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犬にかまれそうになったら電話をするように

 仙台の真田鰯です。
 今回も「さてと、演劇でもやるかな」って思ったお話です。


 彼女の最初の印象は「オフィーリア」だった。
 オフィーリアは、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の登場人物で、デンマーク王子ハムレットの妃候補である。純真さゆえに周囲に翻弄され続け、狂気からの事故死とも、自殺ともとれる最期を迎える。
 後から思えば、初対面の女子につける呼び名としては、なかなかに縁起でもないが、それでもやはり、彼女はオフィーリアだった。
 彼女は好奇心にあふれるまっすぐな瞳で世界をみつめ、自分を新たな世界へ連れ出してくれる何かを探しているようにみえた。自分の頭で考えて導き出した答えだけを信じる強さを持ちながら、自分を変えてくれる誰かを探していた。そしていつも、ニコニコと笑っていた。

 仕事で三度目に会ったとき、彼女の左手首に、たくさんの白くてまっすぐな傷跡があるのを見つけた。ギョッとした。
 周りに人がいなくなってから、左手をつかんで訊く。
「ねぇちょっと、これ何?」
「あ、犬にかまれました」
「んなわけないでしょ、いつ?」
「けっこう前です」
「まあいいけど。次に犬にかまれそうになったら、必ず私に電話をするように」

 帰りの車の中で、その「けっこう前」の子供の頃の話を聞く。
 学校に友達はいなかった。
 髪を染めてクルクル巻いていた。 
 東京に行ったとき、芸能事務所からスカウトされたが、東京の事務所に入ることは親が許してくれなかった。親に言われ、仕方なく仙台の事務所に入り、お金を払ってレッスンを受けたが、仕事は無かったので辞めた。

 中学校の教室。
 髪を茶色く染め、縦巻ロールにしてめかしこんだ少女が、うつむき、机の傷をじっとみつめている。
 目をあげ、窓の外を見る。
 この教室の中では、誰の目にも映っていないわたし。
 いつかどこかで、わたしはスポットライトを全身に浴びて、光り輝いている。
 誰もが輝いているわたしを見ている。
 それはきっと、世界への復讐を果たす瞬間で、世界と和解する瞬間でもある。

 「さてと、演劇でもやるかな」と私(鰯)は思う。
 「ほかにやることもないし。死ぬまでにはまだ時間があるみたいだし」
 そんなわけで私は、もう一度演劇をやることにする。

 私のフランス人のお師匠の言葉で、大切にしているものがある。

 俳優の仕事は、自分の内面のドラマを語ることではない。観客の内側にあるものを呼び覚ますことだ。

ヴァレリー・モアイオン

 この言葉を何年もかけて探求してみた結果、大まか私の俳優論は以下のようになった。

 俳優は、観客の感情を引き受けて受けとめるための「入れ物」で、一般的に思われているような自己表現や自己顕示とは関係が無い。

真田鰯

 俳優とは触媒のようなものである。客席にいる観客のこれまでの人生と、舞台上の光を媒介して、カタルシスを引き起こす。

真田鰯

 「わたしが」っていう「我」がでてくるところは、けっこうどこにもない。でてくるところがあるとすれば、これまで人間や人間関係というものについて、どんなまなざしで見つめていたか、その「まなざし方」くらいである。
 あとは「忘我」と「滅私」だ。
 舞台上の俳優が輝いているように見えるのは、観客からみたらそのように見えるというだけの話である。実際には「市井の人間である観客自身の人生が輝いて見えるようにするために、あくまで副次的に、俳優は発光してみせる」が私の演劇観である。副次的でも発光できるってすごいね。深海生物かよ。
 そういった前提でなお「さて演劇でもやるか」である。

 ここから先は、中学3年のときに死のうと思った、オフィーリアの話だ。
 スポーツ特待で高校に入学したオフィーリアの兄は、期待して入学した先の運動部で、ひどいイジメにあい、退学し、自宅に引きこもっている。厳格な父と、戻ってきた兄は、反目しあい、家庭内はすさんでいた。
 学校にも家庭にも居場所をなくしたオフィーリアは、左手首をカッターで切る。何度も。その姿をみた父は、「そういうことは弱い人間のすることだ」と彼女を責める。
 高校受験を控えた大事な時期ではあったが、出口はどこにもみえない。睡眠障害をおこした彼女は、せまい鳥かごのなかで、静かに絶望していく。
 彼女は死のうと思う。
 どれほど血を流しても、振り向いてもくれない両親。
 死んで鳥かごを出る決意をする。
 伝統的手法に則り、彼女は睡眠薬を溜めこむ。
 父も母もいない平日の昼間、彼女は決行する。
 溜めこんだ薬を次々と飲み下す。
 さようなら人生。
 家庭内の淀んだ空気を吸って、彼女はカナリアみたいに真っ先に死ぬ。
 とそこでなぜか、帰ってくるはずのない母親が帰宅する。
 彼女は慌てる。
 ここで見つかったら計画は失敗だ。
 慌てた彼女は、犬を連れ散歩に出る。
 当然のことながら、家を出てすぐに、彼女は意識を失って倒れる。
 犬が家族を呼びに走って戻り、彼女は緊急搬送され、一命をとりとめる。

 その後のことは詳しくは知らない。
 いずれにせよ、彼女は高校に進学し、大学にも進学し、就職し、恋もし、結婚もして、まもなく第一子が産まれる。
 長々と書いてしまったが、教訓とかはない。
 ただ、生きていれば、うなぎがおいしかったり、雨上がりのアスファルトがいいにおいだったり、寒い日、お風呂にはいって肌がピリピリするの気持ち良かったり、自分と自分の愛する人によく似た小さい生き物の、小さな小さな手が、自分の人差し指を熱心に握りしめてきて、この手が自分の手を必要とする限りは、なんとしてもこの生にしがみついて、死ぬまでは絶対に生きていこうと思う日もくる。
 つまりまとめるとこうだ。
 
 犬にかまれそうになったら電話をするように。 



真田鰯の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/me0d65267d180


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