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大学院で論文執筆をすることでコーチにどんなスキルが付くか考えてみた

私は、大学院の博士前期課程(修士課程)にてコーチング学を専攻し修士号を取得しました。
その修士号取得のためには、修士論文を執筆して論文審査を通り抜けていく必要があります。
今回は、スポーツの指導者としての資質を高めていこうとするために、大学院で研究と勉強をしにきたコーチたちにとって、論文執筆そのものがどのように役立つのかについて、論文執筆を通して得た私の考えをまとめてみようと思います。

論理的思考力が向上する

まず一つ目は、論理的思考力の向上です。
これはコーチとしての資質に限らず、非常に汎用的なスキルに繋がるものといえるでしょう。

論文執筆は、論文そのものが論理的に執筆されなければならないものであるため、執筆すること自体が論理的思考力のトレーニングになります。
論理的に述べる(出力する)という行為をするわけです。

まず、この作業で自分自身の論理的思考力を客観的に捉えることができます。
そして、指導教員や先輩、同期生などの目を通すことで、様々な指摘を受け、文章を書き直すことになりますが、その第三者からの指摘を元に論理の誤りに気づいていくことで、論理的思考力が鍛えられていくことになります。

また、研究デザインを考え、研究方法を考え…という一連の研究のプロセス自体も、非常に論理的に計画を練っていく必要があります。
研究指導教員などに指摘をいただきながら、精錬された研究デザインを作っていくことでも、非常に論理的思考が求められます。
こうした経験を修士課程であれば約2年続けるわけです。

この論理的思考力の向上は、スポーツ現場での指導においても非常に役に立ちます。

まず、スポーツ現場ではありとあらゆる出来事(コーチングを行うきっかけ、教育的瞬間)が起き、その様子は混沌とした状況で、コーチはそのような中で即興を行う(Cushion, 2007; Mallett, 2007)かの如くしてコーチング行動をとっています。
コーチング行動は、状況を読み取り、コーチングにおける目標や目的を踏まえて最適な方法を選択していくわけですが、論理的思考力は、こうした混沌と表現されるスポーツ現場において、コーチ自身のコーチング行動のあらゆる選択を組み立てていくスキルを高めるものと思います。

あらゆる既存の知識をかき集め、この方法を選択する上で得られる効果について仮説を立て、目の前の状況や目の前の選手を分析し、今現時点で最適な方法を検討するということは、簡単なようでも、非常に熟慮が求められる行為です。
一貫性のあるコーチングを行う上でも、論理的思考力は役に立つでしょう。
スポーツ指導をする上でも、非常に重要なスキルだと考えられます。

こうした論理的思考力を集中的に鍛えられるという点で、論文執筆というプロセスは大いにプラスになるでしょう。
知識を統合して論理的思考を深めるということは、創造性も高まるかもしれません。

論文執筆をすることで知識が増える

これは、多くの方が思われることだと思います。
論文執筆を行うためには、多くの先行研究を用いることになります。
論文を書くというだけで、コーチングにおいて役に立つ知見、それも科学的に立証された根拠ある知識を数多く身につけていくことができます。

修士論文を執筆する上で、論文の内容によって異なりますが、私の所属している研究室で修士論文を執筆していた人たちはおおよそ30本ほどの先行研究を引用して論文を作成していました。
私はスポーツ心理学の知見だけでなく一般的な心理学の領域の知見も引用していたので、50本ほどの先行研究を用いました。

それだけでなく論文執筆においては、研究テーマを決めていく上でも論文を読むことになるので、実際には修士課程の2年間で膨大な知見に触れることになります。
たくさんの知識を身につけることができるわけですね。

また、この膨大な知見に触れることを通して、多くの明確に定義された言葉を知ることができます。
この言葉を知るということは非常に重要です。
言葉というものは概念を表すため、言葉を知るということはある概念を理解するということになります。

例えば、「嬉しい」という感情を表す言葉を知っていることで”嬉しいという感情自体をスムーズに理解する”ことができますが、「嬉しい」という言葉を全く知らなかったとしたらどうでしょうか?
「嬉しい」という感情自体を鮮明に理解することはできなくなるのではないでしょうか?

