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BIGTANKマガジンは、年6回、偶数月に発行されるエンデューロとラリーの専門誌(印刷されたもの)です。このnoteでは、新号から主要な記事を再編集して順次掲載。バックナンバーの… もっと読む
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2019年12月の記事一覧

No.226から - 特集シックスデイズのすべて - 栄光のゴールドメダル

ISDEでメダルを受けること。 それは世界中のダートバイク乗りの承認を受ける普遍のプライズだ。 釘村忠はこの2019年ポルトガル大会で、日本人ライダーとして初めてゴールドメダルを獲得した。Masanori Inagaki トップの選手が基準 ワールドトロフィチームのライダーを含めて、すべてのISDE参加者は、個人成績とメダルアワードの対象になっている。ISDEのすべての行程を走った者が完走者とされ、リスタートした選手はメダルアワードの対象にならない。

ぼくはUSトロフィチームの徹底的なファンだがその理由のひとつを思い出す年末の朝 - 最後まで読んでいただけます - ISDEの話題

しかし、この記者会見にぼく以外の誰も取材に来ていなかったことでもわかるように、まだまだ世界のエンデューロシーンでは脇役に過ぎなかった。彼らにとっても、なんとも情けない出来事だったろう、この「記者会見」は。だが、そうした口惜しさを下地にして前進する強さも、彼らの美点だ。その強さは、数年後にまさしく証明された。 文・写真 / 春木久史 6日間競技のUSトロフィチーム 2010年のISDEメキシコ大会でのこと。プレスルームには、毎日、いろんなインフォメーションが掲示板に貼られて

No.226から - 特集シックスデイズのすべて - メカニックたちの6日間

ISDEは基本的にはライダー個人の能力を試す競技会だ。だがそのライダーたちが100%能力を発揮するために不可欠なのが、メカニックと多くのヘルパーたちの存在だ。整備は選手本人にしか認められていない。その制限の中で、彼らはどのように活躍しているのか。ほとんど知られていないメカニックたちの6日間に迫る。 文 / 春木久史 写真 / 稲垣正倫 ISDEでは2日目から成績順のスタートになるため、タームジャパンの4名のタイムスケジュールはほぼ重なった。そのため朝夕のワークタイムも4名

Parc Ferme - ISDEとホンダのXR - 日本製空冷4ストが活躍した時代の、とある風景

彼もまた、自国アメリカでISDEが開催されると知り、ついにチャンスが来たと、これまでの数年間を心待ちに暮らしてきた、ごく普通のダートバイク乗りなのに違いない。シックスデイズは、そんなごく普通のバイク乗りにも、世界中の腕自慢たちとまったく同じ条件で、バイク乗りとしてのスキルを試しあう機会を与えてくれるものなのだ。(本文抜粋) バックナンバーから 文・写真 / 春木久史  アメリカのオープンエリアやトレイルライディング、またはBAJAのようなデザートレースを楽しむライダーに

No.226から - 特集シックスデイズのすべて - 最下位除外制は2年で復活した

カバー写真 スタートを待つ釘村忠 / Masanori Inagaki ダウンサイズはISDE再興の起爆剤となったが、 そこにはネガティブな副産物もあった。Text : Hisashi Haruki 活性化したトロフィ争奪戦 長い間ISDEのワールドトフィチームは6人制で続けられてきたが、2016年からそれが4人制に変更されたのは、チーム派遣に必要な経費をはじめとした負担軽減が目的だ。6名とそれを支える関係者が、ほぼ2週間に渡って遠征、滞在する経費を大幅に削減すること。

No.226から - 特集 - シックスデイズ その扉とチーム対抗戦の解説

モーターサイクルの黎明期に始まり百年以上続く6日間競技。今も世界中のダートバイク乗りがそのスタートラインに立つことを夢見る。ISDE、シックスデイズ、その不変、普遍の価値とは何か。 Text : Hisashi Haruki Photos : Masanori Inagaki, Future7Media 国代表チームの対抗戦だ TEAMS OF ISDE世界中から集まる国代表チームが、それぞれナショナルフラッグの名誉をかけて全力で戦う。ISDEが「モーターサイクリストの

No.226記事の掲載をスタート - 完全ISDE - 6日間競技のすべて 1

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モンゴルよりも美しい土地をまだ知らない - ユーラシア、夢のラリーへ再び

