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「自由」が当たり前でなくなっても、人は「自由」を選択することが出来る

ここに一冊の書がある。

岩井寛「森田療法」(講談社現代新書)。


森田療法とは、森田正馬博士により戦前に創始された心理療法であり、今日でも大いに取り組まれているもの。

精神的不安や葛藤などを「あるがまま」に受け入れながら治療していく心理療法で、その内容を読むと、西洋医学を尊重しつつ、東洋ならではの老荘思想や禅の思想が大いに関係していることを感じた。

しかし、ここではそんなことはどうでもよいのである。

ここで、取り上げたいのは、著者である岩井博士である。


これは、岩井博士の最期の著作である。

全身をガンで冒された病床での著作であり、目も見えず、自ら筆を握ることが出来ない状況であり、つまり、病床で語られた口述書。

この著書の「おわりに」の章を語られた一ヵ月後に亡くなられています。

最期の魂の叫びだったのです。

人間の生命力とは、かくも力強いものなのだ、そして尊いものなのだということを深く感じたのである。


岩井博士の魂の叫び。最後(最期)の頁より抜粋します。

『ではなぜ、これほど辛い思いをしても本を書くのか、と問われれば、それは「最後まで人間としての意味を求めながら生きたい」からである。何もしないで、ただ苦しさと闘いながら生きていることもできる。一方、痛みや苦しさと闘いながら口述筆記することもできる。つまり、その両者のどちらかを選ぶことができるのは筆者自身なのであり、それを決定するのも筆者なのである。前者の生き方を選んだならば、それは筆者にとって楽であるのかもしれない。しかし、それでは筆者の「人間としての尊厳」を守りたいという「心」は満足させられないであろう。後者の生き方を選んだ場合には、確かに苦しい。しかし、そこには筆者の「人間としての尊厳」を守った選択の自由が行使されているのである。つまり、耳が聞こえなくなり、目が見えなくなり、身体が動かなくなっても、なおかつ筆者は「自由」なのである。つまり、筆者は最後まで「人間としての自由」を自分のものにしておきたいがために、このような行為を行っているのかもしれない。(中略)癌細胞の転移がいつ筆者の脳細胞をめちゃくちゃに破壊してしまうか、それはわからない。しかし筆者は、自分が可能な限り、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、「人間としての自由」を守り通してゆきたいのである。』

「あるがまま」の自分であり続けようとした博士の魂の叫び。


人間の生命力とは、かくも力強いものなのだ、そして尊いものなのだ!


道を歩むことは、その過程において様々な【 選択 】を迫られることになる。

自由が当たり前でなくなったときにでも、主体性を見失うことなく、岩井博士のように真の自己を見つめ、自らの信念に基づく力強い選択が出来るのだろうかとぼんやりと考えてしまった。。。

自らに由ると書いて、、、自由!

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PS.ヘッダー写真は小1(6歳)のちびっ子画伯の作品、上は昨年の第一回目の緊急事態宣言下での古くなったPCをおもちゃ代わりに遊んでいた幼稚園の娘が描いたデジタル作品(当時5歳)。

■拙著「ストレスの9割はコントロールできる」(明日香出版社2020.9発売)この本が必要な方に出会い、その方の心が軽くなるお手伝いが出来れば著者冥利に尽きます。

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■withコロナにおけるオンライン講演・研修動画(主にオンデマンド配信)の一部も投稿したyoutube「こころ元気研究所チャンネル」もございます!

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世の中が平らかとなることを祈ります。


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