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未来を創るためにはその都度過去を再編集する必要があるのではないだろうか。

昨今、未来を思い描く力が、今後衰えていくのではないかと心から危惧している。

今までの人生では、常に考える前に行動し、紆余曲折はあれど自分の道を切り開いて来たことを自負してはいるが、どうやら30という齢を手前に、色々と守りに入ってしまいそうな私が出てきた。単純に幸福なのだ。

岡本太郎が叩き潰してしまいたいと表した幸せな連中に、間違いなく今の私は該当している。危険に懸けるのが己の生涯の喜びではなかったのか。安全に甘んじてそれなりの幸せを蹴飛ばすのが本性ではなかったのか。

今までは単純にそれを実践してきた。面白いことは常に危険に懸けた先にあった。会社を辞めようが何をしようが、躊躇なくリスクに踏み出した先には必ず豊潤な泉が湧き出していた。それは素晴らしい経験であった。

幸福という病が、己の野性味を蝕んでいる。絶望ならばいくらでも克服できようが、幸福を克服するとはどういうことか。全く分からない。これはどうしたものか。しかしながら原因に執着してはいけない。「どうしてこうなったより」も「これからどうなりたいのか」を考え続ける必要がある。

出版業界に対して何ができるか。教育の未来には何があるのか。 いくつかの生涯を懸けて取り組むべき課題に、今の私は直接的に行動を起こせていない。

今のままでは2019年4月7日の統一地方選挙に「読書の党」を率いて挑戦した「小松雄也」に対して、お粗末ではあれど世間に訴えかける未来のビジョンを描いた自分を決して越えることはできないのではないだろうか。

いくらなんでも28歳の自分に勝てないのは悔しいじゃないか。圧倒的な行動力であらゆる課題に体をぶつけていた自分を、やはり未来の我々が打ち克つのが面白いのではないだろうか。

自分探しは既に見つかっているので、より素晴らしい未来を描くためにこそ「これから」の過去を編纂して行きたいと思う。

明治大学和泉図書館で7年以上も行動を共にしている後輩から「後進の育成」を頼まれた。

あれだけのエネルギーと行動力を伝えて欲しい。失敗に懸ける持続的な情熱を後進に受け継いで欲しい。と後輩に熱く語りかけられた。ギラギラした熱狂的な力は、まだ自分の中にあると信じている。

三島由紀夫が教えてくれた江戸時代の「葉隠」には、ひたすらにエネルギーを賛美する姿勢があり、著者の山本常朝が示す「武士道」には傲慢さえも賞賛する風潮があった。我々は大傲慢で大豪胆であるべきなのだ。

どうして私が読書に活路を見出だしているのか。本を読むことに救われたのか。あらゆる方法で伝える手段の一つとして、文章でまとめて行こうと思う。

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