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【宿無しの雨】ちょろ④

憂鬱。
気が滅入る雨が
二日も降り続いていた。
前の夜は凍るような春雨。

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ちょろは遂に来なかった。
彼女は野良生活の身だ。
どこで野宿しているのか。

私は浅い眠りのままの夜明、
遠雷の微かな音がして、
眠ることを止めた。
既に起きていた家内は、
淡い桜柄のカーテンを開け
蒼く薄暗い外を眺めていた。

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「あなた庭が海の様ですよ」
そう言う家内は、
風雨の荒れ狂う庭の雨紋を、
恨めしそうに見つめていた。
もしも近所で由々しい事態の
水害があろうがなかろうが、
それ以上に悲しくて、茫然。
虚ろな表情で、また言った。
「ちょろさん、あの子
 どうしているのかしら」
それは、私も同じの
辛い思いであった。
家内は気を取り直そうと、
お茶を淹れますからと言い、
私を床から起こした。
雨脚の響きが居間の中まで
染み込んで来る。
ピカッ!ドドーン!

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稲光と雷鳴が
ガラス戸をカタカタ震わせた。
「ああっ!こりゃいかん!」
私はガラス戸を開けた。
雨滴の小兵たち数千が舞い、
私の体に襲いかかった。
「ちょろー!」
水浸しの庭に頭を突き出し
目を凝らして見渡した。
非情な雨が降っていた。
いるはずもない。
失意で、頭を垂れて、
足元の軒下に目をやった・・
あっ!
ちょろが居る!!
降りしきる雨の軒下。
物置きと化したベンチの影で
ぽつねんと、
座って雨宿りをしていた。
侘しそうで懐かしげに、
私を見上げていた。
ザァーザーザー雨脚の音。
私とちょろの間に
ピリっと電気が走る。

夜通し、そこに居たのか?!

「 ちょろが!ちょろが 
  雨宿りしとるぞ! 」


家内へ叫んだ。
私の胸はきゅっと息詰まり
思わず、
目頭から鼻水がにじみ出た。

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ちょろはこんなに酷い天候のなか(野良での生活特有の汚れを伴う脂毛で雨水を弾いてはいたが、無情で冷酷な雷雨には違いはなかった)

ちょろは私を見上げて、
私を責める声ではなく、
でも、寂しかったそうに、
「みゃあ、みゃあ~」と鳴いた。
「うんうん、よかよか!」
私も同じフレーズを、
震える声で繰り返した。
ちょろ、ごめん!

ところが、である。
不思議にも、みるみる間に、
雨は止み、やがて、
東の雷雲が裂けて
朝日の矢が射した。
水深が100㍉だった海も
ほどなく底が見え始めた。

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ああ、神様、仏様・・

家内は喜々として、
ちょろのために特製の、
しごく健康的な朝食を
腐心して作った。
キャットフードに添える
猫に安全で栄養価が高く、
しかも消化が良い煮物を、
思いを込めて煮込んでいた。
キャベツ、ニンジン・・
おまけに摺りゴマのふりかけ

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ちょろさんへの朝食の次は、
私への朝の食物である。

それは食パン2枚であった。

毎夜、深酒で暴食の私へは、
それと豆乳をワンカップ。

ああ、なんと言う慈愛。
いつも不摂生な私は、
家内に対して照れ臭いから、
心の中で頭を垂れて合掌。
一気飲みを決行するのだ。
酷く青臭いから。

こういう風に、
いつも朝だけは食料大臣の
施政方針に従っている。
大臣が贔屓の自然酵母の
こじんまりしたパン屋。
家内ほど、違った、
大臣ほどにパンは、
私は好みではない・・
本当の私の希望と願望は
どんぶり飯に生卵。
それと、小皿に大盛りの
ぴりぴりの辛子高菜漬け。
塩分多すぎ、高コルステ・・。

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さて、この朝に
家内が焼いてくれたパンは、

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いつもと同様のキツネ色。
単にバターを付けたもの。
私には味気も素っ気もない。
なのに、何だ、どうした?
うぬっ!
パンをかじり豆乳をひと口、
再びパンをかじり・・
あれえ?なにいっ!
この朝は特別に、殊の外、
食パンが!
温かくてふわっと香ばしい。
生臭き豆乳は、なんてこった!
ピーマン嫌いの子供が、
夏休みの渓流沿いで、
初めて肉と共に自分で焼いた
緑があちこち焦げた
醜いピーマンのあの時と
同じ味覚であった。

それは・・

格別に、美味かった。

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~つづきます~


ちょろ短編集



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