ごぶりん小松

書評合戦ビブリオバトルの伝道師。 神奈川県川崎市在住。出版業界の日販出身。家庭から集め…

ごぶりん小松

書評合戦ビブリオバトルの伝道師。 神奈川県川崎市在住。出版業界の日販出身。家庭から集めた絵本を地域の保育園に届ける「絵本のまち、かわさき」運動を展開。読書の力を信じて日々活動を続けている。

最近の記事

  • 固定された記事

若きサムライのために

サムライのように生きられたらどんなに幸せだろうかと思う。いや、実際のサムライの生活なんて、今とはかけ離れ過ぎているから、そんなことを考えられるのだろう。辛くて、退屈な生活に決まっている。現代から見れば刺激のない、それこそ封建的な毎日を送り、単純で愚鈍で、飛びきり純粋な日々を過ごすことに違いない。 憧憬と継承それが、どうして、これほどまでに羨ましく思ってしまうのだろうか。我々は、サムライを見殺しにした新政府の末裔じゃないか。どの口が申すか。闘う権利を徴兵令で一般市民にも付与し

    • 後に続く者を信じるというメッセージ

      正直、ここまで感動することを当初は想定していなかった。革命とはこうやるのかと、ユリイカ!と大声で叫びたくなる衝動に駆られた。 「鬼滅の刃 無限列車編」この作品が空前の大ヒットを記録しているという事実が、また上記のメッセージに共感し魂が震えた人間が日本中に存在するということが、私を感動させる。 上記のタイトルは、作中では煉獄さんから弟へ、また鬼殺隊の後輩たちへのエールである。そして何よりも、映画を観た我々への激励と福音であるように感じた。 誠実に生きるということ。後輩に役

      • 一魚一会 さかなクンはこうして生まれた。

        【小学生から大人まで「わくわく」を全身で感じて欲しい1冊「さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~講談社】 この本はお世話になっている方の娘さんに貸しているため、3回ほど通読したのはもう1年以上も前になる。そのため記憶を頼りに。 やはり人生に「ワクワク感」は大切である。 「さかなクン」は小さい頃から全力で「好きなこと」を探求し続けながらも、その都度数多の壁にぶつかりそして乗り越えてきた事実に心を動かされる。 「お魚屋さん、お寿司屋さん、熱帯魚屋さん、水族館・・・。

        • 土に触れると

          大袈裟ではなく魂が和らぐ。ベランダのプランター栽培という規模ですら、些細な雑草を抜いているだけで心が安らぐ。 どこか不調で、何かが滞っていると、水やりができなくなる。当然植物は弱る。悲惨だ。 一方で地植えの植物はたくましい。雨なんか降らなくとも立派に生い茂っている。 高校時代の友人に一人、プロ農家がいる。彼の言葉を聞いていると常に腹を括っていて爽快だ。その切れ味が素晴らしい。 寝食を忘れて精進するということは、徹底することである。とにかく夢中になるということ。土に触れ

        • 固定された記事

        若きサムライのために

          正しい狂気とは~疾走するストリックランド~

          「描かなくてはいけないんだ」また、ストリックランドはいった。~中略~ストリックランドの声には本物の情熱がこもっていて、私は思わず胸を打たれた。彼の内では、激しい情熱が苦しみにあえぎながら暴れているかのようだった。とてつもない強烈ななにかが、いってみれば意志とは関係のないところで彼を駆り立てている。 「描かなくてはいけないんだ」サマセット・モーム「月と六ペンス」では、40過ぎの冴えない男ストリックランドが、家族も仕事も何もかもを捨てて、描くことのみに一心で挑むことから物語が始

          正しい狂気とは~疾走するストリックランド~

          再生

          恩師への感謝の思いが溢れ出てしまった。

          2006年3月10日、15歳の春に卒業式を迎えた。 日本の公立校では最大規模の生徒数を誇る川崎市立西中原中学校。 生徒一人一人が恩師の先生に名前を呼ばれ、返事をする一幕でそれは起こった。 クラス全員で「ありがとうございました」という言葉を壇上で伝えよう。 誰が提案するでもなく、それはゲリラ的にごく自然と行われた。 一人一人が礼を述べる中で、出席番号13番、私の順番が回ってきた。 「川崎先生!2年間(担任の期間)、ありがとうございました!大好きです!!」 厳しくもずば抜けたユーモアがあり、人情味に溢れた先生へ。 決して泣くつもりはなかったのだが、自然と涙が溢れ出した。 惜しみのない拍手に包まれ、走馬灯のように学び舎での思い出が通り過ぎていった。 学級委員で応援団長、ピアノ伴奏者で野球部に全身全霊で取り組んだ。 中学校という環境が、全力で私を育ててくれたことを実感した瞬間であった。 「耐える心・探る力」素晴らしい校訓である。 公立校にも関わらず、徹底的なスポーツ教育が施された中学3年間は、やはりその後の人生哲学にも多大な影響を与えている。 「ありがとうございました」

          恩師への感謝の思いが溢れ出てしまった。

          再生

          どこまでも全力な君に恋をした。

          素晴らしいという言葉から始めようと思う。清々しくて晴れ晴れとしている。軽妙で軽快で文字通り心が弾む。常に弾み続けている。 いつでも新鮮でいて、その度に新しい発見と喜びに満ち溢れる。心が震える。魂が轟く。 何だってやってみようと思える。無限のエネルギー源で生命の貯蔵庫。最大最強パワー。 驚きと意外性。正義の推進力。圧倒的な意志と行動力。知らないことに対する敬愛の態度。 成長への貪欲な姿勢。透徹したセンス。信じられないほどの粘り強さ。思い切りの良さ。 不安をいつでも飲み

          どこまでも全力な君に恋をした。

          そろそろ責任を取りたい。「私」だけではなく「我々」が。

          手元にある内田樹「困難な成熟」という本の帯には本文より下記の文章が載っている。 一つ目の問いはこうでした。 「責任を取るということは可能でしょうか」 僕の答えはシンプルです。 「不可能です」 以上、おしまい。シンプルですよね。 でも、どうして責任を取るということが不可能なのか、その理路を語るためには、ずいぶん長いお話に付き合ってもらわなければなりません。 そろそろ他人のせいにするのは止めませんか。本文では、原理的にはあらゆる「現状復帰」は不可能であるという要旨が

          そろそろ責任を取りたい。「私」だけではなく「我々」が。

          未来を創るためにはその都度過去を再編集する必要があるのではないだろうか。

          昨今、未来を思い描く力が、今後衰えていくのではないかと心から危惧している。 今までの人生では、常に考える前に行動し、紆余曲折はあれど自分の道を切り開いて来たことを自負してはいるが、どうやら30という齢を手前に、色々と守りに入ってしまいそうな私が出てきた。単純に幸福なのだ。 岡本太郎が叩き潰してしまいたいと表した幸せな連中に、間違いなく今の私は該当している。危険に懸けるのが己の生涯の喜びではなかったのか。安全に甘んじてそれなりの幸せを蹴飛ばすのが本性ではなかったのか。 今

          未来を創るためにはその都度過去を再編集する必要があるのではないだろうか。