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#11 ”わたしの中の誰か”の取扱説明書

こんにちわ。id_butterです。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の11話目です。
なんか話の世界が思ったより広がって驚いている。いつ書き終わるのだ。
今回は、前回大活躍した”わたしの中の誰か”について書いてみる。

誰でも、アニメの「インサイド・ヘッド」みたいに色々な感情や周りの目を気にする人格やエゴなどが混在していて、人格を作っているものだと思う。

元々のわたしが、自由にわがままに振舞っていたのは、今の実家に引っ越す前の小学生時代と浪人時代〜大学1年生で寮生活を送っていた頃だ。
そのころは自分に制限をかけていなくて、”わたしの中の誰か”が発した言葉はそのまま目の前の誰かに届いていた。

”わたしの中の誰か”は「インサイド・ヘッド」の登場人物であるような感情の一つとは異なる。どちらかというと、スピリチュアルでの高次の存在とか、あるいは無意識とか潜在意識に近いものなのだと思う。
”わたしの中の誰か”ではとても長いので、以降、ハジメと呼ぶことにする。

ハジメは、20年前の現実社会と相性が悪かった。

まず、何度か、いや何度も友達を泣かせた。
人の感情にシンクロする、とでもいうのだろうか、よくわからない手段でその人の心のど真ん中にアクセスする呪われた力、はおおげさか。

とても印象に残っていることがある。
大学の寮では、毎晩誰かしらの恋バナが語られていたのだが、その夜の話題はMちゃんの恋だった。とっても美人で頭のいいMちゃんだが、なぜか5人いたら一番最低な男の子を選んでしまう体質。(失礼。だけど今はとっても素敵な旦那様を結婚して幸せに暮らしてるから許してください。)当然ともいえる切ない話を聞きながら、わたしの頭の中には音楽(SPEEDの熱帯夜)が流れていた。翌日だったか翌々日だったか、カラオケでもちろんわたしが歌ったのはこの曲だった。なんの気もなしにいい曲でしょくらいの軽い気持ちだったし、男の子たちも「これ彼女から歌われたらええなあ」とか言って盛り上がっていた。突然、Mちゃんは号泣し、みんな凍りついた。わたしの黒歴史だ。
それ以降も、それぞれの子が交代に話す「相談」で、おそらく本人も意識していない本質を言い当てて、誰かを泣かしてしまう事件は続いた。
前回も書いた、当時小学生だったわたしの発言↓も、当然わたしの口からでたハジメの言葉だ。

「お母さんはわたしに怒っているんじゃない、わたしの中のお母さんに怒っているんだ。」

母は泣きはしなかったが、少し顔をゆがませ黙った。わたしには?だが、母には意味がわかるらしかった。悲しそうに「お前はすごいね」と言った。悲しいのはわたしだ。母には、すごいのはわたしではない、ということがわからないのだった。

この呪われた力は、人から恐れられた。表面上はニコニコしていても、怖がられていると感じることがあった。当たり前だ。知らぬ間に自分を覗かれることを誰が望むだろう。
それに、何よりこの力を恐れたのはわたし自身だった。わたしの口から出た言葉だとしてもわたしには意味がわからないのだから、続きや意味を聞かれても困る。ハジメが勝手に喋った言葉の責任をなぜわたしが取らなくてはいけないのか。

この能力はわたしを孤独にしていった。すごいことは幸せではない。

もう一つ、ハジメには少し先の未来がわかるようだった。

少し先に流行するものがなんとなくわかったり、少し先に起こるイベント(初めていく店が多分今日休みだろうとか、この子とこの子が付き合いそうとか)がわかっても、大抵の場合意味はなかった。いつ起こるのかまでは特定できなかったし、「なんでそう思ったの?」「なんとなく」というだけでは人を動かすことはできない。
未来がわかっても、感じた瞬間に言語化して、外に発することは難しい。信じてくれる人が必要だという感覚があったし、ふとイメージがきてつかめないまま忘れてしまうことの方がなぜかよく当たる。

その未来を見る能力は、わたしの行動原理となっていて、20歳くらいまでの人生の選択は全てハジメが担当していた。
ハジメは嫌だと思った友だちや彼氏をサクサク切った。わたしが説明できる理由はなく、これしか言えることがなかった。