言葉を知るということは、物事を明確にし理解を深めていく上で重要となります。
また、言葉を多く知っていると、1つの物事を複数の言葉で表現できるようになるため、多面的に思考を深めることもでき、より複雑な思考が可能になります。

こうした科学的知見に数多く触れて知識や様々な専門用語を知ることによって、コーチングに関する専門性が高まり、その結果として、実際にコーチングを実践する上での、現場で起こる状況を読み取っていく力、適切に課題を改善しパフォーマンスを高めていくための方法、結果を予測するために必要な予測力…等が高まっていくでしょう。

先に記した論理的思考力が、これら科学的知見というコンテンツの一つ一つを適切に繋ぎ止めていく役割をし、知識がその論理的思考の深化を助けるということになります。
この両輪がうまく回ることで、良い指導に繋がりやすくなるのです。

論理的思考力が選択を組み立てるスキルを高めるものだとすると、こうした知識は選択の妥当性・正確性を高めるものと考えられます。

多面的・多角的な思考ができるようになる

大学院での活動はコーチングを行っていく上での視点においても非常にポジティブな影響を与えてくれます。
特に、多面的・多角的な思考がよりできるようになるということです。

ここである例え話を紹介します。

まず、富士山の絵を描いてください。
もしくは頭に富士山の情景を思い浮かべてみてください。

多くの方は以下のような富士山をイメージされたのではないでしょうか。

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オーソドックスな富士山像ですね。
しかし、富士山が見せる姿はこれだけに限りません。
静岡県側からの見え方、山梨県側からの見え方、東側・西側の見え方、上空からの見え方…など、同じ富士山という対象だったとしても、見る視点を変えるだけで見え方そのものは大きく変わってきます。
外見だけでなく内部に着目することもできます。

富士山を理解しようものなら、こうした様々な視点を持って考える必要があるわけです。

多面的・多角的とは、様々な視点を元に捉えることであり、先の富士山の話に例えるとわかりやすいのではないかと思います。

また、「多面的・多角的」という言葉を私が用いたのは、社会科教育にルーツがあります。
社会科教育においては、多面的・多角的という言葉を一体として扱っていますが、仮に分解すると、

多面的…ある物事を様々な側面から見て捉える。
多角的…ある物事を様々な立場から見て捉える。

というように考えます。
以下に非常に分かりやすい記事がありましたので紹介します。

コーチングにおいても、この視点は非常に重要です。
指導現場で起こる出来事を、一主観的視点のみで判断し、コーチングを行うのは危険です。
出来事には様々な文脈(前後関係など)が絡み合っており、その場の雰囲気から生まれる心理的側面、チームのメンバーの関係性による社会的側面、学校やクラブに所属している対象者への教育的側面、等といった様々な観点から総合的に捉えていかなければ、良い指導はできません。

そのためコーチはこれらの多面的・多角的視点が求められるわけですが、これらを高めていくことも、大学院で十分に行えることだと思います。

論文作成においては、まず必ず学会にて研究発表を行うことになります。
自分自身の研究成果を発表し、様々な専門家から質疑応答を通して意見をもらい、研究を洗練したものにしていきます。

学会には、同じ学問分野の人たちの集まりだったとしても、専門としている領域には大きくバラツキがあります。
スポーツというカテゴリの中に、野球やサッカー、バスケットボールといった様々な競技があることと一緒です。

そうした多種多様な専門家が集まった中で発表を行うということは、これまで知りもしなかった視点を手に入れるチャンスとなります。
自分自身が作り上げてきた研究に対して、自分や研究室内の視点だけではなく、これまでに指摘されてこなかったような指摘が入ることがあり、その指摘を通して新たな視点を持って自分の研究を捉えることができるようになります。

また、学会だけではなく、様々な先行研究に触れること(知識を入れること)、様々な専門的知識を持つ人とディスカッションをすることも非常に大切なことです。
これらも、大学院生になることで集中的に取り組めることでしょう。
様々なセミナーや学会などに足を運び、そこで知識を得ることやディスカッションをすることで、新たな観点を得ることができれば研究の新規性を見出すことにもつながります。

このようにして視点が広がっていくことで、一気に自らが捉えていた対象物(自分の研究)への見え方が変わっていきます。
その経験の結果として、物事を多面的・多角的に捉えることの大切さを学んでいくものと思います。

