見出し画像

形ないものも「借りもの」?

前回は,持っているものを「借りもの」だと考えてみることで,物を大切にする意識を持ちやすくなるという話をしました。

私の頭はすぐに「物質から精神へ」だったり,「具体から抽象へ」というように移りがちなので,形ないものも借りものと考えることはできるのではないかと移っていきました。

「借り物」ではなく「借りもの」と書いているのも,こちらの方が形ないものを含んでいるようでしっくりくるからです。


一つの考え方として,思考や知識も借りものであると考えることはできます。

生活するうえでの基本的な考え方は,まずは親から借りているでしょう。
年を重ねるにつれ,様々な人と出会い,交流し,そこで思考や知識の貸し借りも行われます。
難しく考えずに,ここでは日常の普通のやり取りを変なふうに言っています。

私は「知は共有財産」と考えていますので,どんどん思いついたことや考えたことはシェアしていきたい。

この欲求は,何かからインスピレーションを得て(借りて)思いついているので,それをシェアすることによって,「お返ししている」ということかもしれません。
共有する方が,または循環させる方が自然に感じられるのです。


余談ですが,これは自然な脳の発達過程なのかもしれないとも思います。

2010年代前半ぐらいから,社会的にシェアの概念が取りあげられてきました。

もちろんシェアそのものは以前からあるのですが,主に経済分野でこの思想が広がってきました。

今ではシェアは日常的に見る言葉となりましたが,「一人で抱える」ことから「他人と共有」と発展してきています。

社会発展と人類の脳(または精神)の発達過程はリンクするので,人が大人になれば,社会も大人になっていくというということで,私には自然に感じられます。

この辺りは,特異点である「私」の心が発達すれば,周囲の現象もそれに応じて変化していくという考え方をする方々もいます。

「引き寄せ」などにもつながっていく考え方です。

それはさておき,「シェア」や「循環」「共生」などはいずれも「借りもの」という概念と親和性がありますので,社会とのズレもあまりないかも。少し安心。


自分以外から得られた知識や思考も借りもので,それを大切にして,他の人に渡していく。
そうして広がり,長い時間が経過すると,やがて知識は知恵に,思考は思想になり,文化が醸成されていくのかもしれません。

ずいぶんと話も大きくなってきました。
自分も,他人も,物も,環境も,すべてを大切にして過ごしていけたらと思います。
その方が結局は経済的で,効率も良いですしね。

ここまで整理してきて,自分の中では「借りもの」から「お返し」へと意識の焦点がシフトしてきました。次の段階ですかね。
その次は贈与かな…。

今日も読んで頂きありがとうございました。

(サムネイル:AI画像生成"symbiosis / colorful / beautiful"。symbiosis(共生)のみで生成するとモノクロのややグロテスクな画像が生成されたため,強引に修正。)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?