「突然いやになった。」

このように人を傷つけることが周囲の環境悪化につながることは想像に難くないだろう。人は「変わった人」だというレッテルを貼り、わたしはそこから少し遠ざかるようにした。わたしは自分が嫌いだった。普通の人がよかった。

そして、ハジメは人を近づけるのも突然だった。
初めて付き合った彼氏に会った時、ハジメは「この人とつきあうことになるよ、3年で別れるけど」と伝えてきた。その後、それは事実になった。
したい人と勝手にやらかして、突然電話を取らなくなったこともあった。苦々しい気持ちを引きずるわたしがかわいそうだ。病気とか妊娠とかのリスクにも怯えていた。
今回離婚する夫との始まりも同じだった。出会った瞬間「この人と結婚するよ」と。そして、困ったことにハジメは選択と行動の力がある。

これは、怖いことだった。
嫌なことが起こるのがわかっているのに、避ける選択と行動の自由がわたしにはない。真っ黒な霧が向こうから近づいてくるのが見えているのに、その場でじっとそれを待って、あえて頭に墨汁みたいな黒い水が落ちてくるのを待つ。落とし穴があるのに、その上を走る。不条理すぎないか。

ハジメはすごいけど、ハジメと生きていくのは大変だった。ハジメと上手に共存していくには、わたしがハジメや自分の能力を信じることや外からの圧力と戦う強さなど総合的な精神力が必要だった。あいにく、どちらも当時のわたしは持ち合わせてなかった。それどころか、わたしは繊細で感受性が強く傷つきやすかった。支持してくれる味方を見つけにいく元気もなかった。

結果、当時のわたしがしたことは、これ。
 ・ハジメを否定して封じ込めること
 ・最悪の状況に耐えうるため、常に最悪の状況を想定して備えること
これは、例えば引き寄せとして考えた場合、最悪だろう。実際に、いやな現実ばかりを経験した。今まで書いた通りだ。

ただ、ハジメは弱まって、出なくなった。ハジメの引き起こす想定外の現実が起こらなくなったという意味では、ある種平穏だった。たとえいやな現実ばかりが押し寄せたとしても、想定内でコントロールされていた。
わたしは、逆方向の引き寄せ力がとても強いのではないかと思う。

そして、外の人という人格が現れた。(ツラ、と呼ぶことにする。)
ツラは、この20年、表のわたしを形作り、本来のわたしを少し織り交ぜながら、いくつかのキャラクターを演技し続けてきた。社会人としてのわたし≒ツラだし、母親としてのわたし≒ツラだ。ここではこうあるべき、というわたしのオーダーに沿ってツラが働いている。

ただし、ツラには弱点があった。
ツラには、自発的な行動が取れないのだった。本人に動機や感情がないから当然だ。ツラにできるのは、受動的な「こう言われたからこうする」「こういう空気だからこういうことしたら良さそう」といった行動だけなのだ。
外からの刺激を感知して返すという設定で、わたしというフィルターは通して何かを返す。けど、そのフィルターも社会に適応したフィルターを厳選している。
何度かそれを指摘した人もいる。「あなたは閉じている」とか「本当にしたいことはなんなの」とか「自己主張がない」とか。知らないと言いたいところだが、善意の人の言葉には胸が詰まる。

…困った。20年経って、時代が変わり周りの環境も変わり、今度はハジメが必要だということらしい。今度はツラが疲れてきていた。
”普通の人”をよしとする時代は終わったらしい。
スピ的に言えば、土の時代から風の時代に変わったということだ。

ただ、実はその前から予兆があった。
わたしは数年前に社内転職し、今の職場と出会った。
特に同じチームの同僚はみな、優秀で親切で繊細で優しく、わたしはとてもとても満たされて、安心していた。なんで突然こんなに幸せなのか困惑していた。忘れていた子どもの時、大学時代の感覚や記憶が戻ってきて、世界が色づいた。