多面的・多角的な視点を持つということは、コーチング現場における対象(選手や環境、出来事など)をより正確に捉えることと考えられます。
非常に重要なスキルですね。

批判的思考も深められる

批判的思考(クリティカル・シンキング)とは、あらゆる物事の問題を特定し適切に分析していくための思考方法のことを指します。
近年ジェネリックスキル(汎用的技能)という、年齢や職業に関わらずどのような人でも必要となるスキルとして、批判的思考にも着目されてきています。

楠見(2011)は、批判的思考に関わる観点として以下の3つを挙げています。

・論理的・合理的思考であり、規準に従う思考
・より良い思考を行なうために、目標や文脈に応じて実行される目標志向的思考
・自身の推論プロセスを意識的に吟味する内省的・熟慮的思考

論理的思考にも似ていますが、論理的思考は因果関係を整理して考える思考法に対し、批判的思考は様々な視点を元に客観的に吟味する思考法です。
自らのコーチング行動に対して、指導者たちは必ず省察(内省・反省)を繰り返していくことで、自らのコーチングをより良いものへと変化させていくことが求められますが、その省察に役立つでしょう。

国際コーチングエクセレンス評議会(International Council for Coaching Excellence)によれば、コーチの学習には2種類あり、学位やセミナーなど他者から直接的に学びを得る媒介学習と、コーチ自らの経験やそれに基づく省察を通して得られる非媒介学習を示しています(ICCE、2013)。

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この図を見ると、媒介学習と非媒介学習が二つの円で表現されています。
この二つの円は、非媒介学習の方が大きい円で表現されていますが、これは省察などから得られる学習がコーチの学びや成長に大きな影響を持っていることを示しています。

つまり、省察はコーチが学びを通してより良いコーチングを目指していく上で非常に重要な行為であることが分かります。
そのため、その省察のクオリティを高めることが肝要であり、それには先の批判的思考を活用する必要があります。

この批判的思考は、専門性が多様な集団内での学習を通すことで習得していくことができるといわれています。
大学院はまさに専門性の高い人たちが集まっており、また、論文作成のプロセス自体も自らの批判的思考を深めていく上で良い場となります。
批判的思考が深まれば、より物事の最適解を見出すことも容易となり、論文執筆においても非常に役に立つスキルとなります。

構造的な思考ができるようになる

コーチングを行なう上では、構造的な思考をすることも重要だと思っています。
構造的というのは、「ある物事の全体を把握しその構成要素も理解できている」そして「その構成要素の間の関係について理解できている状態」です。
知識も単体で理解しているだけでは、無用の長物になってしまいますが、あらゆる知識を統合して、知識間のつながりを理解することが大事です。

東京大学前学長の小宮山先生は「異分野の方と議論するために構造化が大事」と話されています。
構造的に自身の主張や意見、考えていることを説明できるようにならなければ論点が合わず、また異分野の人とのディスカッションでは建設的な議論の壁になってしまいます。

これは、研究の場において他の学問領域の人とアカデミックな会話を進めていく上でも重要ですが、知識の構造化が出来ていると、コーチを囲む様々なステークホルダー(トレーナー、学校関係者、保護者、など)に対して説明責任を果たす際や、連携する際に役立ちます。

高度な論理的思考が求められる大学院の場だからこそ、鍛えることができると思います。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
主に知識を得ることに目が行きがちになるかもしれませんが、大学院で研究活動を通して、得た知識を”十二分に使えるようにする”ためのスキルもしっかりと身につけられると思います。
思考力のストレッチを行なうことができるとも考えることができそうです。

今回の記事で参考にした引用文献

・Cushion, C. (2007) Modelling the Complexity of the Coaching Process A Response to Commentaries. International Journal of Sports Science and Coaching, 2(4): 427-433.
・International Council for Coaching Excellence, Association of Summer Olympic International Federations. & Leeds Metropolitan University. (2013) International Sport Coaching Framework Version 1.2. Human Kinetics: USA.
・楠見孝(2011)「批判的思考とは」楠見孝・子安増生・道田泰司『批判的思考力を育む―学士力と社会人基礎力の基盤形成』有斐閣.
・Mallett, C. (2007) Modelling the Complexity of the Coaching Process: A commentary.International Journal of Sports Science and Coaching, 2(4): 419- 421.

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