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100円の偽物笑顔
18歳の秋、私は人生で初めて担任を持った生徒を失った。
「来週からの島田ひなたさん(仮名)の授業の担当は、その先生に交代してほしいというお願いがありまして──」
夕食後、塾長から突然かかってきた電話。
電話の内容は、私が塾講師のバイトを始めてから1番最初に授業を担当した生徒である、小学4年生の島田さんについてだった。
島田さんは、私がバイトを休んだ日に代講を担当してくれた先生を大層気に入ったらしく、私の担当が外されることになったのだ。
「こういうのは相性で、先生が悪い訳ではないですから、あまり気にしないでくださいね」
遠慮がちに話す塾長のフォローに、私は「はい、ありがとうございます」と言いながら電話越しに頭を下げる。
これといった研修やマニュアルもないスタンスの個別指導塾で始めた、人生初のアルバイト。
大学1年生だった当時の私は、ただただ1コマの授業をやり遂げることで精一杯だった。
別に手を抜いていたりしたわけではないが、今振り返れば反省点だらけだ。
私の緊張や不慣れな授業の進行は、間違いなく島田さんにも伝わっていたはず。
そして、小学生だから優しくしておけば多少拙い授業でも大丈夫、バレない──きっと、そんな過信が私の中にあったのだと思う。
私が島田さんと同じ小4だったころは、リラックマにどハマりしていた。雑誌に載っているリラックマのイラストを見つけては切り抜いて大切に保管するくらい、大好きだった。
ある日、私と弟と祖母の3人でお出かけをした日のことだ。
ショッピングモールの一角にあるゲームセンターの前を通ったとき、リラックマのメリーゴーラウンドのような乗り物が目に飛び込んできた。
メリーゴーラウンドといっても遊園地にあるような大層な物ではない。直径2mくらいの小さな円の中をリラックマの背中に乗ってくるくると数回まわるだけの、2・3人乗りの乗り物。
「あ! リラックマ!!」
リラックマガチ勢だった私は、とりあえずリラックマを見つけたら反応せずにはいられない病になっていて。いつものごとく、リラックマを指差しながら声を上げた。
すると、祖母は何も言わずにリラックマの乗り物に100円玉を2枚入れた。
一瞬、声にもならないような「えっ」という困惑が溢れた。
すぐに、祖母は私がリラックマの乗り物に乗りたいのだと思い込んでお金を入れてくれた状況を理解する。
けれど、動く前からすでにわかるチープな出来の「なんちゃってメリーゴーラウンド」。
「こんなん絶対つまらんやん」──そんな声を飲み込んで、固く丸いフォルムのリラックマの背中に跨った。
ピコンピコンピコン。やたらと音量が大きい、なんとも言えない音楽とともに動き出す。
ゲームセンターでガチャガチャといろんな音が飛び交っているはずなのに、なぜか、メリーゴーラウンドの音だけが鳴り響いているように感じた。
リラックマは、ほんの30cmほど小さく上下しながら、直径2mくらいの範囲をゆっくりとゆっくりと回る。
YouTubeの動画だったら間違いなく1.75倍速、いや、2倍速にしたくなる速さだ。
恥ずかしいな、動き出した瞬間、そう思った。
でも、わざわざ200円を払ってくれた祖母に申し訳なくて、ここは嘘でも全力ではしゃいでいるふりをするべきなんじゃないかという幼いながらの気遣い的な考えが頭をよぎった。
私は、周囲のピカピカ光るクレーンゲームやエアーホッケーを眺めながら、必死に笑顔を作る。
ゆっくりとゆっくりと回り、祖母の前を通るときは大きく腕を振る。
たった数回、時間にして1分くらいのはずなのに、時間の流れまでメリーゴーラウンドと同じくらいゆっくりであるように感じた。
やっとのことで動きがピタリと止まり、リラックマから降りた私。
それから「ばあちゃんありがとう! 楽しかった!」と言ったような記憶がある。
「こんな大したことない乗り物が200円もするのか」というような心のモヤモヤが広がる祖母の心の内が見えたような気がした。気のせいかもしれないけれど。
お互い「これで200円ってボッタクリやね」と言うことができれば、笑い話になるはずなのに、お互いが満足しているフリをしているせいで、なんとなく気まずい空気が流れた。
多分、祖母は小さな私がそこまで考えているとは想像していなかったと思う。
中学生になって祖母にリラックマのメリーゴーラウンドの話をしたら、祖母はそのエピソードのことを忘れていたけれど「当時、そんなことまで考えとったと?」と驚きながら笑っていたから。
幼くても、子どもは子どもなりに深く考えていて、空気を読んでいる。
多かれ少なかれ、誰もがそんな体験をしているはず(と私は思っている)なのに、大人になると「どうせ子どもだからそんな深いことまで考えてるわけない」と思ってしまう。
私が、塾で「小学生だから優しくしておけば多少拙い授業でも大丈夫、バレない」と思ったように。
自分が幼い頃に感じていたこと、それをつい、忘れてしまったら。
大人になった証拠なのかもしれない。
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