20年ぶりに、ハジメが出てくるようになった。
この穏やかな世界でならハジメの発言は問題を起こさず、むしろハジメが必要なシーンが増えてきていた。

実は、わたしが恋に落ちた彼を先に好きになったのはハジメなのだった。
ツラは「○○さんはあんまり自己主張がない人だと思う、自分でしたいことなんでもいいから考えてみてよ」という彼にむしろ困惑し、怖がっていた。
だけど、彼はハジメの変な話を否定もせず聞いてくれるのだった。
職場の空気は彼が作っていたと前回書いたが、それもあってハジメは彼に絶対の信頼を置いていた。
そういえば、20年前に好きだった人もみんなの居場所を作ってくれる人だった。みんなの真ん中にいて、「高め」だから好きだと認めたくなかったけど大好きだった人。
好みのタイプも好きになった後の反応もあの頃と変わっていないわたし。
大人になるってなんなんだろう。

20年経った今でも、正直ハジメのことはちょっと怖い。
ただ、わたしはハジメの取り扱い方がわかるようになってきている。
ハジメの言ったことは、すぐに伝える必要がない。むしろ、少し先の未来の話だから、タイミングを図る必要がある。ハジメの言葉の意味や背景を考えて言語化するのはわたし。今だという時が来たら、ツラがそれを伝える。こういうやり方であれば、ハジメの話をうまくいい未来に繋げることができるかもしれない。
実際、彼はハジメの話を聞いてくれるし、何なら参考にしてくれることさえある。彼と話しているわたしは、ハジメとツラとわたしの複合体なのだ。
友だちの相談を聞いてからの感想は、1対1で後から伝えることにした。
他の人が入ると、言葉の意味が歪んで、傷つけてしまう。伝わるような言葉を選ばなくてはいけないから、ちゃんと集中して組み立てた後で話す。

「あなたのすることは間違ってない、どんな時も味方でいるよ」
「今まで優しくしてくれてありがとう、ちゃんと受け取ってるよ」

↑は最近のハジメのメッセージだ。※詳細は、#8 にて。
メッセージなんて彼には必要ないよ、とわたしは何度も言ったけど、ハジメが無駄でもいいから、必要かもしれないからと譲らなかった。
結局ここか?というタイミングが来て、ハジメが言わなかったことまで伝える羽目になった。ハジメには勝てない。

結局のところ、ハジメ自体には”いい”も”わるい”もないのだった。
ハジメは、人を傷つける気なんか元からなく、周囲の受け取り方によって薬にも毒にもなる存在であるだけだった。
HUNTER×HUNTERのアルカとナニカをふと思い出す。キルアの台詞が突き刺さる。

ナニカは誰より優しいよ、呪われてるのは「お願い」する方だ!!

”ハジメ”はわたしの中にいたのに、わたしはキルアのように信じてあげられなかった。だから、ハジメはわたしに厳しく、彼に甘々なのかもしれない。

自分らしさってなんだろう。
ハジメとツラとわたし、もしかしたらもっといるのかもしれない誰か全員で一つの世界のようだ。このnoteを書くことを決めたのは誰なのかが、実はわからない。

今、わたしの自分らしさを枝のように伸ばしていこうと思ってはいるもののかなりチャレンジだなとは感じている。わたしはわたしの大きさがわからないのだ。だから、その枝がどこまでどの方向に伸びるのかもわからない。
もし、とんでもなく遠くでわたしの枝先が誰かを傷つけたらどうしよう。
枝が重くてわたしが支えられなくなったらどうしよう。
とは言え、まだ見えない”わたしの中の誰か”が、どこまでも枝を伸ばそう。それで傷つくことがあったとしても、これをやるんだ、と囁いてくるのでしょうがないのだ。

気になるのは、今回の離婚と好きな人について、ハジメの予言がなかったことだ。
わたしは今、生まれて初めてハジメの予言の外の未来を生きている。
これからどうなることかはハジメにもわからないことらしい。


えー。気づいたら5000字を超えていた。
最後まで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。



あとがき

9/13からnoteに投稿し始めて、早一週間。
文章は下手だし、とりとめがない。すみません。
でも、空気感や息遣い、変な勢いはわりとリアルに伝えられる文章になっている気がして、勝手に満足してます。

知っている人には誰にも気づかれたくない、そう思って書き始めたけど、ある友達に読んで欲しくなった。最後まで書いてから、よく考えよう。

散々やらかしたわたしですが、大学の友達とは今でも関係が続いてます。
そんなわたしを許してくれたみんな、本当にありがとう。感謝しかない。

ちなみに、わたしは二重人格(解離性同一障害)ではないと思います。

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