料理と、取材と、文章と。
コロナ禍になってから、料理をつくることが私の日常になった。
そして、気づいたことがある。
「料理をつくることと、取材をして文章を書くことは、とても似ている」
料理は、材料をそろえて、下ごしらえをしたり、煮る・焼く・蒸すなどの調理をしたり、調味料を加えて味付けをしたりして、おいしいものができる。
ライターである私が取材をして文章を書く時は、資料などで調べものをして、取材をして、取材してきたものを切ったり貼ったりして構成をし直し、時にはちょっとした演出もして、わかりやすいものをつくる。
この「構成をし直す」とか「ちょっとした演出」とかが、料理の「下ごしらえ」や「調理・味付け」によく似ていると思う。
そういえば、「取材」という言葉は「材料を取る」と書くし、取材した音源や画像を「素材」と呼ぶことがある。
そうそう。大事なことがいちばん最初にあった。
「企画」である。
文章を書くなら「なにを、どう書くために取材に行くのか」を最初に決める。そうじゃなければ、なにを取材するのかがわからなくなる。
料理なら「なにを、どうつくるか」を最初に決めるだろう。これはまさに「企画」だと思う。そうじゃなければ、おいしいものはできない。
たとえば、私はとある日の夕方、たまたま買い物に行ったスーパーで、沖縄の「島豆腐」を見つけた。沖縄のアンテナショップなどの沖縄食材を扱っている店以外では、なかなかお目にかかれない豆腐である。
「ほぉ~、これは珍しい」と、つい買って帰った。
島豆腐は、日本の一般的な豆腐と作り方が違っていて、ちょっとカタくて、煮たり炒めたりしても、崩れにくい。また、一般的な豆腐よりも大豆の使用量が多いので、一丁が大きくて、ずしりと重く、味はしっかりと濃いのである。
以前、長いこと沖縄に住んでいた私は、沖縄で食べた島豆腐料理がなつかしくなって、自分で作ることにした。
作るメニューは「豆腐チャンプルー」である。
「たしか、家にツナ缶と玉ねぎがあったから……。あとは、もやしとにんじんと……」
その日は、夕食のメニューを決めずに買い物に行ったのだが、スーパーの店内で島豆腐に出会ったために「豆腐チャンプルー」を作ることに決め、買う予定のなかった食材を次々に買い物かごへ入れていったのだった。
つまり、これは「島豆腐」という材料をきっかけに、豆腐チャンプルーという「企画」が決まり、もやしやにんじんといった他の材料を集めた、ということになる。
そうして私は、集めた材料を洗ったり、皮をむいたり切ったりして下ごしらえをして、フライパンを火にかけ、材料を炒め、塩コショウや和風だしの素などの調味料で味付けをした。
ああ、そうそう。材料をそろえる際に「せっかく沖縄の料理を作るのだから」と、オリオンビールを買うのも忘れなかった。
できあがった「豆腐チャンプルー」は、自分で言うのもなんだが、なつかしい沖縄の味がした。
今、こうして書いてみて、新たに思ったことがある。
私は、たまたまスーパーで見かけた「島豆腐」という材料のことをよく知っているから、「豆腐チャンプルー」という企画を立て、他の材料を集めた。
だけど、「島豆腐」を知らない人なら、そういう企画は立てられないかもしれないし、そもそも「島豆腐」という材料を使わないかもしれない。
そう。企画を立てるためには、材料のことをよく知らなくてはならない。もし、その材料のことを知らないのなら、調べなくてはならない。
ああ、まったくもって、「取材」と同じだ。
それに、料理はどんな調味料を使うかによって、味付けが変わる。
私は、この豆腐チャンプルーをあくまでも「なつかしい沖縄の味」にしたかったから、塩コショウや和風だしの素を使った。けれども、人によっては、醤油を使ったり、もしかしたらカレー味にする人もいるかもしれない。
そうすれば、「島豆腐」という同じ材料を使っても、ぜんぜん違う料理になるだろう。
ああ、まったくもって、文章を書くことと同じだ。
同じ取材をしても、人によって「味付け=演出」が違うから、ぜんぜん違う作品ができるのだ。
料理は、深い。そして、私がやっている仕事も、やっぱり深い。
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