしい、そんなエピソードを無数に積み重ねて狂気に満ちた世界の大パノラマを飄々とつくってみせるトマス・ピンチョン。いきなり「重力の虹」をよむことはオススメできなくて、最初はやっぱりベタに「競売ナンバー49の叫び」から入るのがいいと思う。
初期ピンチョンが繰り返す「集団的パラノイア」というモチーフ、百科全書的な詳細を豪快にぶっこんだ物語構成が、インターネットがなかった時代にピンチョンに見出されていたということが、なによりも驚きである。

第1位 ガルシア=マルケス

オススメ作品:コレラの時代の愛

小説を死ぬ気でたくさん読んでいるとたまに何が楽しいのか、何が好きなのか全然わからなくなって気が狂いそうになる。
そんななか、やっぱり物語が好きだな、やっぱりことばそのものが好きだな、と一撃で思い出させてくれるのが、ガルシア=マルケスの小説だ。全体の物語、それを構成する枝葉の物語、それらを構成する一文一文、ミクロにもマクロにもすばらしいとしか言いようがない、ぼくの知る限りで最も完璧な小説を書く作家だとおもう。
オススメの「コレラの時代の愛」は、もっとも有名な作品である「百年の孤独」よりもはるかに読みやすく、またわかりやすい。なので初めてラテンを読むという方にオススメしたい。ぼくがほんとうに好きな小説は「族長の秋」なんだけど、この小説は分厚いくせに、改行が5回くらいしかないので修行僧しか読み切れない系の小説だ。

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