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ブラジル代表と大阪桐蔭と東京地検特捜部と電通と。人々を惹きつける憧れと恐れの組織論。

強くて魅力的な組織って何だろう?ブラジル代表の試合を見ていると憧れと恐れをもった組織が人を強く惹きつけることがわかる。でも勝負に負けるときは簡単に負ける。僕はそのひとつであった(と過去形で僕は思っている)組織にいた。その組織=電通はいま憧れも恐れもなくなってしまった。そして、僕は電通を辞めていまはひとりでやっている。この先、僕が組織をつくるとき何を目指すのだろうか。

息子にミルクをあげる時間と被ったからW杯のブラジル対クロアチア戦を観た。サッカーは全然詳しくないけれどブラジルのサッカー選手が好きだ。みんな顔つきが獰猛でゴールに猛然と襲いかかっていくから。それなのに性格はサンバのノリでとことん明るい。地理が対極にあると性格まで日本人の対極なのかと思ってしまう。

男は強い個人でありたいと思うと同時に、強い組織に帰属したいと思う習性がある。ブラジル代表は「セレソン」と呼ばれている。ポルトガル語で「選抜」つまり「選ばれし者」という意味らしい。強い組織に属することは最高の名誉で自分と他人から両方の承認欲がしっかり満たされる。強い組織にいると自分が本当の能力以上に大きく、そして誇らしく思えてくるものだ。

日本にもそんな組織が分野や年齢を問わずある。向き合う人々に憧れと恐れを強いるような組織が。例えば高校野球における大阪桐蔭。例えば捜査機関における東京地検特捜部。例えば企業における電通。ただし最後の例は僕が就活生だった10数年前までのもはや遠い遠い過去の話だ。

僕が就活生だった2009年頃、電通はけっこう謎な会社だった。広告を作ってるけどそれだけじゃない感じ。政治家や経営者、スポーツ選手の子女がゴロゴロいる感じ。そのせいなのか日本を影から動かべく陰日向から蠢いている黒幕な感じ。証券マンや商社マンはいても具体的な会社名に男(マン)がつくのは電通しかいなかった。何だか全体像が見えないまま就職試験を受けてわからないまま内定をもらった。入社を決めたのも同期の面々あまりの自信過剰ぶりにこれは面白くなりそうだと思ったからだった。

会社に入ってみるとタワーマンションでシャンパンパーティーもなく西麻布での女子アナとの合コンもなくひたすら地道でキツい仕事を繰り返す毎日だったのだけど。

そんな電通のまとう空気感は2016年に大きく報道された悲劇によって激変していく。この悲劇については多くを語らない。僕には語る資格もないだろう。ちょうどこの頃僕は大手アパレル会社のマーケ部への出向で電通を離れていた。2018年に戻った時、電通はかつての電通ではなかった。アハ体験と違って一気に電通が変わった様を目撃した。空気感は停滞して労働環境は悪化して魂というべき電通鬼十則は消滅していて、組織としての電通はまったく魅力的ではなくなっていた。そして誰からも憧れなくなって恐れられなくなった。そこからだ、ことあるごとに電通はマスコミの餌食になって事あるごとに批判を浴びるようになったのは。

僕は昨年末で電通を辞めて起業した。いま、ひとりだ。組織なんてあったもんじゃない。法人という組織をひとりでやりくりしてる。最初は絶対にひとりで起業したいと考えていた。と同時に会社を大きくして組織というものを作ってみたいとも考えていた。

強くて魅力的な組織って何だろう。まだ全然わからない。結局、ブラジルはクロアチアに負けた。大阪桐蔭も今年の夏の甲子園は優勝できなかった、東京地検特捜部だって歴史と圧力に埋もれた事件があるはずだ。無敵の組織なんて存在しない。

試合後、エースのネイマールは人目も憚らず泣いていた。応援しているサポーターも泣いていた。憧れと恐れを抱かせる魅力的な組織が最高で最強の結果をうむわけではない。けど、人々を強く強く惹きつける。僕もそのひとりだ。いつかこんな人を惹きつけるような組織をつくってみたい。そんな組織を指揮して働くのはきっと楽しいし誇らしいだろう。

電通がまだいにしえの電通だったころ、電通マンたちは苦しい仕事の中に誇りを抱いていた。懐かしく思うと同時に未来に向けても想いを馳せてしまう。そう思うのはかつて所属して末席を汚していた電通という組織に、今でも憧れと恐れの残り香を見出そうとしているからなのかもしれない。