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罪の文化と恥の文化

今日、大学受験の帰り道、横断歩道の赤信号を無視して渡っている人を見かけた。何人も。

これは誰しもが日常的に見ることがある光景だろう。

しかし言うまでもないが、これは危険な行為であり、事故になれば沢山の人々に迷惑をかけることにもなる。法律的にもアウトだ。

こういった信号無視を見て、私は「日本って治安が良いって言われてるけど、なんでこんなことは平気でするんだろう。」と不思議に思った。

今回は、この信号無視から日本人の国民性、性質を考察する。

また、今回の記事で参考にした書籍は、文化人類学者であるベネディクト氏の書いた「菊と刀」だ。

本記事を読んで興味を持たれた方は、是非一度手に取って読んでみてほしい一冊だ。

恥の文化

こんな話がある。

ある1人の欧米人が日本で山登りをしたとき、ところどころにゴミや空き缶が捨てられていることがとても気になり、その原因を調べたところ、日本人の心無い登山者が捨てていくことがわかった。

更に観察してみると、彼らは周りに人がいると絶対にゴミを捨てないのだが、誰もいなくなったことを確かめると、平気でゴミを捨てていくのだ。

これだけでも日本人の国民性は説明できてしまうが、詳しく説明していく。

さっきの信号無視の問題を例に取ろう。

例えば、横断歩道に、自分の愛する息子や娘、妻がいたら信号無視をして横断する人は少なくなるだろう。

なぜなら「他者の目」があるから。

しかし、信号無視を平気でするような人は、周囲に誰もいない、又は知り合いが見ていないかなどを確認した上でやる人が多い。

ここから言えることは何か。

それは、日本人は過度に人の目を気にする傾向があり、その上で社会の秩序が保たれているのだ。

コ口ナ自粛の時もそうだったが、日本は海外に比べて、国の要請に従順に従った。

それは「周りがそうしているから。」「もし外出したら他人や社会に咎められるから」という理由であり、すなわち他者の目が監視の役割を果たしていると言うことである。

逆に、人の目がないと日本人は自己中心的になり、マナーも平気で破る。

先ほどの信号無視、登山の例がわかりやすいが、最近で最もわかりやすいのは「SNSでの誹謗中傷」である。

少し前に私は神田沙也加さんの死についての記事を書いたことがあるが、そこでも「あれだけ芸能人の死で「誹謗中傷はしてはいけないことだとわかったはずなのに、また同じ失敗を繰り返している」と述べた。

「恥」の文化は、秩序を保つ上で非常に有用な側面を持っているが、社会のマイナスとなる面も多くあるのだ。

罪の文化

日本は「恥の文化」であることに対して、海外は「罪の文化」であると言える。

欧米ではキリスト教信者が多い。

だから、欧米人の多くは、「神様が見ておられる」という意識が常にあるので、他人が見ていようといなかろうと、一貫した行動をとる。

日本の秩序は「他者の目」によって保たれているのに対し、西欧は「神様が見ておられる」という内在的意識によって秩序が保たれている。

なので、実際、欧米ではゴミを道に捨てる人は少ない。

なぜなら、日本人は「他人の目」という外側に意識があるのに対し、欧米では「神」という内側に意識があるので、他人が見てようと見てなかろうと、社会的規範に背くようなことはしてはいけないと言う意識が常にあるのだ。

言い変えれば、日本人は相対的な基準に基づいて、欧米では絶対的な基準に基づいて行動していると言える。

さいごに

私はこの記事で、「日本の恥の文化は悪い文化である」とか、「欧米の文化を見習うべきだ」とか言うつもりはない。

ここで議論したいのは、「日本が良い悪い」などという優劣を決める話ではない。

本記事の目的は、日本国民自身が、日本の「恥の文化」が存在することを明確に認識し、文化のプラスとマイナスの面を自分なりに考えて、改善すべきところを改善するように努めることだ。

本記事が皆さんのそんな機会になれば、これほど嬉しいことはない。

それでは。

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