目を疑うという言葉の意味がここでは理解できる。幻覚か、あるいは蜃気楼の一種なのか? この世の存在とは思えないものが、ここでは本当に見える。砂漠に浮かんだエメラルド。その正体はハルヌールだった。でも、そんな奇跡に出会ったのはこれが初めてではない。ここはモナンゴルだ。 2008年8月4~11日 主催 : SSERオーガニゼーション Photos : Yasuaki Jibu Text : Hisashi Haruki

No.112から - エンデューロの根本精神とは何か - XR250で世界タイトルを獲った男が見せた不屈の魂

これがエンデューロライダーというものか。 FIMインターナショナルシックスデイズエンデューロ・1999年ポルトガル大会。前日白煙を出し始めたXR250の4ストロークエンジン。その鍛造ピストンを朝10分のワークタイムで交換するという。小排気量スペシャリストのジャンマルコ・ロッシが見せた不屈のエンデューロ魂。 写真・文 / 春木久史 タンク、シートを外し、エキパイ、キャブレター、シリンダーヘッドカバーを外すまではあっと言う間だった。そこから少し時間がかかる。ヘルパーのアドバ

サウジアラビアのDakar - それでも唯一の存在として輝きを放つ その理由とは - フルエントリーリスト公開

2008年、ポルトガルの首都リスボンで、スタートを待つばかりとなっていたところに突然の中止宣言。それからダカールラリーの舞台はヨーロッパ-アフリカを離れ、南米に移転。アルゼンチン、チリ、ペルー、ボリビアが通過国となってきたが、南米11回目の2019年は、ペルー1か国だけでの開催となった。 春木久史 国境を越えないラリー一国だけでラリーが完結するというのは、1978年12月26日にパリをスタートしダカールを目指した第1回大会以来初めてだった。さらに2020年は南米を離れるこ

No.165から - カリフォルニアであちこち走る旅 - たった一人で行ったらどうなるかを実践した。後編 ビッグベア-グレンヘレン

ダートバイクとライディングに対する情熱は、それを共有する者にとっての共通の言語だ。ぼくはこの旅の間に経験した出会いと、そして孤独を通じて、そのことを強く実感した。それは、この旅の最大の収穫物だった。 ビッグベア Photos & Text : HisashiHARUKI デザート、砂丘、森のトレイル、それにモトクロストラック。思いっきり走って、また次の場所へ。ただ思うままに走り続けるだけの日々に感じたこと、考えたこと。ダートバイク乗りの悦楽とは何か、何がそれをもたらすの

変わらないために変わり続けること - ISDEの歴史と現在が教えてくれること - 著者紹介のために全文読める短い記事。

文 / 春木久史 写真 / 稲垣正倫 Be part of the Six Days Story.... ISDEに選手として参加したり、あるいはチームの関係者として携わったり、または運営のお手伝いでも。とにかくそれにコミットするということは、シックスデイズエンデューロの歴史の一部になるということに他なりません。それはISDEのファミリーの一員になるということでもあるし、ひとつのスポーツに共通の情熱を持った「世界市民」の一人になるということでもあります。ぼくのような取材者で

No.165から - カリフォルニアであちこち走る旅 - たった一人で行ったらどうなるかを実践した。前編

360度に感じる重力と無重力。大きなボウルをハイスピードで回りながら、砂丘の頂点めがけて高度を上げ、稜線を斜めに切って次のボウルに飛び込んでいく。無数に続く砂丘群をそうやって次々に乗り越えていく デザート、砂丘、森のトレイル、それにモトクロストラック。思いっきり走って、また次の場所へ。ただ思うままに走り続けるだけの日々に感じたこと、考えたこと。ダートバイク乗りの悦楽とは何か、何がそれをもたらすのか…答えはあるのだろうか。 Photos & Text : HisashiHA

記録 - アフリカ時代 最後のダカールラリー - EUROMILHOES - Dakar 2007

「パリダカ」のアフリカでの開催は、結果的にはこの2007年でピリオドが打たれた。翌年は、リスボンでのスタート直前に中止、2009年からラリーの舞台は南米に移されたのだ。この時期、ダカールラリーは、クロスカントリーラリーは大きな転換点を迎えていた。アフリカ時代の最終幕。そこでは何が起こっていたのか。 EUROMILHOES - Dakar 2007 ダカール2007 期間:2007年1月6日~2月21日 総走行距離:7915km SS区間:4309km 通過国:6か国 参加台