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#13 優しくなんかならないで

こんにちわ。id_butterです。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の13話目です。

一時期、よく聞いていたヒグチアイさんの「縁」に関連して勝手に語る。

今思うことだが、これを聞いていた当時のわたしは、多分夫を愛していた。

聞いた人にはわかるのであまり言葉を尽くすのも野暮だと思うのだが、控えめに言ってこの曲は秀逸でしかない。
吉田羊&國村隼のW主演の「生きるとか死ぬとか父親とか」というドラマのエンディングテーマなので、親子がテーマの曲なのだが、夫婦にも当てはまるような気がする。
「隣を歩くようになった、それが悲しい」とか「雷が落ちるまでがあなたでしょう」とか聞くたびに、顔をしかめつつもなんか一人でくすくす笑ってしまい、ちょっと救われてしまうのだった。
毎回ドラマの最後にこの曲を聴きながら、感情移入した。

へんてこで、わたしとは全然違うものを見ているけど、彼は隣にいる。
当時のわたしは、それだけで満足していた。
外にもっといいものがあるかもしれないことだってわかっていたし、でも今あるものを愛おしいと感じていた。懐かしい。

この件を考えると、どうしても思い出してしまうエピソードがある。

上の子どもの卒園式のことだ。
賞状を渡す時のこと、担任の先生が一人ひとりの名前を読み上げていた。
その先生は、0歳児から卒園までの内、産休を除いた全期間の全員を見守ってきてくれた先生である。
先生は、Tちゃんの名前を呼んだ時、急に泣き始めた。
もうだめだった。涙をがんばってこらえていた親たちは総崩れで泣きはじめ、会場は嗚咽で包まれた。
後から、「あれはやられた、反則だよ」と全員で笑った。
ちょっとおもしろかったけどこれは本題ではない。つい、脱線した。

ここでわたしが気になったのは、先生はなぜTちゃんのところで泣いてしまったのか、という点である。

Tちゃんは俗に言う問題児だった。
おともだちに噛み付いたり、ひっかいたり、同じクラスの子たちはほぼやられたことがあり、憤る保護者もいた。穏やかと言われたうちの子どもですら何回か腕に噛み付かれて帰ってきた。真っ白な腕の内側に赤い小さな歯型。
うちの子に口では勝てなかったんだろうな、とぼんやり思った。
在園中の後半5〜6才くらいの時はほぼ毎日取っ組み合いのケンカで、男の子たちは生傷が絶えなかったし、先生は毎日怒鳴っていて、部屋を隔離したりするほどだった。

だけど、Tちゃんはみんなに、いや主に女子になのか、愛されていた。
うちの子は、部屋が隔離され、先生たちがケンカの収束にかかりきりになったことにより大好きな工作があまりできなくなったとぼやいていた。
にも関わらず、自分のおともだちを巻き込んで、勇敢にも他の男の子からTちゃんを庇う盾になって戦っていた。
「だってね、みんなでTちゃん一人をやろうとしたんだよ。」
けんかに巻き込まれ、傷を作って帰ってきた子どもが怒っていた。
わたしは苦笑いした。

娘よ、お前もか。

先生が泣いたのは、手のかかった子が一番かわいかったからだと推察する。
これには子どもたちに接する仕事をしていたママ友からも同意を得たし、保育園で働いていた学生時代の友人も同じようなことを言っていた。
子どもを巡る現場ではどこでも同じようなことが起こっているらしい。

「どうしても、手がかかる子ばかりに目がいってしまう。実際に手をかけるし、多くの時間をその子に費やすことになる。文句を言いながらも、休憩所でもみんなで一番手がかかる子の話をしてたよ。子どもを預ける親としては複雑だけど。」

わたしも親として思った。
親ががんばってちゃんと育てた手がかからない子ほど、先生に見てもらえないなんて不公平じゃない?
(誤解を受けそうなので一応書いておくと、Tちゃんは活発なだけでなく優しい子供らしい子で実際にとても可愛かったし、今は落ち着いてしっかりした優しい子になっている。)

ただ、そういう風に世の中は回っているんだな、と思えば、なんとなく納得するしかない。

夫もそう、今はただのクズに見えるが、昔は愛すべきクズだった。
わたしだって、手間をかけることを楽しんでいた時期はあった。
ただ、彼はそのままで変わらなくていいと思ってきたし今も思う。
だから離婚するのだ。

これはわたしの予想だが、離婚したら夫はすぐに次の女の人を見つけると思う。わたしは、夫とその人がお布団で仲良くしているときに、子供がその現場に行くようなことだけは避けたいなと思っている。

もうわたしはクズ夫を愛してはいない。
だけど、願わくは、夫にはどうか愛すべきクズを今後も貫いてほしいと思うし、彼が彼らしく生きていけるようなそんな世の中が幸せだと思う。

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