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【感想】「もうひとつの声」のダブルミーニング

もうひとつの声で 心理学の理論とケアの倫理
キャロル・ギリガン (2022年 日本語訳 出版)


結局のところ著者が一番言いたいこと
を大胆に推測する

論理性。抽象的思考力。普遍的で公正な権利…
これらの価値はもちろん大事だ。だけど、そうじゃない「もうひとつの側」に 今まで見落とされてきた価値もある。それは、ケア、自他への責任、つながり、非暴力…
これらの価値は、女性の声を丁寧に、真摯に聴くことで見えてきた価値だが、決して女性に属するものではない。権利の視座とケアの視座、両方が交じり合えば、人間についての理解はより深く、より豊かになる。



この本を読んで、
想起し発想し、
感想して思い出す


  
「ケア」というカタカナの日本語も、日常的に使われるようになって久しい。このギリガンの本は、ケアやフェミニズム界隈の「現代的古典」とも評価されるほど有名な本だ(と書いてあった)。
 
僕は学部生の頃にこの本の存在を知った。
当時の教育学部の先生の影響でネル・ノディングスの「ケアリング論」を知り、道徳教育について書いた卒論でケアリングの基本的な部分を取り上げた。調べる中で、「ケアの倫理」の”はしり”としてのギリガンの名前をすぐ知ることになるのだが、彼女の代表作  In a Different Voice の和訳『もうひとつの声』(1986年版)は僕が学部生の頃にはすでに絶版になっていて、アマゾンで中古本が一万円以上しているのを見てすぐに諦めたのだった。
 
それ以来、なんとなくギリガンに対する未練が薄くいつまでも残っていたため、数年前に In a Different Voice のペーパーバックの原書(これは手に届く値段だった)を買った。
のはいいが、もちろん そんなもの読むはずもない。
 
それ以来、ギリガンに対する未練に後ろめたさが足され、本棚にある薄紫の背表紙を見ないようにしていたこの頃、なんと新日本語訳がでるということで、こりゃ幸いということでポチッたのだった。 

内容については要約記事を見て欲しいのだが、ここは僕の感想というか読みとして、「もうひとつの声」のダブルミーニングについて書く。 


「もうひとつの声」はタイトルでもあるとおり、この本の非常に重要なフレーズで、従来の男性中心的な価値観や道徳観では聴かれていなかった女性たちの声や経験を表している。
 ※ここから「男性」「女性」という言葉を連発するが、ここではあくまで「男性性(おとこ的なモノ)の総体」として便宜的に「男性」という言葉を使っているだけで、それぞれの言葉に人間の性別を限定する意図はない。(コレ重要)

この本でやり玉に挙げられているローレンス・コールバーグという心理学者は、道徳性発達理論をぶち上げた(そしてめちゃくちゃ有名になった)が、その研究対象に女性は入っていなかった。
それに異議を唱えたのがギリガンだった。

ちなみに、というかとても大事なんだが、現在でもコールバーグの理論の方が圧倒的にギリガンよりも有名である。僕が教員採用試験を受けたころ、コールバーグと言えば必須の教養だったし(ネット検索を見る限り今でもっぽい)。
 
試しに、画像検索を使って比べてみるとよくわかる。
「コールバーグ 道徳性」でググると、彼の理論をわかりやすく図解するもので溢れている。一方、「ギリガン 道徳性」だと、理論についての画像はほとんどなく、代わりに彼女の顔や本の表紙ばかりが並ぶ。
どちらの「理論」がより社会に認知されているか(好意的かどうかは別として)一目瞭然である。

話を戻すと、ギリガンが言う「もうひとつの声」とは、
「男性の声」に対する「女性の声」、あるいは「正義の倫理」に対する「ケアの倫理」を意味する。これは本書を通してくりかえし書かれている。
 

しかし、おそらくギリガンは、「もうひとつの声」にもうひとつの意味を――ダブルミーニングを込めているんだと思う。

それは、女性が自らしまい込んでいた、女性自身の中にある「もうひとつの声」

(続く) 


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