NHKドラマ「心の傷を癒すということ」がもたらしてくれたものを、セリフとともにふり返ってみた。

予告のタイトルを見て、自分が今一番見たいドラマだと直感した。
リアルタイムで見続けて、その度に涙が止まらなくなって日曜日はたいてい目が腫れてブサイク面をさらして歩いた。最終回は出かけていたので深夜に録画を見て、また泣いた。昨日は第1回から第4回までぶっ通しで見た。そして、自分の心に力をくれた安先生の言葉を写真で残した。
この先自分が傷ついた時、つらい思いをした時に自分が見直して光に変えていけるように。

阪神大震災当時私は東京にいて当事者ではないから何も言えないけれど、忘れることは決してない。仕事で神戸に何度も足を運んだ。エンディングの道もゆっくり何度も歩いた。モトコーのごちゃごちゃ感が大好きだった。
センスがいい女性が多くて、おしゃれで素敵な大好きな街であることは変わらない。


父親の強烈な今でいうモラハラは朝ドラの「スカーレット」の父常治を軽く凌駕するもので、大きな声でどなって全否定して自分の思うように強制していく、まるで軍隊みたいな様は幼少期の私の父と重なって見えて、見るたびに心が痛んで萎縮した。
それでも安先生は父親に屈しながらも、自分の努力で精神科医になる道を選んだ。出自ゆえの苦悩もありながら、自分自身で道を切り拓いた。

父親と対極的な永野先生に師事することで、医学生の時に名乗っていた「不安の安」から「安心の安」に変化していく。愛着障害の私からすると、永野先生の研究室とジャズバーの「スクルド」は安先生の安全基地だったのではないかと思う。

「弱いってええことやで」
「弱いからほかの人の弱いとこが分かって助け合える」
阪神大震災が起きて、不安を抱えた人が出しているサインを見逃さずに、手を差しのべることの難しさやジレンマで苦しむ安先生は、医師や患者という立場など関係なくひとりの人間として存在していた。

私は弱いからこそ強くならなきゃいけないとずっと思ってきたけど、弱いのも自分だと受け入れた直後だったので、それを肯定されたこととさらにその長所もほめてくれたような気がして「これでいいんだ」とひたすら泣いた。
きっとこの先、この言葉だけで生きていける。

<人間は傷つきやすい。今後、日本の社会はこの人間の傷つきやすさをどう受け入れていくのだろうか。傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか。それとも傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか。>
いつ頃からかはっきりはわからないけど #metoo#kutoo のタグが立ち上がって、大きなムーブメントになった。今は人に傷つけられたことや人を傷つけることにすごく敏感な時代になってきている。この時代に安先生がいないことがとても悔しくて悲しいけれど、天国でどう思われているんだろう。

私は親から虐待を受けた。家族からもたくさん傷つけられてきたし、先生や友達にも傷つけられてきた。社会人になっても。自分が特に繊細すぎることは分かっているし、傷ついていないそぶりもしてきた。どうしようもなくてその傷を放置していた。それが結局大きな跡になって、未だに膿みが出続ける。他人から傷つけられるのは自分が弱いせいだと思っていた。だから強くなりたいと思っていた。たぶん私も誰かを傷つけたことだってあるだろう。人を傷つけることはすごく簡単だ。なのに細心の注意を払っても、相手を傷つけないようにするのはすごく難しい。

今はnoteみたいに自分の心のうちを出せる場所があって、自分は傷ついていたことをはっきりと言ってもいいんだとわかって、だんだんと自分の霧が晴れてきているように思う。書き続けることによって、膿みも全部出せるのではないかという希望もある。もっともっと生きづらい人が、それこそ安先生の言う「傷つき」が顔を出して楽に呼吸ができるような社会になってほしいし、微力も微力だけど手伝っていきたい。

「何かあなたの支えになるもの見つけてほしいんや」
「案外ささやかなものが生きる力くれるんやで」
虐待を受けてきた解離性人格障害の患者さんへの言葉。「なにもない」と患者さんは言う。
私の場合は書くということで、本当にささやかだけど唯一の自分の武器だ。
今はほかに何もなくても、これから自分にあったものを見つけていきたい。

安先生は結婚して親になって、父親の内面を理解できるようになってもそれでも静かに親に同じ姿勢で接し続ける。出自のせいでがむしゃらに生きてきたのに、病に冒された上に事業がうまくいかなかったと、武装を解除した父親が初めて弱さを見せても、それは変わらない。そして謝罪を受け入れて父親の生き方を肯定する。同じ境遇で育ってきたからこその肯定し合う兄弟の絆の強さ。父親が最期に認めてくれたという心強さや安堵。父親の苦しい胸のうちを楽にしたことで、自分の進んできた道が間違いではなかった、自分を信じてよかったと思えただろう瞬間をかいまみて、私もそうなりたいとやっぱり泣いた。

「僕な心のケアて何やろってずーっと考えてるんやけど」
「もしかしたら一人一人が尊重される社会をつくるていうことちゃうかな思て」
憲法でも保障されているし、自分は尊重されていると思っていたけど、それは尊重ではなかった。じゃあ今まで私が尊重だと思っていたことは何だったんだろうと頭をガツンと殴られたような気がする。

