自己満MAXで死ね|さあ、時間について考えよう
皆様、お疲れ様です。BenBenです。
今日も時間の話をします。ようやく本編に戻ります。
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私には大好きなコピペがあります。
これを読んであなたはどう思ったでしょうか?
8割方の人は、「このアメリカ人旅行者は馬鹿だ、本末転倒なことを言って」と思ってるんじゃないですか?
私はそうは思いません。
私も最初はそう受け取りましたし、「手段と目的の取り違え」がこのコピペで伝えたい趣旨・ユーモアだと言うことも理解しています。
ではアメリカ人旅行者が、始めから「日が高くなるまでゆっくり寝て、漁に出て、戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌を歌う」ような生活をしていたら幸せになれたのでしょうか?
私はそうは思えないのです。
アメリカ人は、「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAをとってて、自前の水産品加工工場を建てて、マンハッタンのオフィスビルから企業の指揮を取って」から「そのお金」で「ゆっくりした暮らしがしたい」のです。
その過程にいる自分が好きだし、その結果で生み出した生活に幸せを感じるのです。
メキシコ人漁師が賢くて、アメリカ人旅行者は遠回りしていて馬鹿だ?
いやいや、アメリカ人が幸せでメキシコ人が不幸だ?
果たして、そうでしょうか?
仮に両者が50歳だったとして、
メキシコ人漁師が過ごした50年
アメリカ人旅行者が過ごした50年
どっちが幸せだったかなんて、客観的には判断できるわけないのです。
とはいえ、その人の中には必ず基準があります。
メキシコ人漁師が「最小限の漁で、あとはゆったりした生活を送れた俺の人生は豊かで100点だった」
アメリカ人旅行者が「常に忙しくて自分の趣味すらできなかった。俺の人生は30点だ」
といえば、メキシコ人が幸せだったという答えになりますし、
メキシコ人漁師が「漁ばかりでつまらなかった。学歴もなくて、惨めなだった。俺の人生は30点だった」
アメリカ人旅行者が「MBAも取得して、仕事も充実して、俺の人生は今の所90点だ」
といえば、アメリカ人が幸せだったという結論になります。
要は、幸せなんて人の主観でしかないわけです。
ただ、あなたの中での、点数は付けられます。
その点数の付け方を、意識して考え続けてほしいのです。
そして最後に、「俺の人生は1万点だった」と胸を張って死んでほしいのです。
無駄な時間を減らして、幸せの時間が自分にとっては何なのかを定義して、幸せな時間を増やして、死にましょう。
次回から、その点数の付け方について述べていきます。
BenBen
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