(映画)水曜日のエミリア・女性あるある・よく目を開けとかなきゃね
水曜日は夫に会い、その連れ子ウィリアムの送迎などの世話をしなくてはならず、その作法に前妻も口出しをしてきて憂鬱な曜日だった。さてエミリア(ナタリー・ポートマン)はNYで働く弁護士補佐のキャリアウーマンだが出張先で妻帯者である上司ジャックと恋に落ち、そして彼がその奥さんと不仲であることを追求しているうちに妊娠し、略奪婚に成功する(「略奪婚するぞ」、といったそんなあからさまな悪意があったわけではないですが)。しかしなんと、その長女イザベラを出生3日目で亡くしてしまい、それを自分のせいであると思い込みその傷をいつまでも負い目に感じていて、頻繁にイライラして人に、夫に、前の夫に、夫の前妻に、そして早く仲良くなりたい夫の連れ子、ウィリアム(11歳ぐらい?)に、さらにその他周囲の人の親切にも噛み付いてしまう。その上彼女は奔放なところがありそれが元に立て続けにミスしてしまう。その結果周囲からの誹謗も一身に浴びて辛い…(そこが観ていて面白い…w)。
女性として不幸だと思っている人に見て欲しい
頑張ってきているのにどうして成功できないのか。
それが分からなくて齢だけを重ねてしまって焦燥感、とか。
昔からとても許せないことが家族や伴侶、もしかしたら自分の中にあって、それがずっと心に刺さっていて何かとひっかかる事態になっているとか。
心身あるいは経済的にとか、混迷した状況にあるのに珍しく恋してしまい、見境なく(不倫とか)突っ走ってしまったとか。
そういう状況、言い訳はできないけど、どうしようもないじゃないですか、と言いたいのは女性ならではの心理だと思うんですが、それでも努めて淑女でいたいと思いつつもイライラもして当たってしまうとか、ぶちまけてしまうことがあるとか。
…女性あるあるですよね。
それが今のエミリアなんです。分かりますよね?
喧騒も続き両親も巻き込まれて家族総動員で紆余曲折あって、やはり離婚か?と、いよいよ追い詰められるエミリア。すると連れ子のウィリアム、仲良くなりたかったのが失敗したのだが、彼の配慮もあってその母・キャロリン(医者)に会って、亡くなった赤子、ウィリアムにとっては妹であったイザベラの事件のことを、聞いてくるように進言されて、怪訝ながらも彼女の病院に会いに行くことになる。
「論理的で優しい」とは
キャロリンは自分の夫を略奪婚したその女エミリアを前に、冷静に、彼女が娘をミスで殺したと思ってる件は事件ではあり得ないと論破説明する。徹底的にフェアに仕事をする…(直前までふたりは会うたびにいがみ合ってたのにw)
キャロリンは、検死の専門家と再調査した事故の調査結果を詳細に説明して、結論「あなたは悪く無い」と明言する。エミリアが圧倒されていると医者は「聞いてる?あなたが分かったというまで、何度でも説明し続ける」と言って続ける。エミリアは罪悪感を堅持したい気もあるのか…、なかなか認めないがついに「分かった」という。それを認めた途端、エミリアは泣き崩れる。
医者キャロリンはそれを見て、エミリアに夫を略奪された立場から自分も少し苦い顔をするが、
「良かった。…じゃ一人にしてあげる」
とあっさり言って、肩を撫でながら先に自分のオフィスだが立ち去る。
欧米式、論理的かつ優しい、とはこのことでしょ…
(ところで私ベタはいつも論理的に人に優しさでアドバイスしてるつもりなのに、まだ、「論理的で冷たい」と方々からdisられてるみたいなんだけど、どうして理解してもらえないのかな?w まいーけど)
離婚して家族となったエミリア、ウィリアム
結局エミリアは離婚し、その物語はもう終わった。そして久しぶりにエミリアがセントラルパークの池「コンサバトリー・ウォーター」でウィリアムに会うシーンで締め括られる。
エミリアはもう家族じゃないのに、と言うが、ウィリアムは「死んだ妹の母はエミリアなんだから家族」と言う…。
イザベラは死んでどうなったか?の見解は、エミリアは映画冒頭の夫との会話どおり、消えただけ、である。彼女は無神論者なのだ。それに対してウィリアムは、学校でも絵画の授業でイザベラを天使として描いていた。ウィリアムは持論を語りだす…
「仏教によると輪廻転生と言って生まれ変わるんだって。僕仏教徒になるよ。それでイザベラを見つけたい。」
「よく目を開けとかなきゃ」
「見つけたら教えようか?」
エミリアは言った。
「うれしいな、そうして。…愛してるわ。」
「…知ってた。」
すると、ウィリアムは、少しはにかんで、言った。
2009年米。監督は、『偶然の恋人』のドン・ルース。
ぼやき…💧
レビューサイトでは上記「女性あるある」な「不倫・略奪婚するということに嫌悪感」「主人公が終始イライラしていて見ていられなかった」とかで低評価、総じて得点が低くなっていて残念…。
最後まで見て、本質を見極めようよ?
「説明が足りない」「伏線が回収できてない」「バッドエンドじゃね?」とかで、プリキュアの2年前の大作「ハグっとプリキュア」も散々酷評されたけど、私はそれがだから悪いというのがわからない。メリーバッドエンドアンドリドル、受け手によってハッピーアンハッピー見方は変わる、それが映画というか、コンテンツであっていい。というか醍醐味。また、謎を多く残す(リドル)のもあっていい。
TENETでも、ほとんどそのSF機器の動作原理は説明されていなかったけど、だからマイナス、と評する人が、レビューみてるといるみたいで唖然。スタートレックで映画では転送装置やワープ(FTL航法)についていちいち説明していないじゃないですか(TVでは結構してる)。BTTFでタイムマシンの燃料の説明はあっても動作原理は説明してないじゃないですか。ていうかそこ重要じゃない。そういう主張する人って、何か一生懸命個性的な意見を言おうとして、実は失敗しててちょっとダサい。
よく、目を開けとかなきゃね。
いつでも正しく物事を見極められるように…
そういえばセントラルパークの舞台となったその池は年始にNYに行ったときに見てましたね…アリス像のとこですね(ドヤ)
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楽しい哀しいベタの小品集 代表作は「メリーバッドエンドアンドリドル」に集めてます