年末の紅白歌合戦でYOSHIKIさんがKISSとの共演を果たして「夢が叶いました」とコメントしていて、YOSHIKIさんクラスでも叶えていない夢があるんだと少し意外だった。夢や希望はとかく若年層のものと思いがちだけど、本来はどの世代にあっていいもの。忙しい現実に追われて忘れてしまいがちだし「いい歳して夢語り」と片付けてしまうことは簡単だけど、中年層以上だって自分の夢を語って実現させていくことやそれを応援し合うのも尊重のうちのひとつでなのではないだろうか。そんな社会になってほしい。

「お父さん、怖いねん…」「僕まだ何もやってへん…」
自分がガンになったことで、真っ先に同じ病だった父親のことを思い出し、亡くなった父親にだけその心の弱さを吐露する。解離性人格障害の患者さんに勧めたささやかだけど支えになる「やりたいこと」を安先生自身も病と闘いながら実践していく。

「僕どうしても諦められへんのです。生きること…。」
二回も電車の走行音に邪魔されて「東京物語」の原節子のセリフを聞き逃した結婚前の安先生は、かつて将来小説家になることも諦めていて「諦めがいい」と終子さんに言っていた。きっとそれ以外にもたくさん諦めてきたことがあったように思う。でもそのあと諦めずにセリフを聞き取って終子さんに伝える。その時から終子さんが言う「諦めが悪い」人になったのだと思う。治療を受けないことはガンコな性格だということがよく伝わってきた。

安先生のように短い人生を駆け抜けた人を見ると、改めて「生き抜くってどういうことだろう?」「人生をまっとうするってなんだろう?」という疑問がわいてくる。そんなことを漠然と考えているうちに人生は終わるんじゃないかとも思っているけど、宿題をもらったような気がする。

「北林先生はよう自分のこと鈍臭いって言うけど、焦ることない」
「北林先生はゆっくり進むことでみんなが見落としたもん見つけられる人やと思うわ」
後輩の北林先生に向けてのひとこと。このひとことで安先生の母親も弟も気づかなかった「生まれてきた赤ちゃんを撮影すること」を思い立たせている。相手を思う故のこんな言葉を私もこの先かけていけるような人間になりたい。安先生に継承された永野イズムがじっくり味わえた瞬間だった。

「心のケアって何か分かった」「誰も独りぼっちにさせへんてことや」
「何や…あんたがずっとやってきたことやな」
自分のやっていることを客観的にみたり俯瞰してみたりってなかなか難しい。仕事やライフワーク、趣味などの大きい柱の意義を突き詰めてこの先安先生みたいに結論づけることなんてできるのだろうか。人にはタイムリミットが存在するし、そのタイムリミットは人によって違うし目には見えない。そのことも含めて何事も取り組んでいきたい。

「どんな怖い映画も悲しい映画も、最後には絶対『終』っていう文字が出て、自分の世界に帰ってこられる」「そう分かってるから耐えられるやろ」
安先生お得意の分かりやすく書かれた、奥さんにいままでの感謝を伝える最期の手紙の言葉。

私は全く逆で、今まで楽しいおもしろい映画だけが自分の居場所で、自分の世界に帰ってきてがっかりすることばかりだったから、今の状況にジレンマを感じていて、未来のことを考えるとやっぱり尻込みをしてしまう。
そんな時に「弱いってええことやで」という言葉に立ち返って、自分を励ましていくことができて、平静を保つことができる。自分が弱いと知っていることは大きな武器なんだと気づかされた。

「まだ君にさよならは言われへん」
「残された僕らは時間をかけて君の不在を受け入れていく」
永野先生の最後の言葉。各々の心の中に生き続けるけど、それと同時に不在である現実も痛いほど思い知る。
すべてを受け入れてホスピスで過ごしていた私の安全基地であった大事な人や友達を亡くしたことも思い出して、嗚咽してしまった。



阪神大震災から25年、安先生の没後20年でもあった。
今ていねいかつ繊細に作りこまれたこの物語を見られたことは今後の私の人生に大きな影響をもたらすだろう。ドラマ製作陣のみなさん、安先生のご家族や取り巻く方々、そして何よりも安先生にお礼を言いたい。

自分の中にあった「諦め」を灯という希望(小さいけれど自分を支える何か)に変えていくことを受け止めることができた。

NHKでは「透明なゆりかご」以来、激しく心を揺さぶられたドラマだ。
思えば第6回には江本佑さんのお母さんの角替和恵さんが出演していた。
角替さんはガンで亡くなられていて、江本さんには奥さんと小さいお子さんがいる。誰よりも江本さん自身が安先生の気持ちを理解していたと思うし、演技という言葉ではひとくくりにはできないものを見せてくれた。
安先生の家族のつながりとともに、その奥にある江本家の家族のつながりもなんとなく伝わってきたような気がする。

このドラマがもっとたくさんの生きづらい人に伝わって、生きる力になることを心の底から願わずにはいられなかった。NHKはやっぱりなくなるべきじゃない。
最後に、近藤正臣さんとキムラ緑子さんの顔の作りが似ていると思ったのは私だけだろうか……?

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