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【子育て】はじめての授業参観「秋の日に カバが さかなを 食べたら なくなった」

父、授業参観へ参る

数日前からソワソワしていたこの時がやってきました。

小学校2年生の娘の授業参観です。

父としてはじめての授業参観
娘にとってもはじめての父がいる授業

娘は、いつもと同じように朝出て行きました。
「きょうはパパが来る日だ〜いえ〜い」と謎のハッスルはしていました。

パパはいつも通りというわけにいきません。
午前中は、在宅ワーク。ソワソワ。

仕事もやること多い今日この頃、爆速で片付けていきました。
気がつけば、11時半。
そろそろ準備しないと。
ひさしぶりにスーツに身を包む。

お受験の頃から、学校に行くときは紺スーツというあまり迎合したくない慣習がありました。
きょうは暑いしTシャツで行きたい。出社の服装はカジュアル化されたため、普段はせいぜい自称”キレイめTシャツ”。

しかしカジュアルに行って先生や他の親御さん、ましてや子どもたちから、変人扱いされたら娘がかわいそうだという親心から、今回も紺スーツ。最後に来たのは夏前でしたでしょうか。

うぅ、ちょっときつい。

給食終わりの時間帯に教室前へスタンバイせよ、との指示でした。
校舎内では、もちろん持参したヒールに高さのあるお受験スリッパ。
ちょうどお昼休みの時間帯ということで、校庭や校舎内にたくさんの児童が大はしゃぎしていました。

2階に2年生の教室があります。
階段を上がり、5分前に教室前へ到着。(さすが社会人!)

入ってくださいという指示があるまでは廊下で待機。
教室の中を覗き込んで娘を探す。

いた。
満面の笑みでニヤついている。
なんがそんなに嬉しいのか、恥ずかしさというものはまるで感じていないようで逆に羨ましい。

教室へ入るように言われると、保護者間でどうぞ、どうぞとお決まりの譲り合い。
娘は、一番窓側の一番後ろのため、私は一番奥へ行く必要があったので、先陣を切らせていただいた。
なぜか娘が、自分の後ろに立つようにと身振り手振りでアピールしている。先生から保護者に絡まないように言われているのだろう、声は出さずに身振りだけでここに来るように必死にやってて面白かったです。

国語

言葉遊びの単元で、教科書の詩を音読したり、あいうえお作文的なものを作ったり、単語を意味のグループごとに分けたりという内容だった。

「ここ読んでくれる人?」と先生が問いかけると、10人くらいの子が一斉に手を挙げる。
さすが教育熱心な親の元、私学受験を突破してきた子たちだ。授業への参加姿勢が素晴らしい。みな音読も上手。暗記している子も多くいました。

そういえば、家で音読なんか聞いたことないなと、目の前の娘を見る。
背を向けているので表情は分からないが、その背中からは絶対に手は挙げないという強い意志のようなものを感じました。
音読チャンスは1度や2度ではない、長短10〜15回くらいあった。
みんなで繰り返し読むときは声を出していたが、最後まで手は挙げなかった。

まだ2年生ということもあり、おふざけのすぎる子、ちょっと立ち歩いてしまう子もいて、先生も度々注意していた。
そんな元気のある子と悪芽立ちはしないが、存在感を消している娘、先生から見るとどちらが良いのだろうか。
そんなことを考えてもみたが、娘の意志も固い。

そんな中、事前に提出した「あかさたな」作文を先生が読んで紹介してくれた。クラスの半分くらいが読み上げられる中で、娘の作品があった。きっと先生も保護者向けに仕込んでくれていたのだろう。
(3日間に分けて、出席番号毎3分の1ずつ参観日が違うのだ。だから今日の保護者は10数人のみ)

他の子がなかなか叙情的で、ウィットに富んだ作文を次々披露している中、娘の作品。

「秋の日に、カバが、さかなを 食べたら なくなった」

季節感のありながらも、極限まで余計なものを削ぎ落とした見事なあかさたな作文だった😆

読み上げられると、教室そこかしこから笑いが漏れて、「そりゃそうだ!」との合いの手も入る。

父親は一瞬はぁ?ってなっていましたが、子どもの中では面白い作品なのだろう、教室の中は和やかだった。それはそれでよかった。

しかし、そのような温かい空気も娘にとってはどこ吹く風。まるで他人の作品が読まれたかのように、ただ聞き流している。
メンタルおばけかよ。

算数

続いての教科は、算数だ。
これは宿題でもうぅ、泣きながらやってるから嫌いなやつだろうとわかっていた。
繰り下がりのある3桁の引き算。2年生にしてはまあまあ高度なものだ。
104 - 38 = 66

考えやすいように、数の書いたブロックや数字カードを並べて、筆算の式を見える化して解き進めるようだ。

「ブロックか、数字カードどちらでもいいですよ」と先生は言った。

娘は、迷うことなく隣の子と机をつなげ始めた。
はじめは、「なるほど2人1組で考えるのね」と思ったが、すぐに嫌な予感が高まった。

机をつなげているのは、4、5組のみ。
他の子たちは個人ワークを続けている。

娘は、ブロックも数字カードも持っていないのだ。

ブロックは家に散らかっているのをみたことがある。
カードは夏休み前にランドセルの中にぶちまけてあり、「これ使うの?」と聞いたらもういらないと言われたので、多分ママが捨てた。

開いた口が塞がらないというのはこのことを言うのかと自分でも驚き、呆れた。

でもあの迷わず机をくっつける姿から見て、一度や二度ではないのだろう。毎回使っていて、毎回持っていないのだろう。
隣の子ももうわかってる。

ものを持っていないので、ちゃんと式の考え方が合っているか、先生も確認のしようがない。
ただ幸いなことに計算ロジック自体はわかっているようで、筆算の式の立て方や解き方、答えは合っていた。

もちろん手は一度も挙げなかった。

家でもブロックや数字カードを一度も使ったことがない。
ただぶちまけてあっただけ。

その上、毎回隣の子に堂々と見せてもらう
やはり、メンタルおばけだ。

見学は国語と算数の2時間のみ。
一度も発言をしている姿を見ることはなかった。
ただ悪ふざけもしておらず、教科書とノートを黙々と行き来している姿を見せつけられた。

これは何を意味しているのだろうか。
とにかく、強心臓であることはわかった。
娘よ、たくましく生きよ。

帰ってきて、とっ散らかってたブロックを集めてみたら10個あるはずが、8個しかなかったが、とりあえずランドセルに忍ばせてみた。

はじめての授業参観、それは父親にとって修行であり、禅問答でした。

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