連載小説「一瞬を切りとる」④
初夏が過ぎて、暑い夏が来た。礼央の大学では期末テストがあり、それが終わると長い夏休みに入った。
夏休みに入る最後の登校日、礼央は、栞生と大学の近くのカフェに足を運んでいた。
目の前で、ストローを咥えてアイスコーヒーを啜っている栞生は、たぬき顔と言われる礼央と違って、大人びた顔立ちをしていた。黒のビスチェに、白と水色のストライプのシャツがよく似合っていた。
「この前さ、写真コンテストに写真送ったんだ。山之手新聞が開いてるやつ」
栞生は、なんでもないような様子でそう言った。山之手新聞は、全国的に有名な大手の新聞メディアだ。
「えー、そうなんだ。いいじゃん」
「8月1日に発表があるからさ、新聞チェックしといてよ!」
「するする」
この日も、何気ないことを語らいながら、品川駅まで一緒に帰った。礼央は、この夏休みで、地元の山登りサークルに入り、あとは趣味のゲームなどをして過ごした。
そんなある日の朝、何気なく家のリビングに置いてある新聞を開くと、山之手新聞写真コンテストの文字が目に飛び込んできた。
不意を突かれて、礼央はすぐに日付を確認した。8月1日と書かれている。今日がコンテストの発表日だった。
忘れていたわけではない。しかし、明確に覚えておこうともしなかった。栞生のカメラの腕がずば抜けていることは知っていた。認めたくなかったが、心のどこかで、この日が来ることを恐れている自分がいた。
再びページを巡った。乾いてペラペラな新聞紙に、自分の指の汗がじんわりと吸い込まれていくような気がした。
栞生の名前が、あった。コンテストのページの右下に、小さく、でもそれなりの大きさで、青井栞生と書かれている。その上には、新人賞の文字が、ギザギザの枠の中ではっきりと印字されていた。
その日は、呆然と過ごした。何度かスマホを見て、栞生に連絡しなきゃと思ったが、指が動かなかった。第一、なんと連絡したら良いのかわからなかった。
真っ白な心の中に、黒い雫が一滴落ちたようだった。その雫は、じんわりと、だが確実に礼央の心の中に広がっていった。礼央には、それを止める気力がなかった。
夜、寝る支度もせずにうとうとしていた。なんだか今日は、いつにもまして動かなかったような気がする。
スマホの着信音が、耳に響いた。画面を見ると、青井栞生と表示されている。
「もしもし?」
「あ…もしもし」
「礼央?ごめんね、こんな遅くに」
栞生だ。いつもの変わらないあの高い声で、気を遣われると胸が苦しかった。本当は連絡を待っていたはずなのに、連絡をするのは、本当は自分のはずだったのに。
「あっいや、いいよ…。コンテスト、おめでとう」
なんとか絞り出した言葉は、異様なほど不器用に響いた。誰もいない自分の部屋が、不意に静けさに包まれたような気がした。
「ありがとう…」
栞生も、何も言えないようだった。きっと、自分の反応が芳しくないことに気づいているのだと思った。
「おめでとう」
最後にそれだけ言って電話を切った。自分が醜く思えた。友達の成功を喜べないことが、事実として礼央の肩に重くのしかかった。
自分の将来が心配だった。だから、栞生にはそばにいて欲しかった。そんなに遠い存在になっては欲しくなかった。その傲慢さが、また礼央を傷つけた。失意の中で、礼央はどうしたら良いか分からず、ただ、膝を抱いてうずくまっていた。
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