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ぼくはUSトロフィチームの徹底的なファンだがその理由のひとつを思い出す年末の朝 - 最後まで読んでいただけます - ISDEの話題

しかし、この記者会見にぼく以外の誰も取材に来ていなかったことでもわかるように、まだまだ世界のエンデューロシーンでは脇役に過ぎなかった。彼らにとっても、なんとも情けない出来事だったろう、この「記者会見」は。だが、そうした口惜しさを下地にして前進する強さも、彼らの美点だ。その強さは、数年後にまさしく証明された。

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文・写真 / 春木久史

6日間競技のUSトロフィチーム

 2010年のISDEメキシコ大会でのこと。プレスルームには、毎日、いろんなインフォメーションが掲示板に貼られている。その日の夕方は、USAチームによる記者会見(プレスカンファレンス)が行なわれると出ていた。ぼくは日本のライダーたちの撮影を少し早めに切り上げ、記者会見の会場に向った。ステージがあり、その前に25人ほどは座れるようにテーブルと椅子が用意された広い空間。早めについたぼくは、コーヒーなどを飲みながら待っているのだが、ほかに誰もやってこない。17:30だったか、予定の時間になっても、顔見知りのジャーナリストの誰もこなかった。

 「あれ? 日時を間違ったかな?」あるいは予定が変更となったのか。予定の変更など、日常茶飯事なので腹もたたないが、しかしなんのアナウンスもないとは…。すると、USチームのマネージャーがひとりやってきて、こういった。「君は日本のジャーナリストだね。まいったな。他に誰も来ていないのか。でもライダーたちはもう来ているから、これからインタビューしてくれないか。ここじゃあ広すぎるから、プレスルームに行こう」。合同記者会見は、急遽、独占インタビューになってしまった。
 「えっ、マジで?」。 緊張した。プレスルームで待っていたのは、デストリィ・アボット、ネイサン・ウッズ(翌年、WORCSのレース中の事故で亡くなってしまった)、マイク・ブラウン、そしてカート・キャッセリ。ウッズのことはあまり知らなかったが、アボットはフリーライディング系のビデオのライダーとして目にする機会が多く、そのスタイルに憧れていたし、キャッセリ、ブラウンのことは言わずもがな…。あまりに緊張して、声がうわずったほどだ。4人には順番に一人ずつ、大体同じような質問をした。走りなれている西海岸のWORCSのトラックと、今回のメキシコのテストは似ているのではないか? とか、今年のオーガナイズはどうか? など。大体、答えがわかってしまいそうな平凡な質問と稚拙な英語に、相手は血圧を下げてしまうのではないかと思ったが、みな、本当に真剣に耳を傾けて、応じてくれた。その音声が記録されたiphpneのデータはぼくの宝物になったのだが、そのうちの二人(ネイサン・ウッズに続けて、キャッセリもBaja1000の事故で亡くなった)が故人になるとは、あまりに悲しい。

 概して取材者やファンに対して優しく、真摯な態度で応じることは、USのライダーたちの好ましい特徴のひとつだと思うのだが、その真面目さは、ISDEそのものに対する態度、取組みにも通じているのではないか、とぼくは以前から思っている。アメリカにとって、ISDEは、人気のあるなしにも関係しているが、ビジネスとはかけ離れた存在で、その点、ヨーロッパのライダーとは意識が違う。また、ISDEの持つ歴史、伝統、理念というものも、地理的・文化的に離れているだけに蒸留、純化されて伝わり、解釈されている側面がある。例えるならば、中国から伝わった禅が、日本では土着し一般には風俗、儀式的なものになってしまいながら、遠く離れた欧米でむしろ高度な精神文化として理解されているように…。それを象徴しているのが、映画、オンエニイサンデーにおけるISDEの描かれ方だ。そこに見られるのは、派手なライディングのシーンではなく、伝統、歴史、そしてアマチュア精神、ストイシズム。やがてそれは、マルコム・スミスからランディ・ホーキンスの時代に受け継がれ、そしてカート・キャッセリたちがバトンを受け取り、彼らはただ精神性だけではなく、ヨーロッパの強豪たちにひけをとらない競争力をも身につけ、いよいよ世界一になろうとしていた。メキシコ大会は、その途上にある6日間だったが、しかし、この記者会見にぼく以外の誰も取材に来ていなかったことでもわかるように、まだまだ世界のエンデューロシーンでは脇役に過ぎなかった。彼らにとっても、なんとも情けない出来事だったろう、この「記者会見」は。だが、そうした口惜しさを下地にして前進する強さも、彼らの美点なのではないかと、今は思える。

そして以後、史上初のワールドトロフィ獲得、そして2019年のポルトガル大会では、ワールドトロフィと、ウイメンズトロフィの二冠に輝く
までの活躍に見られるように、カートたちが築いた「強いアメリカ」は、今やだれもが認めるISDEの主役に成長した。カートやウッズを失っても、また大会の直前に1名、2名が怪我で出場できなくなっても、まだ戦える層の厚さまでも備えている。それは、カートの父、故リッチ・キャッセリの願いだったろうし、また、ISDEの参戦に取り組んできたアメリカの関係者たちの功績だ。ぼくは、同じ「ヨーロッパ外」の国のエンデューロファンとして、USトロフィチームを尊敬し、憧れ、そしていつも応援している。

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